7月15日発行旬刊宮崎スポーツ

 「陸上王国宮崎」も新型コロナには全く計画通りにいかなく関係者は頭痛の毎日。宮崎日大男子駅伝も「三密」を原則に走り込みに懸命。目標は「三年連続都大路へ」。二十人の部員の心はひとつ。昨年の都大路は、後半レースの流れに乗って、県高校新の二時間二分五八秒の七位。順位はともかく優勝校に一分も差はなく、同校だけでなく県内の関係者に大きな夢を与えた。

 

 心機一転の県新人駅伝は二月西諸路で開催され、六区間ながら小林と追いつき追いつかれで最終区で涙をのんだ。

その差は四四秒で旧二年生が多かった小林に善戦した。今チームは昨年の佐藤航希(早大)のようにとび抜けた選手はいない。しかし、引田通人(東海)が五千㍍十四分二〇秒で、室田安寿(高崎)と甲斐涼介(都農)がやや遅れて他を引っ張っている。春休みも大型連休もホームグランドでの練習で一年生にも優秀な選手がいて夏を越したら楽しみな逸材がズラリ。

 

 全員が寮生で早朝一時間弱、夕方二時間と工夫して三、四班に分けて走る。たとえば朝一年は五十分の持久走で二年は三千㍍を三本。三年は千㍍のインタバルを十本とかで夕方はさらにハードになる。強敵小林を上回る努力をしなければ三連覇は見えない。藤井周一監督(日本大)はかつて西脇工で主将を務め、全国制覇に貢献した。

 選手に口数は少ないが、練習後は寮で昔の一流選手の活躍を語ったりして選手たちとは陸上のことばかり。陸上王国に大優勝旗を持って帰るのが毎日の夢だ。

 郷土が生んだ昭和名球界のひとり田中幸雄氏(五三)の日ハム監督就任へ「黄信号」が点灯しだした。OBでもない解説者だった栗山英樹氏(五九)を日ハムの監督にしたのは九年前である。二度のリーグ優勝と日本一を一度と常にV争いをして人気もあった。まして超人気選手に恵まれたことも大で、ダルビッシュ投手、斉藤佑樹に大谷翔平の両投手。また清宮幸太郎選手も入って観客動員に不足なしだった。

 

 しかし九年目となると新鮮味に欠け周囲は「そろそろか」とウワサ。今年も一年契約で本人もある程度の「勇退」は考えているか。数年前、二軍監督や一軍打撃コーチを任された田中氏は去年オフ退団。NOツーにOBの小笠原道大氏(四七)をヘッドコーチによんだ。安打数と本塁打数も田中氏より多くタイトルも二、三本。巨人時代には人気もあり良く打ちまくり中日に移籍。中日で二軍の監督を務めた。先輩の田中氏が望みがないわけではないが、チームのヘッドコーチで内容は充分わかっており次期監督は小笠原氏の可能性が高い。

 

 栗山政権が思った以上に長く続いたことも災いしているが、郷土出身監督、武上、西村、福良氏らに続く可能性は薄いようだ。

7月5日発行旬刊宮崎スポーツ

本県高校野球の流れ変える 延岡商業野球部

 高校野球の流れを変えたのは延岡商だったか。昭和三十九年春、鹿大を卒業した新採用の山極秀男監督(泉ヶ丘)が次々と白星を重ねた。二年目の秋の大会でいきなりベスト4に入り、宮崎開催の九州大会へ三校目で出場。宮商、高鍋は翌年のセンバツへ出場。延商も準決に残り補欠校になったが、その喜びは自信につながった。

 

 次の年の本県は第二代表戦で敗れ、翌年は、豪腕牧投手(元中村消防)で大宮が南九州代表で甲子園へ。県北のファンは延商に注目しての数年だったが、四十三年夏は記念大会で沖縄との第二次予選はなく、各県単独出場となっていた。

 

 三十八校が出場した夏の大会は宮崎高、宮崎電子などがシードだったが、延商は延学、宮崎電子、中央、宮崎商に勝ち準決勝で大宮に五対三、決勝で日南工に五対二と初優勝で県北に堂々と甲子園の夢を与えた。二十七歳の山極監督は予選からずっと顔のヒゲを残してそのまま甲子園へ。県央部だけだった甲子園の流れを変え、他の地区の選手や監督にも勇気をくれた。当時の延岡市民の歓びは想像出来ない程で延商はファンの語り草になっている。甲子園は興国(大阪)が優勝して延商は三重高に四対七で敗れた。その後春と夏に甲子園出場しているが、この数年県でも上位がない。しかし夢をもって部員たちは頑張っている。右の林田大輝投手(延中)は一八〇㌢の本格派で一四〇㌔近くを投げ期待されている。

全国舞台でも活躍 日章学園サッカー部OB

 高校サッカーの黄金時代を築いた日章学園OBも全国舞台で活躍している。プロ選手は現在四人だが、そのうち佐藤颯太選手がJ2のギャラバンツ北九州で三年目。高校時代は副主将とFWでプレー。速さと正確さで人気者で下級生にも良く慕われていて、「あこがれの選手」でもあった。

 

 また当時、主将でボランチで活躍した佐藤詩響選手は、茨城の流通経済大三年生。何度か大学日本一になった名門大学で出番はぼちぼちの状況。将来Jリーグ入りするには、この一年間のプレーが非常に大切で、新型コロナの影響で公式戦はまだだが、恩師の早稲田一男監督(現宮崎日大)によると「もともと二人は素質に恵まれた逸材だった。颯太が中軸になるには、この二年が勝負。詩響も厳しい昨今ではあるが名選手の中でうんともまれて卒業時には必ず朗報が届くでしょう」と、大きな期待はこれからの様相。ファンは簡単にプロ入りを期待しているものの、レベルはまだまだ高くない。宮崎サッカー界のためにも今後の二人に注目したい。

6月15日発行旬刊宮崎スポーツ

県北サッカーの覇権奪還目指す 谷水清文監督(延岡工)

