西都市議会(井上司議長)が昨年度以来、西都児湯医療センター問題に関係する参考人を招致した文厚委員会(文教厚生常任委員会=狩野保夫委員長)を4回開催、西都市西児湯医師会(岩見晶臣会長)の関係者などに一方的に補助金要求や不明金問題について説明させるといった茶番劇を行っている。形式的には、旧西都医師会病院の不明金問題や同センターの平成24年度決算見込み、今後の事業計画などについての質疑応答を行っているが、当事者であるはずの同センターの前事務局長ら常勤理事2人をはずして説明の機会を与えることなく、むしろ全責任を2人にかぶせる格好で進行した。しかも、傍聴許可を市民に公表することなく一部の地元日刊紙に申し入れを受けており、文厚委員会が情報操作した疑惑が浮上している。
大手建材メーカー大建工業(大阪府、澤木良次社長)が生産したプレミアート(キッチンパネル)の一部で、一般ユーザーに公表されていない表面シートの剥がれる不具合が発生している。施工現場では、既に無償で補修を行っており、同社によると、「ピークは過ぎた」という。一方、宮崎県内では、現在も補修が続いているようで、該当する場合は施工業者などに連絡してはどうか。
前宮崎県知事の東国原英夫衆議院議員が、2年後の宮崎県知事選への出馬を検討しているという。衆院選に当選してまだ1年未満である。変わり身の速さに県民も唖然とさせられる。知事時代、口蹄疫を拡大させた張本人でありながら、県民に謝罪すらせず逃げるように宮崎県を出て行った。それどころか、最大課題の復興を投げ捨て〝敵前逃亡〟した戦犯である。今さら、どの面下げて戻って来ようというのか。厚顔無恥も甚だしい。
同議員が知事選に当選したのは、当時、安藤知事が収賄罪で逮捕され、そのドサクサに紛れてのこと。宮崎県全体が揺れ動き、その隙をついてモグリ込んだに過ぎない。偶然、東国原議員に追い風が吹いていただけだ。
宮崎県知事に当選した時も良識ある県民の間からは、「タレント時代、16歳の少女への淫行で事情聴取を受けた人間が、なぜ知事なのか」の声が上がった。しかし、この声は、知事の上っ面だけに騙された支持層によってかき消された。この結果、県民にとっては全く無駄な4年間が始まった。
東国原議員は知事時代、宮崎県が畜産王国であるにもかかわらず、畜産について全く知識を得ようともせず、知事就任早々、宮崎県の子牛(宮崎牛)が全国ブランド牛に育つことを知らずに赤っ恥をかいた。
その後の知事は、マンゴーや地鶏のセールスマンと化し、地元に根付いた県政は全くと言っていい程なかった。毎週末には何かと口実をつけて東京に出張、せっせとテレビ収録に明け暮れた。当時、「芸名は宮崎県知事」と揶揄されたほど、バラエティ番組を中心にテレビ出演が激増した。
知事室で、歴代知事の椅子にオカマタレントを座らせ、ゲストと共に騒ぎまくった。ゲーム番組では、余りのはしゃぎように司会者が「知事ですよ」とたしなめる一幕があるほど、知事としての自覚はゼロ。下作な芸人根性丸出しだった。
東国原議員は、とにかく目立ちたがり屋で、チヤホヤされなければ気がすまない。常にスポットライトを浴びていなければ我慢できない。このためには、なんでもやった。県政に関しても例外ではなかった。
知事就任直後、宮崎県内では鳥インフルエンザが大流行した。終息後、当時の最大の功労者だった家畜防疫対策監(故人)の表彰を広報しないまま「すべての功績が知事にある」と受け止められるよう仕向けた。
そして、就任して僅か2年後には、国政への転進をほのめかした。当時の衆院選に「いまのところ、出馬は考えていない」を繰り返すだけで、否定しなかったのだ。「足元のブレない政治を」と口癖のように発言していたが、当時から県民をもてあそび、愚弄していたのも知事だった。
口蹄疫発生時も消毒など防疫対策はそっちのけで、畜産農家への補償金ばかりを話題に上げた。この期に及んで票集めに固執して周囲の失笑を買っただけでなく、畜産農家から責任を追及される始末。
