宮崎伝説⑨ 平家の落人伝説(椎葉村)

 平家の落人伝説の地は、東北から九州まで百カ所を超えるといわれる。椎葉村もその1つ。それを物語るのが、『椎葉山由来記』と『椎葉の由来』の2つの歴史書で、江戸時代中期に編纂されたという。江戸時代以前の椎葉の歴史を伝え、いずれも平家の落人伝説に触れている。

 1185(寿永4)年、平家が壇ノ浦の戦で敗れ、平家の時代は終わる。その後、藤原景清(宮崎伝説①参照)などの落人伝説が生まれた。『椎葉山由来記』は、「生き残った者は、それぞれ命を永らえ、天運を待ち、豊後(大分県)玖珠の山に分け入った」と伝える。

 更に、「鎌倉(源頼朝)に知られることを恐れ、肥後(熊本県)阿蘇を経由して、当国(日向)に迷い込み、当地(椎葉村)でしばらく過ごすことになった」と記す。

 しかし、その後、頼朝の耳に入り、追討の命が下る。頼朝は当初、那須与一宗高に出陣を命じたが、宗高が体調を崩して弓の腕が鈍っていたため、弟の大八郎宗久を向かわせることになった。当時、大八郎は22歳。

 那須与一宗高は、屋島の合戦で、平家が軍船に掲げた扇の的を一矢で射抜いた弓の名手として有名。宗高は、「弟は、矢を1本も無駄にしない。自分よりも兵(つわもの)である」と代役を薦める。平家討伐の命を受けた大八郎は、大いに喜んだと『椎葉山由来記』は伝える。

 大八郎は、兄宗高の次男宗昌らを引き連れて出立する。豊後に到着後、阿蘇に入り、日向に抜けようとするが、肥後と日向の国境まで来ると、山が険しく馬を下りて歩かなければならなくなった。後に、大八郎が鞍を置いた場所を「鞍岡村」(鞍置が転化)と呼ぶようになったという。

 大八郎は、1205(元久2)年、肥後境の向山で平家の残党を討つ。平家側は、白鳥山麓の御池(みいけ)に本陣を張り、御池の下方2Kmの場所に陣屋を構えた。

 御池は湿地帯で、モミやツガ、ナラなどが茂る自然林の中にある。この時、平家側の見張りが、白鳥山一面に咲いた白いコブシや山桜(エドヒガン)を源氏の白旗と見間違え、源氏が大軍で押し寄せてきたと勘違いした。

 平家側は勝ち目がないと判断、生き残れる者は、五ケ荘(現在の五家荘=熊本県)など各地に分散して、再起の時期を待ち、それができない者は、自刃や刺し違えて命を絶ったと伝わる。いわゆる『御池悲話』である。

 『椎葉山由来記』によると、この後、大八郎は椎葉山に入り、平家落人の討伐拠点となる陣小屋を設けた。この時、小屋を椎の葉で覆って風を防いだ。当時、山に名前がなかったため、この地を「椎葉」と呼ぶようになったという。

 いよいよ残党を討とうとした大八郎の目に入ってきたのは、槍や弓矢をクワやスキに持ち替え、農耕を生業とする平家の残党たちの姿だった。大八郎は憐れみ、平家一族の氏神である厳島大明神を上椎葉の丘に祀った(椎葉厳島神社)。

 更に、戸根川の小丘陵に諸神を祀り(十根川神社)、京都市清水寺の観音菩薩を安置した。社の傍には、自ら植えたと伝わる八村杉(国指定天然記念物)が今も残る。樹齢800年と推定され、樹高54m、根回り19mある。

 大八郎は三年間、椎葉に滞在する。その間も残党を敵として討つには忍びず、鎌倉の頼朝には、「平家残党に再起の見込みなし」と伝えた。

 『椎葉山由来記』によると、召使の侍女に鶴富がいて、大八郎の寵愛を受けたとある。伝説によると、鶴富は平清盛の末裔。2人が共に過ごしたと伝わる住居が、鶴富屋敷だ。正式名は、『那須家住宅』と呼ぶ。

 築300年以上と推測されており、昭和31年、国の重要文化財に指定された。家屋前面に縁(廊下)が横一列にあり、住居の奥行きが8・64mに対し、長さは25・09mある。

 部屋は、「コザ」(神仏を祀る部屋)、「デイ」(客間)、「ツボネ」(寝室)、「ウチネ」(居間)、「ドジ」(土間)の五室あり、平安時代の寝殿造りとしての特徴を持つ歴史的建造物。昭和38年、防火のため茅葺(かやぶき)から銅版葺に変更した。

 3年の間に、鶴富は大八郎の子を身ごもる。同じ頃、大八郎に鎌倉から帰還命令が下る。大八郎は、「男子が生まれた時は、我が領地下野国(栃木県)に寄こせ。女子ならば、この地で育てよ」と言い残し、親子の証拠としての太刀『天国』と系図を鶴富に与え、椎葉の地を去る。 

 鶴富はこの後、女子を産む。那須家の血筋を大切に思い、成長した娘に婿を取らせて那須氏を継がせた。子孫は繁栄して、椎葉を支配する。戦国時代、椎葉を治めた那須氏は、二人の子孫といわれている。

 那須大八郎宗久は、伝説上の人物で、正式な歴史書に名前は一切なく、前述した椎葉の歴史書の2冊に記されているだけである。鶴富も同じく伝説の姫に過ぎない。しかし、これらが全て空説という根拠もない。       (おわり)

まだまだ出てくる不祥事 都城市議会 今度は地元神社に奉納

 都城市議会で12月8日の一般質問初日、母校の100周年記念行事実行委員会に対して、公職選挙法で禁止されている〝寄付行為〟を行った永田浩一、長友潤治の両市会議員が謝罪を行った。

 両議員は相変わらず、「認識不足だった」(長友議員)、「違法性に気づかなかった」(永田議員)と弁解するが、無知も甚だしい。都城市議会の議員の知識は、この程度だったのか。

 違法か、そうでないかも理解できずに市民の負託を受けたこと自体が間違っている。よくも「市民の信用を取りもどす」などと借りてきたような台詞が吐けたものだ。もともと信用などありはしない。

 今回の寄付した議員2人については、テレビ放映されたため逃れられなくなったのだろうが、肝心要の懲罰委員会の設置提案に動きはない。「謝罪したから…、寄付が戻ってきたから…、問題ない」というのか。開いた口が塞がらない。

 「三角光洋議員の市長選に関する贈収賄」「下山隆史議員の請願者に対する圧力」は言語道断だが、これらの倫理規定に抵触する議員の行為を見てみぬ振りの議員どもも同罪だ。過去に何度、同じことが繰り返されてきたか。

 議員同士のかばい合い、同じ会派内の隠ぺい工作はもちろん、中には金銭バラマキでウヤムヤにした事柄もあったのではないか。今は、議会が何を提案しようと、発言しようと全く信用できない。

 それどころか、新たな不祥事が、浮上した。2人の議員が、地元神社に幟を奉納していたのだ。宮崎県選挙管理委員会によると、神社への奉納は、寄付行為として扱われ、公選挙法第199条など規定する禁止事項に該当するという。 

 奉納した2人のうち、1人は、本紙が既に神社の宮司から名前を確認済み。し

かし、奉納時期が不明なため、議員就任後かどうかを確認できていない。仮に当選後に奉納したとすれば、公職選挙法に抵触することになる。

 都城市議会は、役所も議会もコンプライアンスの意識が欠落しているだけでなく、反省や更正などとも無縁らしい。将に、蛙の面に小便、馬耳東風、ぬかに釘、暖簾に腕押し、石に灸、沢庵のおもしに茶袋、豆腐に鎹(かすがい)…。