 「県北サッカー界は二十四年ぶりです」と笑顔で話すのは、延岡工に復帰した谷水清文監督(五六)。選手時代は宮崎工の中軸として全国総体へ。二度選手権では優勝を目前に鵬翔に泣いた。中盤の中央として超高校級のプレーは、当時の実業団一部の日産自動車(現マリノス)に入団。県内の高校から直接のプロ入り第一号だった。公式戦は出ることばかりでなく、厳しい歳月で満三年で現役を退いた。

 

 県を代表する選手に教委会やサッカー界は強引に指導者の道を授けた。昭和六十二年延岡工に新任、二十三歳。選手と共に練習を重ね全国総体へ二度コマを進めた。県北サッカーに灯をつけ、温厚で選手の個性を見抜いた指導は人気が年々出た。日向工を経て母校に異動になり、恩師上原三朗監督(七二)と大舞台出場を目標にした。鵬翔が強く日章学園も頭角を現したころで、九州新人第二代表と全国総体一度出場し選手権の決勝で鵬翔に敗れた。でもフットサル第一回大会で県代表になったのもサッカー史に刻まれている。

 

 県内の若い中・高校の監督たちは一様に「谷さん」と尊敬し人気も高い。周囲の仲間も「残り五年やってもらうことはいっぱい。覇権奪還に死力を尽くせ」と注文は多い。

都城高野球を振り返る

 半世紀前になる。都城高が昭和四十五年夏、霧島盆地に初の甲子園を贈呈した。都城市蓑原町に移り校名も新たにして五年目だった。その選手たちは都北と末吉地区の地域の選手で人気も高く、市民は快挙に酔った。

 

 三十七校が出場した県予選は四校シードが三校残って、宮崎日大が延岡商に三対一、都城高も高鍋に三対一で、初の栄冠を目指す都城高と宮崎日大の決勝戦は超満員の旧県営球場。宮崎日大は立ち上がりから栫投手を攻め二塁打二本など散発七安打して〇点。都城高は山下二塁手と奥遊撃手の九回の適時打の二本。栫投手は苦しいときに巧い投球をして一対〇で一次予選を制した。

 

 南九州大会は七月三十日同球場に沖縄の小禄高を迎えた。土地の利かのびのびの都城高は、初回に上位打線が爆発して二点先取。その後も好機をつくって有利に進んだ。小禄高は四回裏にスクイズで追い上げたが適時打が続かず、都城高は八回表に一点とって三対一で甲子園出場を決めた。

 

 夕方国道十号線高城町有水から市庁までのパレードは汗と涙。夢を与えた都城高はその後、名門への道を歩きだした。初出場は日大一高に一対二で涙。

6月5日発行旬刊宮崎スポーツ

ボクシング界で活躍 「ファイター」こと戸高氏

 プロボクシング界で郷土出身選手が活躍したのも少なくない。宮崎市出身で世界フライ級とバンタム級の二階級を制した戸高秀樹選手(四五)も決して忘れられないボクサーだった。日本ランキング上位に上る頃、「フライ級の大物」と評され、「練習相手の多い所」と希望し名古屋のミドリジムに移籍して頭角を現した。

 

 猛然と前へ進み右からのパンチは強力でタイやフィリピンでも試合を重ねた。「ファイター」と言われ足を止めることはなかった。本県のファンが後楽園で何回も試合を見た。「戸高ファン」も多かった。引退後は郷土にジムを構えて郷土から世界王者をつくる夢もあったものの、現在は東京自由ヶ丘で「ボクシング戸高」とジムを経営。まだ世界王者はいないが日本ランキングにはこの十年余り十五、六人輩出している。

 

 後楽園はもちろんだが、プロデビューの選手の試合は仙台や大阪、福岡などでもあり、なかなか多忙で充実のボクシング人生の様子。東南アジアにも足を運び練習生と夢を抱いて人が想像もしていない厳しい訓練も続いている。

高校野球を振り返る 高鍋の甲子園出場に県民沸く

 高校野球界にも大きな歴史的なことがあった。戦前から永年の夢であった甲子園出場を高鍋が実現した。昭和二十九年夏に県民を感動させた。当時は県大会を制しても大分、鹿児島、沖縄の四県と南九州大会を争って代表権を獲得するころで甲子園はまさに遠い聖地だった。

 

 県大会は十二校が出場して、大宮、高鍋、大淀の成績で大分商、臼杵、玉竜、鹿商、那覇の五校が来県。七月末日から計八校が錦町の旧経営球場に勇姿を見せ、県内のファンで超満員となった。県勢三校は初戦を突破。準決は雨で二日延期して期待が大きかった大淀は大分商に三対七で八回雨のためコールド負け。雨も強く水しぶきの中での試合は七回裏に致命的な五点を奪われ終了後は場内は大騒ぎとなった。

 

 翌日の大宮対高鍋は県大会とは逆に高鍋杉尾投手が三安打の一対〇で完封勝ち。決勝も高鍋杉尾投手の左腕がうなり大分商を抑え、打っては二塁打二本含む十安打で四対〇で代表校となった。八月五日は高鍋町内は夜半まで大騒ぎとなり、平原美夫監督は選手や町民に胴上げ。

宮崎陸上界の名選手 現役選手たちの今後に注目

 宮崎陸上短距離界も輝かしい名選手がいた。昭和四十年全国総体で、広光選手(向洋)が、百、二百、四百㍍の三冠王を獲得し、昭和五十二、三年頃に河野敬二選手(小林高教諭)が、百㍍十秒三〇をもってシンガポールのアジア大会や日中親善大会に二度出場。

 

 その後記録は破られず、十年前河野選手が日南高教諭時代の日高一慶選手(現檍中教諭)が十秒二九を出して日の丸をつけて六人の四百リレーに選ばれた。

 

 その二人を追って多くの短距離選手が健闘している。中でも城西大四年の水久保瀬至選手(宮崎工)が十秒三五まで去年出したら、すぐ筑波大二年の桑野拓海選手(宮崎北)も同記録に並んだ。本県の指導者やファンにとって非常に気がかりな両選手。また国内は三選手が九秒台に突入して県民にとって郷土出身にも頑張ってもらいたいところ。

