2月15日発行旬刊宮崎スポーツ

初戦突破が第一目標 センバツ出場の宮商野球

 三月十九日開幕する春の甲子園大会へ、宮崎商が五十二年ぶり三度目のセンバツとなった。投手陣は二本柱でまずまず。守備力は失策が少なく九州枠四校で一。そして粘り強い打線は脅威的で奇跡的な大逆転も県予選で見せた。

 

 これまで二度のセンバツは初戦で涙をのんだが、「初戦突破」が第一目標か。「宮商」と刻まれたユニホームのマークが躍動する期待をするオールドファンは県内多々残っている。古豪が残した足跡は名先輩たちも築いた。プロで実績を示した小川享・高橋博・水谷実雄・西井哲夫・島原公二・赤川克紀は県高校史に刻まれている。今の後輩たちは伝説の話だが、特に西井投手(国富町在住)は、プロ通算六十三勝。前年秋の九州大会は四試合連続完封勝利。「九州一の剛腕」と甲子園では黒山の報道陣に囲まれたもの。その豪腕は初戦を突破できず涙をこらえて帰郷。打線の力不足といえばそれまでだが、木製バット時代で野球そのものが今とは全く変わっている。バントが少なく振り回す、二番打者に強打者をおくなど序盤から大量点をとるチームが少なくない。投手も小、中学時に硬球ボールに慣れて入学しても多才な変化球を放る。宮崎商も強豪校に負けず先手攻撃が必死だ。

VリーグPFUに入団 甲斐由美夏選手(都城商女子)

 都城商女子バレーの甲斐由美夏選手が、国内一番上のVリーグPFUに入団することになった。同チームは石川県が本拠地で十二チーム中で七・八位で現在日本代表に十八人がプレーしている。彼女は先月の全国春高に出場したセッターで、素早くボールの真下にいってトス。ボールがぶれず、それぞれのアタッカーの最高到達点を読みながら上げる。また仲間や自分が失策したら、どこにまわってどんなプレーをするかなど、次の動きの勘も鋭い。その上高さもありブロックも充分で周囲の信望は抜群。

 

 Vリーグに入団選手は本県の高校から直接は十年に一人か、いい時で二人。まして日本代表選手のいる久光製薬、JT、東レなどの名門と戦えるとあって甲斐選手は決定した頃から笑顔が続いている。卒業式を終了すると即チームに合流する予定で、現地では午前中は事務職の仕事をして午後から四、五時間の練習の歳月が続く。三年間指導した松元太一監督(日体大)は、「簡単にはいかない。下積みは覚悟。しかし大変光栄です」と、名セッターの活躍を祈っている。一七一㌢、土々呂中。

2月5日発行旬刊宮崎スポーツ

大富監督(大宮)が引退 高校野球で名勝負残す

 高校野球界で今春ひとりの名将が消えることになった。大宮の大富省三監督で、「三十五年間ファンの皆様にお世話になりました」と、眼鏡を奥を光らせている。早大のマネージャーや学生コーチとして卒業時は米国へ英語の留学。帰国して県教職員として宮崎北から教職の人生が始まった。「甲子園に行く」の願望は、二校目の赴任母校高鍋で実現。平成十年のセンバツ大会にコマを進めた。名門の甲子園は十五年ぶりで、その後も出場はない。矢野投手(元広島)の力投もあり、関西学院高と広島商を撃破して準々で日大藤沢の館山投手(元ヤクルト)に涙をのんだ。 「夏にまた来いよー」とスタンドからの声は、六年後の夏に佐土原を初出場。出場を決めたときのインタビューで「町内の皆様のご声援のおかげ」と深く感謝の気持ちを表し、佐土原町に感動を与えた。左の金丸投手(元広島)の好投で初戦突破し二戦目は敗れたものの県高校球界に一ページを刻んだ。

 

 大富監督のカラーは主戦投手を育て、守りを堅める。守備練習は個人的にもノックを浴びせ、納得するまで数日も続けた。そして新しいものを次々と実行し、父兄の協力も要請し続けた。県立校を二校にわたって甲子園を当時は、山極・浅野の二監督に続く快挙で、通算三勝は最多。勝利監督のお立ち台では黒山の報道陣が、「名門広島商に勝っておめでとう」と言われると、「夢のようです」と涙をこらえ答えた。そのときの写真が大きなパネルに入って新富町の実家に飾られている。泥と汗にまみれ、数々の名勝負と栄光を残した大富監督に、多くのファンが大きな拍手を送っている。