 殊に議会は、手の施しようのない程の低水準。都城市民に、一連の不祥事について話を聞くと、手厳しい答えばかりが返ってきた。「議員には、政治家が抱くべき理想や目標がない」「誇りを持って務めている議員などいない」。

 「議会で質問するだけで、結果については無頓着。何の目標も持っていない証拠だ」「金儲けだけを考えている議員ばかり。市民の暮らしなど頭にない」。

 「金銭的に生活できない者が、議員になるのだろう」「地域で目立つ者が議員になるだけで、何の期待もできない」。なかには、「都城市議会は必要ない」と答えた市民もいる。

 都城市議会は、舵取りを誤ったまま、ここまで来た。不都合が発生する度に方向を変え、ごまかし、その場しのぎで乗り越えてきた。しかし、遂に不祥事が露呈、既に後戻りできない所に来てしまったようだ。今こそ、市民が議会に鉄槌を下す時ではないか。

回避できるのは市民だけ 「座して死を待つ」都城市

 都城市議会の非常識は、とどまるところを知らない。前号で、選挙区内での寄付行為について報道したが、議会内部では、「寄付を返してもらったから問題はない」との意見が高まっているらしい。

 県立都城農業高校の創立百周年記念で、寄付したのは、永田浩一(寄付一万円)、長友潤治(五千円)の各市議。同農業高校によると、2人には既に寄付の全額を返還したという。

 「2人から、『返還してほしい』と申し出があり、永田市議は11月18日、長友市議は11月19日、それぞれ事務局で現金を受取った」(同農業高校)。しかし、こんな茶番でウヤムヤにすることは許されない。

 兵庫県で、市議2人と全く同じケースがあった。2012(平成24)年12月から翌年8月にかけて、当時の加西市長や兵庫県議ら七人が、母校の県立高校の創立90周年記念事業委員会に各1~2万円を寄付した疑いで、書類送検された。

 法や倫理規定などに違反したものは、社会的制裁を受けなければならない。まして、市民を代表する議員ともなれば、責任は重大である。何もなかったように見過ごす議会は、機能していないことの証拠でもある。

 それでも都城市議会の関係者によると、永田、長友の市議2人については、懲罰委員会の設置提案が浮上しているという。しかし、市議会が、今回の事件をどこまで真摯に受け止めているか疑問だ。百条委のように形式だけの可能性は十分ある。

 例えば、先の市長選で長峯誠参議院議員の支援業者から、「副市長の席をやるから市長選を下りろ」と迫られ、カネを持ち帰った三角光洋市議。武道館建設の請願書の請願者に電話で「取り下げろ」と強要した下山隆史市議。

 いずれの市議も同市議会議員政治倫理規定にいう「品位または名誉を損なう一切の行為及びその職務に関して不正の疑惑をもたれる」行為の禁止に抵触する。本来、議会は、このような不埒議員を排除しなければならないはず。

 しかし、寄付行為をした市議の懲罰委員会の設置に賛成すれば、三角、下山の各議員を代表する非常識市議は、「いずれ、自分たちにも仕返しがくる」と考えるはず。同議会は、この繰り返しを続けてきたに過ぎない。

 「もらったカネは返せばいい」「寄付がダメなら返してもらえばいい」。こんな暴論がまかり通るのが、現在の都城市議会だ。遂には、不逞の輩が幅を利かせ、自らの利益のためだけに血税をすすり尽す。

 腐敗が頂点に達し、既に自浄能力を失った都城市議会に何の期待が持てようか。現在の状態に終止符を撃たなければ、都城市は、〝座して死を待つ〟しかない。それを回避できるのは、市民だけだ。

宮崎伝説⑧ 「日向御前」(延岡・門川)

 県北で、女性を比喩する言葉に「日向御前」がある。おてんばや性格の強い女性を意味する。実在の人物を指し、本名を国姫といい、徳川家康の養女。正確には、家康の嫡男岡崎三郎信康(のちに謀反の疑いで信長の命により切腹)の次女熊姫の娘で、父は本多忠政。家康は、外曾祖父にあたる。

 1614(慶長19)年、延岡藩に有馬直純が、肥前国(長崎県)から国姫とともに入封する。前藩主の高橋元種が、親戚筋の罪人浮田左門をかくまったため改易。この後、日向延岡に5万3千石の所領を与えられた。

 直純は、1586(天正14)年、キリシタン大名有馬晴信の嫡男として、肥前国に生まれる。自らも洗礼名ミゲル(ミカエル)を賜ったキリスト教信者。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦では、加藤清正に従い、西軍の小西行長の宇土城を攻めた。

 その後、駿府城で家康の側近として仕えるようになるが、直純は、既に小西行長の娘マルタを妻にし

ていた。しかし、1610(慶長15)年に離縁し、国姫を正室として迎える。

 国姫は、直純に対して仏教徒になることを熱心にすすめる。直純も受け入れ、家康が帰依していた幡隋意上人(浄土宗知恩院33世住持)が九州に下向した際、得度(出家の儀式)を受けた。

 一方、国姫は1595(文禄3)年生まれ。1606(慶長11)年、11歳の時、福島藩主堀忠俊の正室として嫁ぐが、1609(慶長14)年に忠俊が改易となり、家康が引き戻した。この後、直純の正室となった。

 延岡藩へ転封後の直純は、新たに御番所を設けた。番所とは、他藩と出入りする物品に課税するための税関。通行人を取り締まる関所(幕府が設置する)とは異なり、藩独自で設置できた。

 延岡藩には、幕府が許可した御口屋番所(おぐちやばんしょ=主要往来の城下入り口に設置)が2カ所あったが、さらに、河内(日向・肥後・豊後界=高千穂町河内)、飛瀬(肥後界=五ヶ瀬町鞍岡)、廻淵(肥後界=五ヶ瀬町廻淵)、八戸(豊後界=渕北川町八戸)など11カ所に増やし、税収を増やした。

 一説には、国姫が、家康の曾孫で、普段の生活や化粧に莫大な費用がかかるために税収を増やしたのだろうと、伝わっている。人々は、これを、「日向御前の御化粧料」と呼んだ。後に起きた百姓逃散・一揆の火種となったと言われるが、真偽のほどは分からない。

 日向御前(国姫)の伝説は、多い。標高約250㍍、視界360度の愛宕山。古来、笠沙(かささ)山、笠沙岬と呼んだ(=古事記に由来)が、高橋元種が1603(慶長8)年、延岡城を築城する際、現在の城山の山頂にあった愛宕神社を移したことから愛宕山と改められた。

 愛宕山の山頂は、極天様(ごってんさん=天空を極める聖地)と称して崇められていた。男坂を設け、国主が直接斎(祭)主を務めていたため、かつては女人禁制の霊山だった。

 国姫は、延岡城から愛宕山を眺めているうち、登りたくなったらしい。 側近は制止したが、「女も人。人の行けぬ場所などない」と、臣下の婦女子を引き連れて、自分は馬を走らせ登り、女人禁制を破ったという。その時、奉納したと伝わる木造鳥居の一部(笠木部分)が、今も残っている。極天様の下手には、御手洗水神社があるが、国姫が手を清めた場所とも伝わっている。

 直純は1641(寛永18)年、参勤交代の途上、大阪屋敷で死去する(明石沖の船中の説もある)。享年56。国姫は、その8年後の1649(慶安2)年、江戸麻布の藩邸で没したと伝わる。法名は栄寿院。