5月25日発行旬刊宮崎スポーツ

本県バレー、全国で活躍 下鶴選手(専修大)に注目

 バレーボールの盛んな本県には、優秀な選手や監督など多くが中央球界で活躍してきた。昭和三十五年に旭化成に入社した南将之選手(大濠高)が同社の黄金期をつくり、東京五輪などでも活躍したのは、現在七十歳以上のファンしか記憶にない。そして現在は日向学院と筑波大で活躍した季博選手(東レ)が、十四名の日本代表に入っている。

 

 その厳しいトップ入りを期待されているのが、専修大二年の下鶴惣真選手。一九七㌢の高さを誇り、ミドルブロッカーとして将来を有望視されている。小林市出身で、父がアフリカのコンゴ共和国出身で一八五㌢と高く、母は普通の体格。細野中ではソフトテニス部で人気者で、小林高に入ってバレーに転身した。左右からバリバリ跳んでアタックする位置でなくセンターに仁王立ちして相手のアタックを止める役。またはクイック(速攻)で打ち返したり、スパイカーにトスしたりする。高校では大舞台の出場はなかったが、秋季国体のメンバーに選ばれブロッカーで時々試合に出た。

 

 そんな正直で向上心の盛んな下鶴君は成長して大学入学三ヵ月頃からベンチ入りし、今年は先発出場で期待も大きかったが、未だ公式戦は開幕していない。県の強化委員で都城工の元監督藤本範行氏(高鍋在住)が、高校時代二、三指導したことがあるが、「当時は横の動きが鈍かったが、伸びてきたと情報をもらってます」と表情も明るく、「何といっても高さが魅力満々。中学時代の未経験は痛いが取り返して、卒業頃は日本代表に入れる素材」と太鼓判。宮崎バレーからまたもや大型選手の活躍に関係者は非常に期待を寄せている。

 専修大は日体大、筑波大、東海大などがいる関東大学一部リーグで十四校中七、八位が指定席。現在ライトエースが都城工卒で今春日南進徳から高いスパイカーが入り、下鶴君らの活躍次第ではリーグ戦を大きくわかせそうだ。

宮崎サッカーに衝撃 早稲田監督が宮崎日大へ

 宮崎日大男子サッカーの新監督として、日章学園の早稲田一男監督(六一・定年退職)を起用することになり、四月から練習に入っている。日章学園サッカーを強くしてこの数年県内ではダントツの強さ。九州リーグでも優勝争いを演じていた。「全国制覇」が目標だった同監督は、再雇用の条件が学校側と合わなかったなどで三十五年間で、〝移籍〟することになり、関係者やファンは一様に驚き衝撃が走った。

 

 黄金期時代に関わらず去っていった監督には、表面では語られない、また嫌なこともあったのではないか、など色々な噂も流れている。逆に宮崎日大としては、第二代表で九州大会に出場はしているものの、未だ全国大会がない。「何とかして」と、学校側もこの上ない名監督を獲得できたとして期待は高まるばかり。

 

 野球やサッカーの指導者の交代はプロでも少なくないが、これまで本県では高校野球で、聖ウルスラが延岡学園の部長と監督を引き抜き二度の甲子園へ。都城高から日章学園へ移った監督も黄金期で驚かせたが甲子園はなく、宮崎学園も大物監督の招へいに失敗している。サッカー界では初めてのことで、今後早稲田監督の指導は非常に注目を集めそう。サッカー人口やファンが多くなった本県ではあるが、私立高校の成績と監督の動きは目が離せない。

5月15日発行旬刊宮崎スポーツ

木村天響選手(元セガサミー)が梅田学園へ

 宮崎野球が誇る社会人野球の梅田学園に、富島高出身の木村天響捕手が社会人強豪セガサミー(東京)から郷里に戻ってきた。

 

 捕手として超高校級の才能をもち、プロ四、五球団から声もかけられたが、「まだ勉強不足」と、言って上京したのが四年前。一八二㌢、七六㌔の体格から繰り出す早急は二塁ベースや三塁ベース上にいき、体勢が崩れても制球は抜群で、その上ミットに入って、送球動作が素早く、二塁手のグラブに入るまで一秒九〇以内で盗塁阻止率も八割程で、高校時代は相手チームはあきらめる位走塁には気を付けた。

 

 しかしセガサミーでは都内の大学球界で鳴らした大型捕手が入るなど、試合に出る機会がなく、都市対抗と選手権の大舞台には一度ずつ出場したもののベンチで試合を見たにとどまった。関東地区社会人チームのメンバー(二十五人)に選ばれて台湾遠征で貴重な経験もした。本人にとっては試合に出番がないことにも不満を持ち続けての三年間だったが、ゲームに出て良いところを見せることが何よりもプロ入りへの道である。

 

 幼少から夢だったプロ選手を実現するには、ここ一、二年は何といっても死力で努力し、チームへの貢献で「梅田の木村」を全国版にすること。練習時間や練習試合など東京に比べたら決して良くはないが、実力さえつけば必ずプロは迎えに来る。今のプロ野球は三拍子そろった捕手がいない。リード、送球、打撃で成長を見せるなら秋のドラフト会議は楽しみ。これまで梅田学園は、都市対抗と日本選手権を一度ずつ出場。今年と来年の都市対抗は十一月に開催される。

矢野貞彦氏(元都城高ラグビー)が闘病中

 都城高ラグビーの基礎をつくり名門にした矢野貞彦元監督(七六)が、都城市内の福祉施設で病気と闘い治療に懸命している。監督時代から糖尿を患い早めな五十七歳で退官。視力も弱くなった四年後に脳梗塞が襲い入院生活。その三年後に再び脳梗塞。六十半ばで運転はできず車イスの生活になり、出身地串間市民病院に数年入院した。今は言語障がいもあり寝たきりが続いていて、見舞いに来た人には何とか頷いてわかっている状態。

 

 同氏は昭和四十一年春に都城高に採用され即ラグビー部を創部し、花園を目指した。走る高鍋が全盛期を迎えるころで、大型FWで堅いスクラムで縦に突進し一歩でも前へ前へのプレーが徐々に実り、昭和五十一年度にその夢を実現した。計九度の花園出場でベスト4があり、全日本高校選抜に坂元、永友、秋広、平田、寺師など多くが欧州遠征をした。大学も鹿屋体大へ七人、明大、専修大へも進学し、当時の実業団、九電、八幡製鉄、神戸製鋼、日新製鋼、サントリー、近鉄などでOB選手は躍動した。彼らの雄姿は何といっても矢野監督の魂で、都城地区のラグビーファンは忘れることはない。夏は砂ほこりの中で、冬は霜が降った後のグラウンドで猛練習は市民の語り草となっている。最後の花園から満二十年。全国では忘れかけられているが、名物監督だった矢野元監督が大会に姿を現すことを祈りたい。