旭化成陸上部を振り返る

 旭化成陸上部は県民に夢と勇気を与えた。戦後に産声を上げて七十余年。その健脚は多大な功績を残した。伴走者はバイクやオート三輪車で、道路は狭く砂利。靴といえばゴムのタビで今思えばオールドファンにはなつかしい風景。

 

 県内から優秀な走者が入社、延岡市内を朝夕走りまくったかつての名走者はいない。広島庫・蓬原・広島日など日の丸選手は県民の脳裏に残っている。昭和三十五年のローマ五輪マラソンで広島庫夫選手が走ったラジオ放送は、県民は息を止めて聞いたもの。マラソンは長いトンネルが続いたが、東京五輪の前年に岩下察男選手が日本人で初めて五千㍍を十三分台に突入。数年後広島日出國選手が当時の福岡国際マラソンで二位。その数年後に宮崎中央高(鵬翔)を卒業したばかりの佐藤市雄選手が四月の日本選手権で五千㍍を制した。

 

 宗兄弟が入社してチームはさらに明るく強くなり、兄茂選手は五十三年の別府毎日で日本人初の二時間〇九分〇五秒六で十分台を切った。猛選手は二位だったが、三分近くおくれて別府湾のゴールに入った。トラックでも米重修一選手が五千㍍日本新、高卒二年目の大野龍二選手が北京五輪一万㍍を走り、この一、二年では一万㍍に鎧坂哲哉選手と村山康太選手が日本新。二人を相澤晃選手が十秒以上ぬり替え夏の東京五輪出場を決めた。今はないが三大駅伝(朝日・実業団・中国)で昭和五十八年まで十八連覇は陸連史に刻まれている。谷口浩美選手が入社前で、宗兄弟を軸に児玉泰介・佐藤市雄の両選手が活躍した。

1月25日発行旬刊宮崎スポーツ

本県出身選手活躍ならず ニューイヤー駅伝男子

 「陸上王国宮崎」にとって、今年の正月の駅伝は低調で県内の茶の間をわかす場面がなかった。元旦の群馬県での全日本男子実業団は、五連覇が期待されながら、一区から最終区まで首位になることなく、また区間賞選手も出らず三位。大型新人で東京五輪一万㍍出場を決定している相澤晃選手(二三)が欠場だったのも県民はショックだった。

 

 郷土出身が非常に気になるファンばかりで、トヨタ九州・黒崎播磨選手らに数人の選手がいるものの出番なし。東日本代表のホンダで日章学園卒の田口雅也選手(二七)が走ったもののテレビで大きく映る程の走りでなかった。

 

 以前は郷土出身が五、六人はいて声援を送ったものだが、高校、大学までは通用してもその後は一、二年で引退しているのが目立つ。王国にとって不満のひとつか。

 

 名門小林OBで社会人で走っているのは、去年東洋大からトヨタ九州へ入社した今西駿介選手(二三)だけ。箱根大学駅伝で三、四年の時復路の一区山下りを走った。特に去年はぐんぐん下り坂をとばして区間二位ながら同区の歴代二位の記録に輝いている。「トラックよりロードが好き」と大学時代からクロカンを走り海外二カ国にも招待された。高校時代は二、三年生で都大路の三区を走り二年生時は中継。密集地を次々と抜けて十九人をゴボー抜きは記憶に残っている。しかし今季は右足の痛みもあり、九州地区予選では六区を十一位で全日本は自ら辞退することとなった。元旭化成でバルセロナ五輪マラソン銀メダルの森下広一監督の期待も大きい。日本陸連においても、今西選手への期待ははかりしれない。

大分B-リングスに入団決定 川上選手(宮崎医療福祉カレッジ)

 天福球場に拠点を構える宮崎福祉医療カレッジの主砲川上理偉遊撃手が大分に新しくできた独立リーグの大分B―リングスに入団することになり近日中に合流する。大分高から入学して二年。通算打率三割八分の俊足でパンチもある右打者。また強肩で、体格も一七八㌢と均整もとれていて、夏のクラブ大会九州予選でも大分新球場のスタンドに放り込みびっくりさせた。

 

 夢は何といっても上のプロ入りで、「二年努力して必ず夢を」と、張り切っている。今春独立リーグは熊本でも誕生し沖縄とソフトバンクの三軍など四チームで主に戦うが数試合は四国とも試合をする。また大分は日南市と野球協約を提携して天福球場に姿を見せる予定。医療カレッジは年々チーム力が向上し町おこしと日南市民に夢と希望を与えている。

旬刊宮崎は創刊当初より30年以上、庶民の立場から真実を追究。山積する不条理に対し「弱者の代弁者として破邪顕正の剣で立ち向かっていく」旬刊新聞です(発行は毎月5日、15日、25日)。