 直純の孫永純の治世1690(元禄3)年、臼杵郡山陰村の百姓男女1500人が、村を逃げ出す事件が発生する(山陰百姓逃散事件)。過酷な上納米が原因だったらしい。翌年の10月、永純は越後糸魚川(新潟県)に転封され、有馬家3代、78年間の延岡領有は終りを告げた。

 門川町の庵川観音堂には、国姫が家康から賜ったと伝わる観音菩薩像が今も残っている。日向御前に仕えていた堂守が、転封の際に、遺品として本尊を有馬家から拝領したという。堂守が、信心供養を続けたところ、家運繁栄、無病息災が続いた。

 特に、安産・育児に御利益があるため、「子安観音」と呼ばれるようになった。その後、新たなお堂が建ち、正月18日、盆14日、彼岸中日を縁日と定めて祀っているという。有馬氏がキリシタンだったことから、マリア像との説もある。    (つづく)

宮崎伝説⑦ 百済一族の漂着(美郷町)

 7世紀初頭、中国で唐が建国された。当時、朝鮮半島は、高句麗、新羅、百済の鼎立時代。日本の大和朝廷は、大化の改新(645年)以降、百済と親密な関係になり、文化交流が頻繁に行われた。

 660年、唐と新羅が同名を結び、突如、百済を襲った。大和朝廷は、百済と協力して、663年、白村江で、唐・新羅の連合軍と戦ったが、惨敗する。これにより、百済は、400年余りの歴史に幕を閉じた。

 百済滅亡後、多くの百済人が日本に亡命してきた。伝説によれば、その中に2艘の船で、瀬戸内海に入り、安芸国(広島県)の宮島に漂着したが、追っ手を恐れて筑紫(福岡県)に向かった一行があった。

 船は嵐に遭遇、1艘は金ヶ浜(日向市)、もう1艘は蚊口浦(高鍋町)に流れ着いた。金ヶ浜に着いたのは禎嘉(貞家)王と次男の華智王のほか、乳母、側女官、舎人など十数人。一方、蚊口浦から上陸したのは、長男の福智王と妃らの一行だった。記録によると、756(天平勝宝8)年9月~10月頃のことという。

 禎嘉王は、百済の王で、21年間君臨し、その後、皇太子に王位を譲った。その皇太子が福智王だった。福智王が王位について3年目に内乱が起こり、日本に逃れてきたのだった。

 福智王は、宮居の地を決めるため、占いを行い、持っていた数珠を投げた。数珠は18里(約72Kmも飛んだ。福智王は、そこを火棄(比木=木城町)と名づけた。同じ頃、禎嘉王も定住の地を占った。すると、「西方7、8里の山中」と出た。そこは、神門(美郷町=旧南郷村)だった。

 その後、本国から追っ手が迫ってきた。戦いは、坪谷伊佐賀坂(日向市東郷町)で始まった。比木にいた福智王も知らせを受け、小丸川に沿って渡川から鬼神野経由で神門に駆けつけ、賊を滅ぼした。

 この戦いで、鹿(しし)を狩り、食料として援助したのが、地元の豪族益見太郎。俗に「どん太郎」とも言う。しかし、戦いの最中、華智王は戦死。禎嘉王も流れ矢に当たり落命した。今でも伊佐賀の土が赤いのは、この時の血が染みついたからだという。

 華智王は死後、伊佐賀大明神として祀られた。禎嘉王の墓は「塚原」と呼ばれ、現在も古墳として残る。この禎嘉王の御霊を祀ったのが神門神社。その後、亡くなった福智王は、火棄神社の祭神となった。852(仁寿2)年、火棄は比木に改称された。

 この伝説には、異説がある。王の一行は、百済から亡命してきたことになっているが、逃げてきたのは朝鮮半島からではなく、日本の都からではないかという説だ。仮に、亡命してきたとすれば、当時の朝廷に保護を求めてくるはずだというのだ。

 天智天皇の時代、百済からの亡命者は官僚として朝廷に仕えていた。天智天皇が没すると、日本古代史最大の内乱、壬申の乱が勃発する(672年)。結果は、天智天皇の弟大海人皇子(天武天皇)が勝利した。

 百済人は、敗れた天智天皇の子大友皇子側についていた。伝説にある王一行も壬申の乱で、逃げてきたのではないかというのだ。当時、都は近江(滋賀県)。この説だと、瀬戸内海から日向に向かったことも説明がつく。

 しかし、美郷町の百済伝説は、空説としてとどめられない事実もある。神門神

社に残されている銅鏡33面、鉄剣や銅矛1006本などの宝だ。なかには、奈良県の正倉院蔵と同一品の「端花六花鏡」(銅鏡)や東大寺の大仏台座下出土鏡と同型のものも含まれており、貴重な品が多い。

 同じような伝説が、田野町(宮崎市)にもある。漂着した場所は油津(日南市)。供は小姓1人。一行は、そこから北方の山の上に五色の雲がかかっているを見た。その雲を頼りに山中深く分け入った。

 その日は、北郷町(日南市)で一夜を過ごした。翌日、田野町の住人8人の男に出くわした。言葉が通じないため、男たちはカズラを振りながら「しゃくり舞」を踊った。8人は、王とともに田野町に戻り、宮居を建てた。

 王が百済で飼っていたツルが、宮居に飛来して、王を守るようにいつまでも居続けた。やがてツルは、頭の赤い丹頂ツルに変わった。ある時、王は、井戸に落ちて死んだ。王は、田野天建神社の祭神になった。同神社には、当時の鏡が今も残っているという。

 毎年12月になると、「福智王」が祀られる比木神社から、「禎嘉王」が祭神の神門神社までの約90kmを巡業して帰る「師走祭り」が行われる。百済王の子が父を訪ね、帰る祭りだ。1000年以上も続いているという。

 往路「上りまし」では、沿道で、かがり火を焚いたり、野菜など収穫物をフクロガミと呼ぶ袋に入れて差し出したりして、王子の一行を迎える。

 一方、復路「下りまし」は、オサラバと称して境内でナベやカマの炭を互いの顔に塗りつけ(へグロ塗り)見送る。これらは、現在の朝鮮半島の風習に通じる部分があるという。

 百済伝説は、1300年以上も遡る。空説か、史実か、今になっては確かめようもない。しかし、「師走祭り」が1000年以上も続き、神門神社の祭神が禎嘉王で、比木神社が福智王を祀っていることは、紛れもない事実だ。  (つづく)

宮崎伝説⑥「菊池一族の入山」(西米良村)

 銀鏡(しろみ)神楽は1977(昭和52)年、県内初の国の重要無形民俗文化財に指定された。1489(長享3)年に建立されたという銀鏡神社(西都市)の大祭(毎年11月12~16日)で奉納される。

 この銀鏡神楽などの米良神楽の共通の特徴は、懐良(かねよし、かねなが)親王の一子爵松丸(良宗親王)が、米良に入山した際、随行していた芸能者が伝えたのが、源流といわれている点だ。

 懐良親王は、足利尊氏が離反した後、吉野に南朝を樹立した後醍醐(ごだいご)天皇の第16皇子。天皇は、建武新政の再興のため、各地に皇子を派遣したが、懐良親王もその1人だった。

 1342(康永元=北朝、興国3=南朝)年、わずか九歳の懐良親王は、征西大将軍(征西将軍宮)の任を受け、九州制覇に向かう。1347(貞和3、正平2)年、九州西岸から上陸。翌年、肥後(熊本県)南朝方の菊池武光の菊池城(隈部山城)に入城して、征西府を開いた。