4月25日発行旬刊宮崎スポーツ

陸上王国に県民期待

 「陸上王国宮崎」の形容詞が使われるようになって数十年。しかし王国にもやや陰りが入っている。宮崎が誇る旭化成が実業団駅伝で常勝中で、五千と一万㍍に二、三人のトップ選手はいる。しかし、リオ五輪後にマラソン選手が活躍せず、去年秋の東京五輪チャレンジマッチに出場資格もなく、今年東京と琵琶湖マラソンを五輪出場の最後チャンスを陸連は与えたものの、旭化成陣は惨敗が続き県民をガックリさせた。宗兄弟、児玉、谷口引退後も大崎、川嶋、小島兄弟、堀端、佐々木選手など国内でトップ争いで健闘した。県内の高校から大学、実業団へ第一線で走っている選手は以前に比べ非常に少なくなっている。

 

 今年の箱根大学駅伝では三選手が走ったが、今西選手だけが目立った。その小林高OBも都大路で良い成績で走った選手も実業団で長続きしていない。前田(早大)、野脇(中央大)、西郷(山梨)選手となつかしい名選手だったが、人吉から小林に来て活躍した廣末兄弟もトヨタ九州と日清食品で数年駅伝に出場したものの一般社員になっている。高校卒業後どこまで活躍できるかもファンにとっては楽しみだが、現時点では東洋大からトヨタ入りした今西選手だけ。女子駅伝も宮崎銀行が夏の訓練で九州突破を実現してほしいもの。夏の練習が大事ではあるが、宮崎駅伝の雰囲気を期待したい。

夏の高校野球振り返る

 夏の高校野球を五年前に遡る。準決勝で宮崎学園が四対三で都城商を宮崎日大は二対一でウルスラ学園をそれぞれ破って決勝戦となった。宮崎学園は夏初の決勝進出は横山楓投手の力投に尽きた。宮崎日大はシード校らしく守り良く、そして杉尾剛士投手の力投も光っていた。サンマリン球場の内野席は宮崎市内同士の決戦とあって四千人のファンで大騒ぎ。一、二回は静かな出発だったが、四回から横山投手は疲れが見え、宮崎日大打線につかまり、緊張の中、内野手の失策も重なった。両投手とも七、八回に降板して最終回外野から再びマウンドへ。スコアはなんと宮崎日大が十三対零となり二度目の甲子園へ行くことになった。杉尾投手はナインと大騒ぎで歓喜。横山投手は重圧と連投で完全に疲れて呆然としていた。

 

 しかし、両投手は次への夢を描いて「戦場」を選んだ。杉尾投手は地元宮崎産経大、横山投手は国学院へ進学し神宮球場を目指した。大学選手権出場の目標を三年生時につかんだ杉尾投手はV候補の創価大を完投勝ちしてプロから注目。一四〇㌔中盤の直球とカットボールなど四、五の変化球は非常に脅威で去年も神宮にコマを進めた。「プロへ」の切望は秋のドラフトで心待ちにしていたが残念にも見送りされた。気を落とした右腕は社会人の日立製作所(茨城)へ進路を決め都市対抗戦などを目標に来年のドラフトまで精進を誓った。

 

 横山投手も一四〇中盤の直球は高一から評判で、大学進学一年は肘の故障などで投げられなかったが、三、四年生時には一五〇㌔近い直球と緩急の差をつけスライダーで好投が続いた。東都リーグ二部を一部に昇格した投球はプロ四、五球団から声がかかった。去る三月初旬には社会人のセガサミーに入社して即練習に入った。同社は東京都が本社でパチンコ・ゲーム機をつくる会社で、この十年野球に力を入れている。都市対抗予選を勝つには大変な地区だが、救世主になる力投が重なると楽しみ。まだ身体が補足体力的にも不足部分は否めない。かつて本県球界をわかせた両雄がどこまで成長をみせるか、県内のファンにとって今後の活躍が楽しみだ。

4月15日発行旬刊宮崎スポーツ

河野譲次監督が勇退 延学や都城東野球部で指導

 高校野球の延岡学園と都城東で四十年余指導した河野譲次監督(七三)が、三月一日付で都城東を退官し、今は延岡市東海の自宅で「洗浄」を振り返りながら、好きなランの手入れなどで静かな毎日を送っている。高鍋、国士舘、いすず自動車で軽快な内野手が延岡学園の監督に任されたのは、昭和四十八年春。チームは順調に出来て五年目の夏に準優勝、翌五十三年夏に甲子園へ。

 

 県北からは十年前の延岡商以来で、初戦石動高(富山)に勝って延岡市民に甲子園初白星を贈った。その後も上位には進んでも、なかなか甲子園はなく、平成八年に都城東に声をかけられ強化に着手した。県南には隣の都城高、小林西、日南学園など強化校が選手獲得に懸命で思うように選手は獲れなかったが、鹿児島県東部地区の中学に行き好選手を探し続けた。八年目に春優勝して九州大会、二年後にNHK杯を制し野球校の形は整った。甲子園の女神は、あと一歩の年が続き、平成二十二年に定年退職。そして二十七年に再び戻りこの五年は大半が木や九州近郊の選手でチームをつくった。地元開催だった秋の九州大会が三年前にあり、「あと一勝」のところで創成館(長崎)に苦敗。センバツの夢は消し去った。厳しい勝負の世界は河野監督にも直撃していた。「死力で体当たり」でこの数年は「闘将」と言われ頑張ったが、去年夏は準決勝で小林西に敗れ、同監督は年齢的にも気力が衰えていた。今春はプロ野球に入団させるなど最後まで打撃指導はすごかった。ロッテの黒木智と日ハムの黒木純の両投手と楽天の草野内野手は自慢の愛弟子でもあった。