専門家も当時、「補償金の交渉は事態が収拾した後でも交渉できる。なぜ、蔓延防止を最優先させないのか」と、知事の姿に「唖然とした」と述べ、家伝法(家畜伝染病予防法)に対する知事の無智ぶりを指摘している。
更に、家畜改良事業団管理下の種雄牛に限り、移動制限区域内でありながら国に特例を認めさせ勝手に移動させた。一方で、民間の種牛は殺処分。牛の価値を理解するのではなく、所有者によって扱いを差別するといったバカげた対応を行った。
口蹄疫が沈静化した7月、「今が一番大切な時だ」と県民には言っておきながら自分は東京や北海道など県外へ脱出して羽伸ばし。しかも私事の講演会で報酬も得ていた。県内では、イベントの中止が相次いだ時期。言語道断である。
終息後は、言わずと知れたこと。復興を前にして、宮崎県を見捨てて逃げ出した。県民のことなど頭になかった。自分の進退のために県民を天秤にかけたに等しい。もっとも口蹄疫の被害のあった児湯地区では、「敵前逃亡だ」と怒りが収まらなかった。
その後、都知事選に出馬して落選。先の参院選では、宮崎県とは縁もゆかりもない近畿比例区で当選している。結局、宮崎県など、どうでもよかったのだ。華やかな舞台に出たかっただけなのだ。
その証拠に舌の根も乾かぬうちに今度は、宮崎県知事選への再出馬が浮上している。知事も一期、国政も一期。こんな短期間で、いったい何をなしえるのか。政治に対する理想などとは全く縁がなく、常にマスコミにチヤチヤホヤされていたいだけなのだ。
政治家としても人間性にしても全く一貫性がない。国政に就いてはみたものの思ったよりも世間の話題に取り上げてもらえないため「飽きた」か。それとも、自分がもっともマスコミを賑わせていた宮崎県知事時代に戻りたいと考えたか。
たとえ、知事選に再出馬したとしても、いまさら「宮崎県民のために…」と叫んだところで、宮崎県民も愚かではない。決して二の舞は踏ませない。県民を見捨てて勝手にやめて、都合が悪くなれば舞い戻ってくる知事など要るはずもないのだ。
児湯地区の畜産農家は、「知事の器ではない。所詮、芸人に過ぎない」「あっちフラフラ、こっちフラフラで、何をやりたいのか全く分からない」「気骨がない」「余りにも虫が良すぎる」など反発の声ばかりが目立つ。
出身地の都城市の住民ですら、「これほど根無し草だったとは、がっかりした」「宮崎を捨てた人間が、今さら…」「今、日本でもっとも信用できない人間のひとり」などと、全くあてにしていない。
しかし、東国原議員のことだ。選挙公示日まで、「今のところ、出馬は考えていない」などと世論の反応を確かめたり、公示日直前に何かを仕掛けてサプライズをみせるといった常套手段を使うかも知れない。
何の魂胆か分からないが、宮崎県に最近になって、ちょくちょく顔を出している。テレビ出演数も目に見えて減った。日本維新の会によると、「立候補の話はない」「テレビ出演の規制もしていない」と説明しており、東国原議員が気分しだいで勝手に動いているとみて間違いなさそうだ。
平成19年当時、東国原議員が知事に就任したことについて、ある政治評論家は「宮崎県民は知的水準が低い」と宮崎県民をバカにした。確かに当時、投票率は上がり、日頃は政治に無頓着だった人間が、〝タレント〟と言うだけて票を投じたことは間違いない。
しかし、今回は、そうは問屋が卸さないだろう。宮崎県民も東国原議員が知事時代、県民に対してどういう対応だったのかを目の当たりにしているのだから。
県民は、東国原議員の今後の動きをしっかりと見極め、決して策略に乗らないよう十分注意を払うべきだ。宮崎県民は、東国原議員から受けた仕打ちを決して忘れてならない。東国原議員には、宮崎の土を2度と踏ませてはならないのだ。
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