 この後、親王は、九州制圧を開始。1353(文和2、正平8)年、幕府方(北朝)の一色勢に攻められていた大宰府古浦城の小弐頼尚を菊池武光が支援、針摺原(筑紫野市)で一色軍を撃破した。

 ところが、1359(延文4、正平14)年、親王30歳のとき、頼尚が幕府方に寝返り、菊池軍を攻撃。これを迎え撃った菊池軍は、筑後大保原で大勝した(筑後川の戦・大保原合戦=日本三大合戦の一つ)。

 「太平記」によると、この戦で親王方は1,800人、頼尚方は3,649人と双方あわせて5,449人が討ち死にしたとある。2年後の1361(康安元、正平16)年、親王は遂に大宰府を奪取、九州を南朝勢力下に収めた。以後、10余年に及び、九州南朝は、全盛期を迎えることになる。

 当時、中国の明朝の洪武帝(初代皇帝=朱元璋)は、懐良親王を日本国王とみなし、倭寇鎮圧を要請した事実がある。それほど、勢いづいていた九州南朝も次第に陰りを見せ始める。

 1367(貞治6、正平22)年、室町幕府3代将軍足利義満の時、管領(執事)細川頼之が今川貞世(了俊)を九州探題に任命して派遣すると、南朝の包囲網を徐々に狭めていった。

 1372(応安5、文中元)年、貞世軍により大宰府は陥落。菊池軍も幕府方の軍門に下った。親王は征西将軍宮職を良成親王(後村上天皇第七皇子)に譲り、要害の地である高良山(久留米市)まで撤退した。

 しかし、高良山の攻防戦の最中、同年11月16日に菊池武光が死去。享年52と伝わる。更に、1373(応安7、文中3)年には、高良山も陥落。親王は、1383(永徳3、弘和3)年3月27日、筑後矢部で没したという。享年55。

 伝説によると、この後、菊池一族の石見守重為(菊池重為)が、親王の一子爵松丸(良宗親王)を奉じて入山(懐良親王一行だった説もある)。菊池氏は、米良氏を名乗り、一帯を支配する。入山した場所は、現在の元米良と伝わる。入山の時に迎えたのが、地元の豪族鈴木七郎民部少輔惟継で、現在の浜砂氏の先祖。

 良宗親王は、父懐良親王を偲び、村所に大王社(現在の村所八幡神社)を建立、生前父の好んだ神楽を奉納した。村人は、大王(懐良親王)を称え、米良氏(菊池氏)の物語を神楽の演目に組み入れ、伝承した。

 村所神楽は、その後、米良山系の村々に伝わり、越野尾神楽、小川神楽、銀鏡神楽、尾八重神楽などに伝承されたという。実際、村所神楽では、これらの歴史上の人物が登場する。

 八番「幣差」で降臨する「大王様」は懐良親王、「爺様」は良宗親王また良成親王、「婆様」は大王様の奥方、「七ッ面」は7人の孫(7人の公卿・武将の説もある)。更に、九番「住吉」の「八幡様」は菊池重鑑、「御手洗様」は八幡様の奥方と言われている。

 銀鏡神楽では、8番「西之宮大明神」で、銀鏡神社の主祭神懐良親王(=西之宮大明神)が降臨する。小川神楽には、菊池殿宿神(きくちとのしゅくじん)面が伝わる。武光が、懐良親王を肥後菊池城に迎えた際、自ら舞を奉納した時の面という。

 懐良親王の墓は、九州に数カ所あるが、公式の陵墓は、悟真寺(八代市)。ほかに、大円寺(福岡県星野村)、千光寺(久留米市)などが有力視されている。

 一方、終始親王を支えた菊池武光は、1870(明治3)年、菊池神社建立の際、父武時、兄武重とともに主祭神の一柱として祀られた。1902(明治35)年には、南朝への忠勤が賞され、従三位が贈位された。墓は、熊耳山正観寺(菊池市)の境内にある。      

                                              (つづく)

宮崎伝説⑤ 「関之尾の滝」、「ままこ滝」

都城市・小林市 滝にまつわる言い伝え

 「那智の滝」「華厳の滝」「袋田の滝」は、日本三大瀑布。中でも「那智の滝」は、落差は133mと単独の滝では、日本一を誇る。飛滝(ひろう)神社の御神体でもあり、古来、神聖視されてきた。2004(平成16)年には、世界遺産(文化遺産)に登録された。

 宮崎県では、「関之尾の滝」が、日本の滝百選に選ばれている。大淀川の支流庄内川にかかる滝で、落差18m、幅40mの大滝、男滝(用水路の余り水吐き口)、女滝(取水口)の3つの滝からなり、轟音とともに上げる飛沫は、周囲を圧倒する。

 滝の上には、幅80m、長さ600mに及ぶ甌穴(おうけつ=穴のあいた岩)群が広がっている。大きい穴は直径3mを超える。甌穴群は、1928(昭和3)年2月18日、国の天然記念物に指定された。この滝には、「女人哀話」の伝説がある。

 今から650年前、都城島津家初代領主の北郷資忠(ほんごうすけただ)公の時代(宝暦年間=1751~64年の薩摩藩時代との説もある)のこと。当時、領内きっての美人「おゆき」(『おしず』との説もある。『おしず』の名で供養墓が残されている)がいた。

 資忠公が、ある日、関之尾の滝を訪れ、中秋観月の宴(5月=ツツジの花見宴、2月=桜の花見宴の説もある)を開いた。腰元たちも招かれ、「おゆき」もその中にいた(地元庄内の娘との説もある)。

 「おゆき」が、資忠公に酌をした際、緊張して酒をこぼしてしまった(放屁の説もある)。「おゆき」は、無礼者とそしられ、それを気にして、宴が終わると、定紋入りの朱塗りの盃を胸に抱いたまま滝壷に身を投げた。

 「おゆき」の命日は7月18日と伝えられている。「おゆき」の辞世の歌として~書きおくも 形見となれや筆の跡 また逢ふ時のしるしなるらむ~が語り継がれている。

 「おゆき」の死を悲しんだ恋人の経幸(つねゆき)は、滝の上から何度も「おゆき」の名を呼び続けた。

そのうち、前述の歌を岩に刻み、いなくなった。以来、毎年、宴の日になると、恋人の呼び声に答えるように定紋入りの盃が滝壺に浮かび上がるという。

 現在も7月第3土・日曜日に供養行事「おゆき祭り」が続けられている。腰元に扮した女性5人が、滝の上から朱塗りの盃を流す。今では、恋人同士で男滝、女滝に酒を流すと必ず結ばれるというデートスポットにもなっている。

 「須木の滝」(小林市)にも哀しい伝説がある。別名「ままこ滝」「観音滝」ともいう。伝説では、滝の近くに若い木こりの夫婦が、幼い娘と暮らしていたという。

 ところが、妻が突然、病で死んでしまう。残された夫は、幼い娘1人を家に残して、山に入っていけない。かといって、娘を連れて山奥で仕事するには無理がある。やむなく、後妻を迎えることにした。しかし、後妻は、娘が邪魔で仕方ない。なにかにつけては、娘にきつく当たった。娘にとって、頼りの父は、朝早く家を出て、夕方遅くまで、仕事で戻らない。娘は、継母と終日暮らすしかなかった。