4月5日発行旬刊宮崎スポーツ

旭化成駅伝が黄金期

 旭化成駅伝が黄金期を走っている。元旦の全日本実業団で四連覇で、六十四回中最多の二十五回目の栄冠だった。采配も申し分なく、先日勇退した西政幸監督(出水中央)の作戦どおり。前半はやや遅れも後半勝負にかけた。二十歳の小野知大(鶴崎工)に鎧坂哲哉(明大)のスピードは区間新で最後はトヨタ自動車に二分二十九秒の大差でテープを切った。

 

 「陸上王国宮崎」を背負った歴史は古い。昭和三十年頃に、広島庫、原西、蓬原、広島日、岩下、稲垣たちはまさに野武士軍団といわれ、各大会を好走した。当時はリッカ―、トヨタ、鐘紡、八幡鉄などが強く県民は常に注目したこと、朝日、実業団、中国の日本三大駅伝で昭和五十八年まで八連覇、平成に入って実業団で二度目の六連覇は駅伝史に刻まれている。その五十五年前後は、宗兄弟を軸に佐藤市、児玉たちが活躍し、平成に入ったころは谷口、森下たちが全盛期だった。ファンにとっては身震いするような名走者たちで、その伝統が輝いている。五輪マラソンでもローマからリオまで述べ十三選手が出場して、二位、四位、八位、特にロス五輪では宗兄弟が仲良く肩くんで、その雄姿を世界に向けた。「ニッポンの宗兄弟」は、「世界の宗兄弟」と呼ばれるようになった。また谷口も東京開催の世界選手権で金メダルで、「世界の谷口」と有名になった。

 

 現役を退いてからも指導者として活躍しているOBは少なくない。駅伝男佐藤市は五年前に南畜女子監督から離れ、トラックのスピード王米重修一は拓大の監督を十年以上勤めた。マラソンの中山竹通を育てた佐藤進は五年程前に他界している。引退後指導者としての活躍も県民として気になる。

3月25日発行旬刊宮崎スポーツ

早稲田一男監督が勇退 日章学園サッカー部監督

 日章学園高校サッカーで三十五年間指導した早稲田一男監督が勇退することになった。永年のサッカー人生は、昭和五十年春日南吾田中から帝京高に進学してから始まった。ボールコントロール、速攻、シュート力のうまさは抜群で即戦力。三年の選手権で主将を務め、全国制覇のFWは本県出身初のプロ入りで、古河電工(現JF千葉)で活躍。

 

 八年のプロ生活を終えて日章学園のピッチにきたのは若さあふれる二十五歳の春だった。「全国大会へ」の野望はなかなか実現せず鵬翔・宮崎工の壁に跳ね返され苦しい歳月が過ぎた。入学した選手は小柄でパワー不足の選手が多く苦しんだ。就任十余年経過して初めて全国選手権へコマを進めたのは四十歳のときで、人目を避けて泣いたもの。

 

 同監督の指導は、選手をよく褒めた。長所を見抜いてそこを乗らせて走らせた。そして「仲間を信じろ」が口癖でチームワークを大切にした指導は次々とチームは勝ち上がり、鵬翔といつのまにか肩を並べるようになり県大会で常にV戦線に残るようになった。高校サッカー界の力量は高く大舞台に出場しても上位進出は惜しいところで阻止され続けた。まして鵬翔が全国優勝したときは、悔しながらも拍手を忘れなかったが、その指導は評価は高く四年前は日本高校選抜監督になって欧州遠征をもした。鵬翔の松崎博美監督に続いて本県から二人目のことで、宮崎サッカーを全国版にした。教え子にJリーグへ黒木、久木野ら六人を輩出、ポルトガルとメキシコの二部に二人送った名将は、全国総体と選手権出場計二十九回。ベスト8が三回で日章学園を黄金時代にした。六十歳。

大分日本文理大に進学 比江島投手(高鍋)

 高鍋の比江島佑斗投手(上新田)が、大分日本文理大へ進学し野球に専念しプロ入りを目指すことになった。一八六㌢、七八㌔の堂々たる体格は、高校三年間で「プロかな」と噂されたものの、未完成のままで卒業した。体格のわりに球速が今いちで一三八㌔が目いっぱいだった。新天地での目標は、最速一五〇㌔を出す、大学選手権出場、プロ野球を目指すこと。

 

 高校時代は周囲の期待通りにいかず、昨年春はベスト4、夏は三回戦で敗れた。しかし五月のMRT招待野球で神奈川県桐蔭戦に五対三で勝って六回まで六安打三点に抑えてゲームをつくった。フォークとスピリットが良く落ちて強力打線と戦った。高鍋は春夏十度甲子園出場で本県高校球界をリードしてきた。プロ入りした先輩投手に清、牧、渡部、橋口、池田、矢野らが「高鍋」の名を売ってきた。しかし甲子園も平成十年春が最後でファンにとっては寂しい歳月が続いている。名門の校名を背負って四年後は郷土に朗報を届けられるか楽しみだ。

3月15日発行旬刊宮崎スポーツ

宮崎医療カレッジに進学 木島泉月投手(高城高・194センチ)

 高城高校野球の木島泉月投手が、日南市の専門学校宮崎医療カレッジ(二年制)に入学し野球を専念することになった。同投手は都城西中時代から大型選手で注目され、今は一九四㌢、八三㌔の堂々たる体格。高校入学時に一七九㌢だったのが、三年間で十五㌢伸びた。これまで本県高校野球は一八七・八㌢の選手は数人いた。十四年前にソフトバンクに入った大田原隆太投手(都城工)が入団時に一九〇㌢で人気者になったもの。今さら一九〇㌢はプロなどめずらしくないが、木島投手はまだ伸びそうな勢い。横綱白鵬が一九一㌢、渡米している大谷投手が一九三㌢、ダルビッシュ投手が一九五㌢で、木島投手の身長は魅力満々だ。

 