 娘が6歳になった。ある昼下がり、野良仕事を終えた母と娘は、滝の上の岩に並んで腰を下ろした。不思議にその日は、母が娘を膝に乗せ、髪をとかした。

 娘は、いつになく優しい母の膝の上で甘え、自分の帯と母の帯を固く結んでいた。母は頃合いを見計らい、渾身の力をこめて、娘を滝壺に突き落とした。2人の帯は結ばれたまま。滝つぼに落ちて行ったのは、母と娘の2人だった。

 以来、人々は、この滝を「まま子滝」と呼ぶようになり、2人の供養のため、滝の近くに観音像(岩観音)を祀った。これにちなみ、「観音滝」とも呼ぶ。

 「ままこ滝」は1933(昭和8)年、県の名勝に指定された。当時は、落差41m、滝壺の深さ22mと雄大さを誇っていた。しかし、1958(昭和33)年、綾南ダムの完成で落差は20mに半減、当時の面影はない。 

 日南市の「小布瀬の滝」(落差23m)にも同じような言い伝えがある。今から200年程前、継母が先妻の娘を殺害しようと、この滝の上の岩に2人で腰を下ろした。

 母は、娘を滝壷に突き落とすが、母親の腰紐と娘の腰紐とが結ばれていたため、2人とも滝壷へ落ちていった。その時、小布が枝に引っかかり残っていたため、人々は「小布瀬の滝」と呼ぶようになった。

 滝壷に龍が棲む滝、修験者の修行の滝、美女の棲む滝など、滝にまつわる話は、悲話以外にも全国で数多く存在する。伝説を紐解くことで、同じ滝でも一味違って見えてくる。伝説たる所以である。  (つづく)

宮崎伝説④ 「源重之」、「和泉式部」

高鍋町・国富町 平安時代の2歌人

 宮崎県高鍋町の蚊口浦に昔、1本の老松がそびえていた。「琴弾きの松」と呼ぶ。高鍋町によると、初代の松は、安永年間(1772~1780年)の記録に「樹齢400年、幹周1丈(約3.3㍍)」とある。明治15年頃に枯死し、今は数代目という。

 平安時代、日向守(国司)として赴任していた(記録にはないが…)という源重之が、この地を訪れ、老松のある景勝を称えた1首を詠んだと伝えられる。

 ~志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に志らぶる ことひきの松~(現代訳)風に吹かれ、松の枝が揺れてなびく音が、あたかも琴の音色に聞こえる~ この歌が由来で、「琴弾きの松」と呼ばれるようになった。

 実は、「琴弾きの松」伝説の場所は、県内に3ヶ所あった。延岡市土々土呂浜、日南市鵜戸神宮、そして高鍋町蚊口浦だ。今では、どの場所だったのかを確認する術はないが、明治初めに石碑が残っていたのが、蚊口浦だった。

 高鍋藩で、1781(天明元)年、絵師、歌人らが発起人となって、当時の藩主秋月種茂公に歌碑の建立を願い出たという。文字は、阪庭信義が書き、裏面には佐倉藩(千葉県)の儒学者渋井孝徳の碑文が刻まれている。

 源重之とは、36歌仙の一人で、歌集に現存する最古の『重之集』がある。源氏の祖である清和天皇の第3皇子、貞元親王の孫。冷泉帝(村上帝第2皇子)期、967(康保4)年に近衛将監(従6位上の官位相当)に任命され、同年11月に従5位以下に叙された。

 円融帝(村上帝第五皇子)期には、相模権守、信濃守のほか、肥後(熊本県)、筑前(福岡県)などの地方官(国司)を歴任。その後、陸奥国に下向して、同地で没したという(1000年頃)。

 現在、歌碑のある場所は、海から遠く奥まった場所にあり、大木の老松もなく、重之が詠んだ頃の面影はない。歌碑が、昔を偲ぶだけだ。

 平安時代、もう1人の歌人が日向国に下向した伝説がある。激しい性格で、恋多きことで知られる和泉式部だ。現在も読み継がれる敦道親王との恋を綴った「和泉式部日記」は、あまりにも有名。

 式部が日向を訪れたのは、病気平癒を願ってのこと。訪れた場所は、法華嶽薬師寺(国富町)。病(カサブタ)を患った式部は、日本3薬師に巡拝祈願をする。薬師如来とは、病患を救い、悟りに導く仏。

 越後(新潟県)米山薬師、三河(愛知県)鳳来薬師を巡拝したが、効果はなく、最後の頼みの日向(宮崎県)法華嶽薬師にこもり、平癒を祈願した。これが、現在の国富町深年の薬師寺と伝わる。

 法華嶽薬師寺は、718(養老2)年、行基が釈迦岳の山頂に釈迦如来の石像を安置、金峰山長喜院と号したのが始まり。その後、最澄(伝教大師)が、唐からの帰途に立ち寄り、薬師如来を自ら彫って安置し、真金山法華嶽寺に改号したという。

 式部は、法華嶽薬師寺で3年、渓谷(式部谷)の谷川で水行を続けた。朝夕を問わず谷川で身を清め、修行を重ねた。睡眠時には、背を柱に持たせる厳しい業も行った。

 しかし、祈願は届かなかった。式部は絶望して、辞世の歌を詠む。~南無薬師諸病悉除の願立てて 身より仏の名こそ惜しけれ~。式部が目を瞑り、谷に身を投げると、目の前に薬師如来が現れる。

 如来は、「村雨は 只ひと時のものぞかし 己が蓑笠そこにぬぎおけ」と反歌を詠んだ。式部が正気に戻ると、病気は治っていた。伝説は、そう語る。

 和泉式部は、974(天延2)年~978(天元元)年頃に生まれたと言われる。中古36歌仙の1人に数えられ、5歌仙の1人でもある。橘道貞和泉守の妻となり、父の官名が式部だったため、「和泉式部」と呼ばれた。

 敦道親王との間には一子永覚を設けるが、敦道親王が1007(寛弘4)年に早世。道貞との娘小式部内侍も1025(万寿2)年、死去する。式部自身の晩年は詳細不明。墓も全国に100ヶ所以上あり、伝説も九州から北海道まで存在する。宮崎では、西都市鹿野田に式部の墓がある。

 今から1000年以上も前、2人の歌人が、日向を訪れていた。1人は地方官、1人は業病の平癒を願っての下向と、全く境遇は異なる。しかし、当時を振り返れば、同時代を象徴する2人が、同じ日向に居合わせたことは、まさに奇跡といえる。ここに伝説のロマンが存在する。

  (つづく)

宮崎伝説③ 「徐副」渡来(延岡市)

不老不死の霊薬求めて 初の大陸文化伝来の地

 今から約2200年ほど前、中国が秦(しん)と呼ばれていた時代に、徐福(じょふく)という方士(ほうし)がいた。方士とは、呪術師や祈祷師、薬剤師、占星術・天文学者などのこと。

 時の皇帝は、初の中国全土統一を果たした始皇帝。紀元前219年、始皇帝は全国巡行に出る。途中、会稽山(かいけいざん=中国の歴代王朝で祭祀の対象。五鎮名山の中の南鎮)で、全土統一の功績の碑を建てた。

 この後に立ち寄った斎の瑯邪(ろうや)で、始皇帝は徐福から「東方の三神山である蓬莱山、方丈山、瀛州(えいしゅう)山に不老不死の霊薬がある」と渡航を具申される。始皇帝は承諾する。