 両親とも一七〇㌢台だが、母八重子さん(四二)は一七三㌢で、バレーで活躍。特に日南学園でレフトエースで延岡学園、宮崎日大と互角に戦った。全国大会出場はないが、九州大会には五度程コマを進めた原動力。また全宮崎代表になって、秋季国体に出場しバレーファンには記憶に残っている。八重子さんの運動能力ももらってか、木島君は馬力も十分。機敏さも、走力も五十㍍を六秒で走るなどすべてが整っている。しかし身体が成長過程で肩や腰の故障も多く、去年夏もベンチを温めたが、その二ヵ月前、福岡遠征で佐賀北高と対戦し、一四〇㌔の直球を何度か放った。下半身の使い方や腕の振りなどまだ未完成ではあるが、将来は必ずプロへ行く素材であることに間違いない。

3月5日発行旬刊宮崎スポーツ

高校野球界の策士 大宮高校野球部の大富監督

 「残り一年になりました」と、不敵な笑いで眼鏡の奥を光らせるのは、高校野球界で人気者の大宮の大富省三監督(早大)。中学時代に長男兄が高鍋の捕手として甲子園に出場。スタンドから応援したときから「僕も甲子園へ」と強くあこがれた。しかし選手としての甲子園は実現せず監督として、平成十年春に高鍋を。十六年夏は佐土原を率いて甲子園で指揮をとった。

 

 計三勝で、二校にかけての甲子園は、当時三人目の快挙だった。甲子園で二勝している大宮のベンチに入って六年、早くも定年が一年後だ。監督には「名将」、「闘将」など色々あるが、大富監督は「策士」。状況見て作戦も変える。その采配は「智将」がピッタリで、宮崎北時代に創立六年目にして夏の大会で初勝利した。初戦前年八強の小林に四対二で勝ったときの感激は、当時の父兄と握手の連続だった。どんな試合も守りを重点し、理にかなった奇策も多かった。相手校が決まったら夜を通して作戦を練って、選手たちの特徴も深く研究してきた。勝っても負けても全力プレーの選手たちを必ず賞賛し、次への向上心も忘れず指示したもの。教え子には高鍋センバツ八強の矢野修平投手と翌年には大型遊撃手甲斐雅人選手を直接広島へ。佐土原で甲子園完投勝利の金丸将成投手を大学社会人から広島へ。春の県大会を前に智将は闘志を見せている。

今後の盛り上がりに期待 本県の高校女子サッカー

 本県の高校女子サッカー界の歴史は浅い。誕生して八年目で、出場校も五校から七校で、レベルも他県に比べていまいち。県内の中学にサッカー部がないこともあり、この数年こそ校外のクラブで経験した選手がわずかにいるだけで、入学して初めてピッチに入る選手が大半。高校で一番目に手を挙げたのは宮崎日大で、次に聖ドミニコ、日南学園。やはり宮崎日大は強く県一を続けている。しかし全国大会は二度あっても九州大会で四強に入らないと大舞台の出場はなく、未だ本県代表は全国大会へ進んでいない。福岡、鹿児島、熊本の各県は全国大会でも上位に行っているが、そこには本県中学出身選手も少ない状況だ。

 

 「本県から初出場したい」と全国大会を目指しているのは、妻高校。十一人が必要なのに九人が毎日唇をかんで練習している。正直県内で三、四番の位置だが中学時代の経験者四人。主将で中堅でゲームをつくるのが、甲斐瑞穂(児湯FC)。自信を持って他選手に大声で指示をする。鉄壁の守りを見せるのがDF小川月子(妻)。「前へ前へ」と、その気持ちは高く信望も厚い。一年の中武恵莉奈(妻)は中学時代男子選手に負けない気力でスピードとパワーは申し分ない。

 全体的に速攻も必要だが、この冬徐々にチーム力はアップしてきた。時に男子選手の中に入って学ぶこともあるが、「県一になって九州予選に出場するのは「県一になって九州予選に出場するのはまだまだ」と苦笑いするのは五六和昭監督(福岡大)。

2月25日発行旬刊宮崎スポーツ

全国の舞台で活躍 日大女子駅伝部出身選手

 宮崎日大女子駅伝部出身選手が、全国の大舞台で活躍している。加藤岬選手(九電工)が、一時故障していたが、前月の実業団ハーフマラソンで十五位に入り復活した。高校時代は県駅伝でダントツの一位で九州大会でもトップで一区を制した。新潟国体で五千㍍を十五分五十秒で走り、県高校新は今も残っている。先月の全国都道府県女子駅伝でも好走して県民に元気な姿を見せた二七歳は、ベテランの貫録もあってファンを喜ばせた。

 

 卒業一年目では、田崎優理選手が都道府県女子の二区四・一㌔を一位。本県代表を強烈に印象づけた。所属するヤマダ電機で将来のエース候補になっている。

 

 同期の野﨑光選手は大阪学院大で若きエース。十二月の関西大学女子で五区の八㌔を二位で走った。また日南市で開催された県女子で、都城代表で一区を堂々の一位通過。師走の郷土ファンを魅了した。

 

 二人は高校時代から良きライバルでいつも励まし合って走った。春からトラックの大会も次々と控えているが、長年走る選手もすくなくなってはいる。鹿児島銀行でも一人が夢を抱いて走っている。期待されていた小林高出身はダイハツで下田平渚が健闘している。十二月の女子駅伝で四区を走りチームの入賞に貢献しテレビの県民を喜ばせた。

立命館の吉ノ薗栞選手は、都道府県駅伝で本県代表でその存在感を示している。二人は満二年を終えて、駅伝王国宮崎の名を背負って活躍が待たれる。

 

 寂しい話題もある。創部八年で九州予選を抜けきれなかった宮崎銀行の西村功監督が退任。伊万里学園から旭化成入りした名走者にかかる期待は大きかったが、関係者は五年区切りを良く頑張ったと称賛している。

明治大への進学決定 都城工バレーの黒木選手

 昨年、夏の全国総体で都城盆地をわかせた都城工バレーで、レフトエースで人気者だった黒木奨輝選手が明治大へ進学。一八九㌢と最高到着点三三〇㌢は超高校級で九州でも早くから屈指のスパイカーだった。高原中時代から県中学選抜選手として、また名門都城工を支えた。特に昨年茨城国体で準決進出に貢献した。

 

 しかしムラッ気のある弱点もあり好調なプレーを持続することが重要。同校から初の明治大とあって、多くのOBや市町が注目している。

 

 セッター中村陽選手(久峰)は駒沢大、レシーブも抜群でトスはボールがぶれず、スパイカーに巧く上げていた。名門の六十年史に残る名セッターは、黒木選手とともに、一年間も磨いたら正選手の道は開けそう。同校に入って成長した吉川翔之亮選手(姫城)は、一八五㌢を生かして岐阜県の朝日大へ。OBで中忠選手だった父を追いつき追い越したのは厳しい猛練習の結果で、朝日大でも早めにコートに入れそう。

2月15日発行旬刊宮崎スポーツ

富島高野球、練習に日々熱気

 県内は球春到来で、プロ野球五球団のキャンプで花盛り。高校野球も「負けじ」と、来る春の大会へ向かって各高校とも第四クールで投げ込み、打ち込みで、暖かい日は紅白戦も行っている。

 

 日向市の市街地にある富島高も日々熱気がグランドに漂っている。昨年夏も甲子園へ初出場して、秋も県を制して九州大会。「センバツ」の夢は初戦消えた悔しさを、このオフに精一杯ナインはやってきた。中でもチームをけん引しているのは、富井大輝投手(西郷)と坂本龍太郎捕手(財光寺)の投捕。富井は一七〇㌢の右投げの技巧派で特徴は制球力。軽いフォームからの本格派はスライダーしか変化球はない。コースの出し入れは抜群で大崩れすることがない。ベンチからも信頼はあつく、夏の甲子園も経験した。

 

 今季はその制球をさらに磨いて、オフを率先してトレーニングに励んだ。坂本は一八三㌢、八〇㌔の大型で、富井と三、四番をくんで打点を増やす。去年は打ち方も粗かったが、三割以上の打率は残し、九州大会では、広い佐賀県営球場で場外本塁打した。一四〇㍍以上の飛距離はスタンドも静まり返ったもので、今年は逆方向へも長距離砲で、さらなる打撃向上を目指す。富島は通算三度目の甲子園へいよいよ夢が広がってきた。

ファンも注目 山本由伸投手

 キャンプで注目されているのは東京五輪代表のエース候補になっている山本由伸投手(二一)。三年目の昨シーズンは、オリックスの先発投手で好投し、一・九五でパの防御率一位投手になった。一七七㌢の右腕は一五五㌔鋭いスライダーで、日本代表の稲葉監督に熱い言葉をかけられていた。同投手は岡山県の硬式野球から都城高に入学し、二年生から直球に威力を増したが、最後の夏は準々で涙。四位指名は平凡に見えたものの、プロのトレに入って一年目から一軍で投げて、関西のファンを魅了した。低迷しているオリックスではあるが、キャンプ地では県内のファンが追いかけるなど実力も人気も申し分ない。チームの浮上はもちろん、山本投手は東京五輪でも注目されそうで、代表幹部や県民にとって目が離せないキャンプだ。

2月5日発行旬刊宮崎スポーツ

名門の地力を証明 小林西野球部

 小林西は昨年夏までの県内三公式戦で三季連続決勝進出。優勝一。九州大会二度コマを進め、甲子園は逸したものの名門の地力を証明した。その原動力はリーダーシップをとって攻守に活躍した浦林祐佑主将(大阪)。遊撃手の深い位置からの強肩と打撃、俊足と申し分なく、左打者で内野安打も多かった。一七八㌢と体格もあり、亜大へ進学。周囲はレベルは高く乗りこえたらプロも見える。

 

 鶴田幸多郎投手(谷山)、高橋汰空捕手(天保山)の投捕も脅威だった。鶴田は一七八㌢の右投手でキレのある直球と安定した制球力が持ち味で、一四〇㌔余りの投球も多かった。筋肉などはまだ高校生で食事やトレーニングで体力をつければ将来楽しみ。数校の大学から誘われたが、大分の日本文理大で神宮大会を目標に野球を志す。

 

 高橋は二年間主砲で打ちまくり、公式戦四本塁打を放っている。意外に変化球に弱く直球なら芯に当てて遠くへ飛ばした。入学時は百㌔近い体重だったが、今は八〇㌔台にしまって日本文理大で鶴田のボールを受け続ける。

 

 甲子園で八強入りしたのは二十六年前で、西諸地区では忘れかけている歳月が去った。地元に中学生選手が少なく、ファンにとって不満もないわけではない。しかし少子化にあって私立校の対応も大変ではあるが、今季も活躍することを祈る市民も多い。

サントリー入社決定 都城東バレーのアライン選手

 都城東高バレーのアライン選手が、Vリーグのサントリーに入社してバレーをさらに志すことになった。キューバから来日して三年、バレーのまち都城に大きな夢を贈った。地元全校総体と九州大会二度と同校の躍進に貢献したS・エースは、まだ正式ではないが日本に残ることは決定的で、日本バレー界は大変な喜びようだ。

 

 一八九㌢とスパイカーとして決して高くないが、跳ぶ高さ、力強いアタック、スタミナは三、四拍子揃い、 「九州一」と言われてきた。また学校生活や寮生活も非常に実直で日本食にもなれて日本語もうまくなってきた。

 

 サントリーは以前からプレミアリーグ五連覇など優秀なチーム。本県出身で津曲勝利選手(都城工)がリベロで超美技して今はコーチとしてチームと日本代表に入っている。ライバルは去年優勝のパナソニックやNECがいるが、来月開幕のVリーグは優勝候補に上がっている。チーム内には二㍍近い外国人選手もいるが、一九五㌢前後の選手がいっぱい。しかしアライン選手は攻守ともに本場仕込みで関係者は即戦力と評価は高く、今後が非常に楽しみだ。

1月25日発行旬刊宮崎スポーツ

県内で連勝&1年間無失点! 日章学園サッカー

 日章学園サッカーは、本年度も県内で連勝が続いた。今年の県新人戦も制覇すれば三年間負けなし。またこの一年は無失点で黄金時代と言える。九州プリンスリーグでは、十チーム中四位で前半の三位から落ちたものの十八試合充実なゲームだった。

 