 中国の伝説では、三神山は、中国の東方の海上に位置し、白衣を身にまとった仙人が住み、鶴や鳳凰(ほうおう=架空の鳥)が舞い、黄金の楼閣がそびえる不老不死の里。

 司馬遷が書いた『史記』には、徐福は紀元前219年に東方に出航したとある。しかし、霊薬を手に入れられなかったため、一度、秦に戻ってくる。『史記』によると、この時、「多くのサメに阻まれて、東方にたどり着けなかった。今度は射手を連れて行きたい」と弁解したという。

 紀元前210年、徐福は再び始皇帝に申し出て、「童男童女(若い男女)3000人と百工(様々な技術者)、大量の食糧と金銀財宝、五穀などを集め、出航した」(『史記』)。  

 『史記』には、「徐福得平原廣澤、止王不來」とある。つまり、徐福は平原広沢(広い平野と湿地)を得て、そこで王となり2度と帰国しなかった。その場所が日本だというのだ。

 徐福の存在は、当初、伝説の域を出なかった。ところが、1982(昭和57)年、中国で徐福の存在が確認された。江蘇省連雲市?楡(かんゆ)県金山郷が、かつての斎の瑯邪であることが判明。そこには、「徐福村」があり、徐福の子孫が暮らしているというのだ。

 徐福伝説は、日本各地に点在するが、宮崎県では、延岡市の今山八幡宮が有名だ。同八幡宮入り口の駐車場に「徐福岩」がある。徐福一行が上陸した際、船を繋ぎ止めた岩と伝わっている。

 今山八幡宮は、750(天平勝宝2)年、宇佐八幡宮を勧請(分霊して祀る)したもの。祭神は、応神天皇、神功皇后、玉依姫ほか、十柱。八幡の建立で、この地が繁栄したため「今盛んなる山」の意で「今山」と名づけられたという。

 それ以前、今山は「蓬莱山」と呼ばれていた。徐福が目指したのは、将に今山ではなかったかという。徐福岩の案内板には「今山の麓は太古太平洋の白波が打ち寄せる浜であった」とあり、昔は徐福岩のある場所まで海だったことが分かる。

 徐福の渡航目的は、「霊薬」だが、中国からの脱出を企んでいたとの説もある。秦王朝の時代、始皇帝の専制政治は凄惨を極めていた。焚書坑儒(書物を焼き、儒学者を穴埋めにした)、万里長城や阿房宮の建設工事での人夫酷使などの圧政に反発していたからだという。

 徐福が延岡市にもたらしたものは、最先端の医学、工業、農業(稲作)など。一般的に稲作は、弥生時代に朝鮮半島を経由して伝来したというが、五穀種子や農耕機、技術者などを従えていた徐福が伝えた可能性もあり、今山は大陸文化が初めて日本に伝わった場所とも言われている。

 宮崎県内では、このほかにも徐福伝説の場所がある。宮崎市芳士の蓮ヶ池史跡公園だ。園内には、古墳時代後期の横穴基墓があり1971(昭和46)年、国の史跡に指定された。

 言い伝えによると、徐福が上陸したのは現在の北九州付近。しかし、薬草が見つからなかったため、芳士(徐福の職業=方士が地名になった)周辺に停泊した。一行は海岸に出て、大きく美しい草を発見した。それはハマユウだった。帰国して始皇帝に献上したが、効果はなかったという。

 徐福伝説には、後日談があり、三国志期の後、統一を果たした孫権が、徐福について日本を探索させたことが伝えられている。結果、「徐福は霊薬を求めて日本に来た。既に死んだが、その一族は数万人になった」ことが分かったという。

 徐福伝説の地は、日本に30カ所以上あると言われる。現在、秦(はた)や畑、羽田を名乗る日本人は、徐福一族の末裔と言われる。遠い太古、徐福の日本渡来は、現実だったのかも知れない。  (つづく)

防災問題山積の延岡市 台風過ぎてポンプ車要請

  9月19日から20日にかけて宮崎県を襲った台風16号は、人的被害は少なかったは言え、甚大な被害をもたらした。県の調査結果(9月29日現在)によると、人的被害は、窓ガラスが割れ、破片でケガをした軽症が一人。

 しかし、住宅は、679棟が被害を受けた(9月29日現在)。うち、床下浸水は394頭、床上浸水は163棟、半壊3棟、一部破損が119棟だった。特に、日向・延岡市の被害が大きかった。

 日向市では、20日午前4時までの24時間で570ミリと、観測開始以来40年間で最大雨量を記録。延岡市北川町でも19日深夜から20日朝にかけて積算雨量は400ミリを上回ったという。

 このため、同町の郵便局、介護老人保健施設「蛍邑苑(けいゆうえん)」の1階部分が、約一㍍の浸水被害を受けた。「蛍邑苑」の約80人の入所者は、2階にいたので全員無事だった。実は、この「蛍邑苑」は、平成17年の台風14号のときも浸水被害を受けている。

 しかし、延岡市は、その後、何の対策もしていない。今回、浸水の高さが、偶然1メートルほどだったたため、人的被害はなかったが、場合によっては、5メートルほど浸水する。避難対策だけでは、限界がある。延岡市の危機管理に問題はないのか。

 県によると、今回の浸水の原因は、いわゆる「内水氾濫」。後背の山から流れ込んだ雨水が、河川に排水されなかった。北川の水位が上昇、このため樋門が自動的に閉じたためという。

 ところが、延岡市は、「蛍邑苑」周辺を遊水地(池)と誤認していた。遊水地とは、河川から水を誘導して一時的に貯留、洪水の被害を軽減させるための空き地などを指す。そのために〝霞堤(かすみてい)〟が、作られたというのだ。霞堤とは、洪水時に遊水地に水を導くための堤防をいう。

 しかし、「蛍邑苑」周辺は、遊水地ではない。「蛍邑苑」のある周辺は、旧北川町時代、町が宅地造成して、販売したもの。住宅地が、遊水地であるはずがない。なぜ、誤認していたのか。延岡市の危機管理のズサンさを示す1つの典型例と言えそうだ。

 県よると、平成9年の水害後、堤防の本格的な整備を行い、河川からの氾濫対策工事は進んだ。一方で、今回のような内水に対する防災対策は、全くと言っていいほど進展していない。

 内水対策の管轄は、延岡市。平成17年の台風14号のときも「蛍邑苑」は浸水したが、今回と同じ「内水氾濫が原因だった」(宮崎県河川課)という。しかし、その後、市は内水氾濫解消のための工事は行っていない。

 ここ3年ほど、大型台風は宮崎県を襲っていない。このため、延岡市が内水対策を先延ばししてきたことは十分に推測できる。首藤市長は、「今後、大雨の恐れがある時は国交省河川国道事務所が保有するポンプ車を待機できるよう国に要望する」と説明するが、台風襲来後に対策を立てるなど子供でもできることだ。

 市民の生命と財産を脅かす災害対策は、常に先手でなければならない。延岡市の防災対策は、ザルと言わざるを得ない。事前に2階にスペースをつくり、今回の台風では牛をその2階に移動させて、全頭救った畜産農家とは大違いだ。

宮崎伝説② 「稚児ヶ池」、「潮屋権現」

 人柱伝説は、日本全国に存在する。最も有名なのが、明治生まれの「知の巨人」南方熊楠(1941年没)の『人柱の話』に出てくる長柄橋の架橋工事だ。

 推古帝の時代(飛鳥時代)、垂水(現大阪府吹田市付近)の架橋が難工事だったため、村人が長者・巌氏に相談した。すると、長者は、「袴(はかま)に継ぎはぎのある者を人柱にすれば良い」と提言。