 ところが全国大舞台となればなかなか勝ち上がることなく、やや不本意な成績。夏の沖縄全国総体は、初戦で引き分けPK戦で涙。三年連続十五回目出場の年末の優勝候補の市船橋(千葉)と初戦で県内のテレビをわかせた。攻守に全くひけをとらず互角以上にゲームを進めたが、途中黄カード二度ももらった選手が退場し、またも引き分け。しかしPK戦で勝って殊勲賞。二戦目も強豪四日市中央工(三重)に堂々と対戦。PK戦で最後の一蹴りで敗れた。チャンスはつくったものの決定力が乏しく歯がゆい敗戦。

 

 三年生の進路は非常に明るい。二年連続Jリーグ入りはないものの、選手宣誓して優秀選手に選ばれた阿部稜汰主将は明治大へいく。DFの名手でレベルの高い東京での試練に向かう。鈴木陽介、中別府柊太、後藤翔の三選手は宮崎産経大。FWで中軸の鈴木は一年後は正選手が期待される。濱松凛は大阪体大で大学選手権出場を目指す。この五人は附属中時代の三年前は全国中学校大会に進められず苦い想いもあるが、周囲では「将来はJリーグへ」と、未完の選手に拍手を送っている。早稲田一男監督(六〇)も、「宮崎サッカーの根性を見せつけろ」と、次のピッチを巣立つ選手にゲキを飛ばしている。

県内少年野球話題の頂点 ソフトバンクJの田上選手

 年末三日間札幌ドームで開催された、プロ野球ジュニア大会は、ヤクルトが優勝し、楽天が準優勝して閉幕した。十七回目を迎えた今大会でソフトバンクの田上賢芯捕手が三股ブルースカイ出身とあって県内のホークスファンから注目されていた。一六二㌢、六八㌔で強肩、強打の選手で、十一月の王貞治杯で優勝した頃からホームランを連打して、選抜されてからも紅白戦や練習試合でも百㍍近い打球(軟球)を飛ばし、「九州の大砲」と呼ばれ、他球団からも「要注意」と警戒された。

 

 予選リーグで中日と対戦し一対五、次もロッテ戦に〇対五と涙をのんで決勝トーナメント進出には及ばなかった。二試合で六打席四打数二安打。四球二個と、さすがに全国的な選手からの長打はなくいづれも中前にはじき返した。

 

 残念だったのは中日戦の七回に八十㍍フェンスに届く打球を左翼へ放った相手の左翼手が始めから後に守っていて、すぐラッキーゾーンに走り好捕。ネット裏に陣とったプロ関係者を驚かせた。打者強打なら、ジャンプしてとった左翼手も見事なシーンだった。

 

 田上選手にとって小学時代この上ない大舞台へ出場したことで大きな自信となったと言える。春からいよいよ中学へ進学だが、三股中の軟式か、それとも校外の硬式のクラブチームか関係者の争奪戦は必至の状況。県内少年野球から大会ごとに話題の頂点になっていた。田上選手の今後の野球人生が楽しみだ。

1月15日発行旬刊宮崎スポーツ

公立校の活躍にも注目! 高校サッカー新人大会

 高校サッカー県新人大会は、二十二日から五日間男子が四十校、女子が五校出場して行われる。会場は天然芝会場は季節的に避けて宮崎市内と綾町の計五ヶ所の人工芝会場を使用する、男子は上位二校が二月十四日から福岡開催の九州新人大会へ出場。シードは去年の新人、総体、一年大会、選手権大会の合計の成績順で、日章学園、宮崎日大、鵬翔、日南学園の順で私立校が強烈になっている。

 

 新人戦といえば新しいチームで横一線の出発でもあるが、進学校は前年五月の総体で三年生は進学準備のため勇退し、一、二年生がその後はチームづくりに入っている。十月の選手権大会も一、二年生で臨み学校によってはかなり強くなっている。全国大会はもちろん、九州大会でも行ければと考えているのはどこの監督も同じだが、半年以上もチームをつくっている進学校にとっては、今大会こそ上位進出のチャンスだ。

 

 四強シードと当たる決勝が大事だが、数年に一度でも進学校の強さを見たいもの。県北の進学校では県リーグ二部で健闘している日向。中学校時代校外のクラブでプレーした選手もいてMF坂本翔馬(富島)が主将としてけん引者。宮崎市内の四校も冬休みに地力をつけ、大宮に宮崎南は上位校候補。妻も油断ならないが、ディフェンスに速さをつけたいところ。冬休みは大分遠征で自信もつけている。泉ヶ丘もこれまで惜しい負けが続き、二部の上位に食い下がっての活躍。GK桂木響太郎(セレソン)は高さもあり、安定してきた。MF横山歩(同)も鍵を握っている。

 

 都城西は意外性のあるチーム。波に乗ったら、こわい。DF中村剣大主将(高城)がリードオフマン。状況判断がよく、MF西山竣(祝吉)は小柄ながら中盤でボールさばきが得意。一年生でDF関谷拓美(五十市)はどこでも守れる器用さは頼りになる。進学校全体の成績が気になる大会である。

今後の活躍に期待 駅伝の今西・山村両選手

 駅伝の盛んな西諸地区で、実力と人気者だった今西駿介・山村凱斗の両選手の第二の人生が始まることになった。二人は高原小からの幼な友だちで、今西は走ることにかけ、山村は野球から始まったが、中学時代長距離が速くよく駅伝部にかつぎだされた。その後、二人は小林高駅伝部に入り、他の名走者と走り続けた。今西は一年から正選手で三年連続都大路を走った。二年生のとき三区を任され二十二人を抜いて日本選手区間一位は記憶に残っている。

 山村も二度走りチームの入賞に貢献した。その後、今西は東洋大へ、山村は山梨学院大へと夢をもって進学。「西諸の星」は夢と希望をもって全国級の選手と走り続けた。しかし大学のトラックは厳しく今西は二年生で正選手に入ったが、箱根駅伝六区で苦戦。でも粘りと根性で三、四年生時も六区で区間二位。今年は区間新で走った。そして春からトヨタ九州に入社して実業団のエースを目指すことが決定した。

 

 山村は冷たいトラックが続きなかなか正選手の道は険しい歳月だった。歯を食いしばった練習も一万㍍も二十九分を切ることもなく、公式戦での出番はなくこの一年はマネージャーで卒業することになり、東京の一般企業に就職する。二人の友情はあつく、常に情報交換して会ったりしていたが、社会人として第二の人生で走ることになった。

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