 ところが、村で継ぎはぎの袴をはいていたのは、当の巌氏だけ。このため、巌氏が人柱となって川床に埋められた。橋の完成は、『日本後紀』によると、812(弘仁3)年という。

 父親の巌氏が人柱になったと聞き、娘の照日(てるひ)は、ショックで口が利けなくなった。河内に嫁いだが、離縁された。夫に送られ実家に帰る途中、キジが鳴き、それを夫が射止めた。

 これを見ていた照日は、「ものいわじ父の長柄の人柱鳴かずばキジも射られまじ」と詠んだ。妻が口を利いたため、河内に引き返した。その後、推古天皇が巌氏の冥福を祈り、橋本寺(現大願寺)を建立したという。

 このような人柱伝説は、宮崎県にもある。その1つが、西都市の稚児ヶ池の長千代丸伝説だ。室町時代、伊東氏は都於郡(現西都市)を本拠地に日向一帯に勢力を広げようとしていた。城主祐立公の時代、配下の穂北城(伊東氏48城の1つ)に城主壱岐加賀守義道がいた。

 加賀守は当時、農業用水を引くため鶴ノ池(現稚児ヶ池)と呼ぶ場所に長さ100㍍ほど築堤して池を築いた。しかし、豪雨で度々決壊、近隣の村は大被害を受けた。

 村人が、石貫神社(祭神=大山祇命、西都市)に占いを立てたところ、「石貫神社の神力によって白と黒の2匹の大蛇が池の底に埋められている。その霊を鎮めるために人柱を立てなければならない」とお告げがあった。

 村人が協議をしていると、酒元の法元(ほうが)猶之助(ゆうのすけ)の三男長千代丸(14歳)が、国分寺の学業を終えた帰途に通りかかる。長千代丸は、「明日の早朝、浅黄色の着物に袴をつけた者が通るから、その者を人柱にすればいい」と言った。

 翌朝、その通りの人物が現れる。村人が、確認したところ、長千代丸本人だった。(無理やり捕らえられたとの説もある)。1428(正長元)年2月27日、長千代丸は、自刃して果てた。遺骸は、池の底八尺(約2.4㍍)の場所に埋められた。

 長千代丸の辞世の句~「梅の花散るを惜しむな鶯(うぐいす)の経は実となる南無や法華経」。以後、この池を『稚児ヶ池』と呼ぶようになり、以来一度も堤が切れたことはないという。

 同じような話が日南市にも残っている。飫肥藩第3代藩主伊東祐久公(飫肥藩中興の祖)の時代、1650(慶安3)年、新田開発のため、外ノ浦の防潮堤の建築工事を行った。堤工事は、地元の松田利右衛門の提案だった。

 脇元村界の尾崎から潮屋権現の森まで長さ三町59間、更に、潮屋権現から天ノ越の岡麓まで1町54間(総延長640㍍)の大規模な工事だった。堤防は、提案者名から「松田堤」と名づけられた。

 しかし、工事途上で、風波のため何度も破壊されたため、古来の風習に従い、「人柱」を立てることになった。時の庄屋が、「縦じま模様に横じまの布で繕っている娘はどうか」と言った。庄屋が家に帰ると、娘の「シヲ」がそうだった。

 その後、堤防工事は順調に進んだという。

 人柱に立ったシヲの霊を慰めるため、潮屋権現として祀った。その後、「伍社神社」に改称された。境内には、シヲの墓碑が残る。シヲの命日は、11月20日。なお、シヲの話は、第5代藩主祐実公の時代との説もある。    (つづく)

宮崎伝説① 「景清廟」

 浄瑠璃「出世景清」(作・近松門左衛門)などで有名な平安時代から鎌倉時代初期を生き抜いた武士、藤原景清(かげきよ)の墓「景清廟」(宮崎市下北方町)が宮崎市にある。隣には、一人娘人丸(ひとまる)が寄り添うように眠っている。
 藤原景清は、平氏に使えていたため、平景清とも呼ばれる。父親は藤原忠清。保元の乱で平清盛方に付き、弓の名手源為朝軍を打ち破った。景清は、その七男といわれる。若い頃、尾張(現在の愛知県)熱田の遊女との間に一人娘人丸をもうけて鎌倉に預けていた。
 悪七兵衛(あくしちびょうえ=悪は勇猛の意)の異名を持つほど勇猛果敢だったと伝えられる。景清の武勇伝は、平家物語11巻の「弓流」が有名だ。八島(屋島)の合戦で、源氏方の武将美尾屋(三保谷)四郎と力比べを行い、相手の錣(しころ=兜の首周りにある鉄や皮製のもの)を素手で引きちぎった。
 1180(治承4)年~1185(元暦2)年の源平合戦で、平家方で戦った。壇ノ浦の戦で平家が滅亡すると、戦場を脱出し、鎌倉に潜み、源頼朝の暗殺の機会を待った。しかし、寸前のところで警護の武士畠山重忠に捕らえられ、頼朝の前に引きずり出される。
 当然、死罪のはずだったが、頼朝は、景清の平家への忠誠心と非凡な武勇を惜しみ、自分に仕えるよう説得する。しかし、景清が固辞したため、僧侶として日向に追放する。時に景清32歳。
 日向での景清は、静かに余生を送ることを望んだが、日向の地でも源氏の繁栄を目にするにつけ、苦しんだ。遂に、苦しみ耐えがたく、「目が見えるから苦しむのだ」と自分の両眼をえぐり出し、投げ捨てた。
 落ちた場所が、現在の生目神社(宮崎市生目)で、両眼は境内の松(目かけの松)に突き刺さったと伝わる。
 生目神社は現在も眼病平癒の信仰が篤く、全国からの参拝者が絶えない。主祭神は、品陀和気命=応神天皇と藤原景清。古来、生目八幡宮と称していたが、1870(明治3)年、現在の生目神社に改称した。
 さて、盲僧となった景清は、その後、神仏に帰依し、帝釈寺の再興ほか、岩門寺、正光寺を建立したという。景清の物語は、浄瑠璃「出世景清」や能「景清」など多くの作品に書かれている。
 これらの作品は、一括して「景清物」と呼ばれ、現在でも上演される人気演目のひとつだ。この中に、景清の一人娘人丸が、盲僧となった父を尋ねて来るくだりがある。
 1人の従者を伴い、鎌倉から遠路、日向に下り、草庵を尋ねる人丸。それを知った父景清は、盲目の琵琶法師に身を落とし、乞食同然のみすぼらしい自らの姿を恥じ、名乗り出ようとしない。
 あきらめて、一旦は帰ろうとする人丸だが、里人から草庵の主が景清だと知らされ、引き返す。2人は再会を果たし、言葉を交わす。父は、「錣引き」など若き日の武勇伝を語り、死後の回向を頼み、わが子の後姿を見送る。
 よく知られる物語とは裏腹に、人丸は日向の草庵に残り、盲目の父の看病をしたという。しかし、父と娘の暮らしは、わずか数年で終りを告げる。1206(建永元)年9月、人丸が24歳で病死する。
 晩年、景清は娘の鎮魂のため、霧島神社参拝を思い立つ。その帰途、1214(建保2)年8月15日、娘の後を追うように息を引き取る。享年62。娘の死後、8年目のことだ。
 その時の遺骸が「景清廟」に祀られている。景清没後、琵琶を長光寺に安置。更に、景清の父母、景清、娘人丸の親子3代の廟堂が建てられたと伝わる。
 景清伝説は、全国に存在する。愛知県、山口県、茨城県、鹿児島県の各地に景清の墓がある。諸行無常に代表される景清の生涯は、古来、日本人の心に根強く残っているからだろう。 
 「景清廟」内には、景清が所有していたという硯(すずり)石が今も残されている。毎年旧8月15日(景清の命日)には「景清祭」が開催される。       (つづく)

都城市議会 不正議員の責任追及せず

 都城市議会では、不正カネを受け取った市議が、何の責任を問われないまま市議会に出席している。議長も他の市議も知らん顔なのだ。こんな腐れ切った議会がどこにあろうか。

 事の発端は、前回の都城市長選に遡る。平成24年当時、長峯誠市長が辞職したため、市長選が行われた。立候補した三角光洋氏は当時、長峯市長の支援業者から「副市長の席を用意するから、市長選を下りろ」とカネを渡された。

 三角市議は一旦、持ち帰り、1週間くらいの後、同支援業者の当時の専務に全額返還した。これについては、返したもらった当時の専務が「(三角氏が)朝早く自宅に来て、『社長に渡してくれ』と、カネの入った茶封筒を差し出した。私はその日のうちに社長に渡した」と証言している。

 しかも、三角氏本人も平成15年1月7日、本紙取材で、「カネを持ち帰り、その後に返した」と事実を全面的に認めているのだ。それにもかかわらず、都城市議会は、何の動きもない。市民からの議長宛の質問書に対しても、カネの授受は「個人的なことだから…」と回答を拒否した。

 都城市議会荒神稔議長は、本紙取材に対して、都城市議会政治倫理規程(倫理規定)では、「『議員は…』とあるため、あくまで個人的なことだ。だから、議長としては対応できない」と説明する。

 広報公聴委員会(上坂月夫委員長)も「議会報告会で、市民から質問があつたが、委員8人で検討した結果、『私的なこと』と判断した」(上坂月夫委員長)という。

 因みに、同委員会のメンバーは、上坂月夫、川内賢幸、下山隆史、永山透、佐藤紀子、福島勝郎、森りえ、畑中ゆう子の各市議。

 宮崎県選挙管理委員会によると、候補者に対して立候補を下りるようカネを渡した者、カネを受け取った者ともに公職選挙法223条に抵触する可能性があるという。

 荒神議長の説明のように同市議会の倫理規定の条文に「議員は…」とあるから「個人的なこと」というのであれば、倫理規定など糞の役にも立たない。

 勘違いしているのか、歪曲しているのか定かではないが、倫理規定にあるのは、議会が取り組まなければならないことを記載しているのだ。倫理規定に定められている以上、三角市議の金銭授受は議会の審査対象となる。

 しかも、公職選挙法にも抵触する可能性があるとすれば、議会の重要問題なのは言うまでもない。「個人的」「私的なこと」などで済まされるはずもない。よくぞ、これだけの無知議員が都城市議会に集まったものだ。

 議会が知らん顔をしている理由は、「新燃岳降灰収集運搬詐欺事件」調査特別委員会(百条委員会=6月解散)で証言があったように三角市議以外にもカネを受け取った市議がいるからとも考えられる。

 荒神議長は、「他の議員や会派から提案があれば、審査委員会や懲罰委員会を設置する用意はある」とも言っているが、実際は、カネを受け取った議員たちは、自分に降りかかる火の粉を消すのに精一杯。他の議員の問題など、構っていられないのだろう。

 中には、三角市議とは「友好会派だから、一人欠けても困る…」と見てみぬ振りをする市議もいる。議員の理論を振りかざし、都城市議会には、市民の気持ちを逆なでするような市議しかいない。

 池田市政は、長峯路線を引き継ぐ悪政の典型例。400件以上の不正な補助金支給を市民に隠し続け、年間残業代400万円にも眼をつぶる。市民の血税を湯水のように使う。

 悪政をチェックすべき市議会もザル。倫理規定違反の議員に対しても眼を背け、誰も何の追及もしない。実は、都城市議会では、金銭授受が日常茶飯事だったのではないか。議会の余りの体たらくに市民は呆れてしまい、腹を立てる気にもなれないようだ。

洪水と斜面崩壊の危険性 丸栄工業テクノビレッジ

 自動車部品の加工・販売の丸栄工業(愛知県岡崎市、高木繁光社長)が宮崎市瓜生野で進めるテクノビレッジ計画は、残置森林を伐採して開発したため、洪水などの危険性が増した。

 もともと同区域の東側崖下一帯の下畑地区一帯は、『宮崎市地域防災計画』の中で、急傾斜地(自然崖)に分類され、「危険度B」に指定されている。

 危険度については、A~Cまであり、Aが最も危険度が高い。崖の高さ、傾斜の角度、崖のえぐれ具合、表層の厚さ(厚いほど危険度が増す)、過去の被害などを考慮して点数制で区分する。因みにAは9点。6~8点がB、Cはそれ以下。

 下畑地区は昭和63年、急傾斜地に新規に指定された。当時は「危険度A」だった。その後、「いつ、どのような経緯で危険度Bになったのかは不明」(宮崎市土木課)。被害は、居住する八世帯と道路60mに対して予想されている。更に、同地区は『急傾斜地崩壊危険地域』(崖崩れが発生する恐れのある地域)、『急傾斜地崩壊災害危険地域』(崖崩れの発生によって災害の恐れのある地域)にも指定されている。その上の残置森林が消えたのだ。

 丸栄工業の開発地域は、過去3次にわたり開発が行われた場所。1次はゴルフ場(開発=昭和60年~平成3年)。2次は同ゴルフ場の付帯する駐車場(平成6年~同15年8月)。3次は、グランドゴルフ場(平成16年1月~12月)。

 この一連の開発で、宮崎市は開発業者と『残置または造成する森林(緑地)の維持管理に関する協定書を結んだ。更に、宮崎県は協定書の効力が続くことを前提に「残置または造成する森林の維持管理協定書に基づいた適切な管理を実施する」

よう要求していた。

 残置森林とは、林地開発などに伴い、確保しなければならない緑地をいう。通常は、開発する全敷地の4割以上が必要となる。ところが、同社は、宮崎市から土地開発計画に基づくテクノビレッジ計画の開発許可を受けた後、2次、3次開発で必要だった残置森林を駐車場や宅地に変更。結果、1次~3次までに残存していた緑地をことごとく伐採してしまったのだ。

 林地開発の規制は、森林が水源や災害防止、環境保全など公益的機能を持つため、森林を適切に利用・管理する必要性から行われる。森林法も①土砂の流出や崩壊などの災害防止②水害防止③水源の維持④環境保全―などを目的に開発許可の基準を定めている。

 九州大学農業研究院森林環境科学講座の久保田哲也教授の「『宮崎テクノビレッジ』の造成林伐採に伴う溢水侵食・斜面崩など防災上の問題に関する考察」によると、同地区の懸念事項は2つあるという。

 1つ目は、造成森林が消えたため、近年の降雨増加で溢水(洪水)が発生しやすくなっていること。2つ目は、予想される震度6~7の地震で亀裂が生じ、余震や降雨浸透などにより、斜面が崩壊することだ。

 久保田教授によると、造成地の喪失森林面積は、立ち入り調査結果などを基に平面図から測定すると、62,340平方㍍(計測上は62,353平方㍍)。うち、東側斜面上方(下畑側)は、2,800平方㍍(同2,765平方㍍)という。

 近隣の国富町は近年、雨が増加しており、『豪雨地域』という。東側斜面上方の周辺は、「通常の0、5㍍規格の側溝しかない」ため、「将来の強雨時に溢水する可能性は大きい。溢水すれば、その大部分が東側(下畑側)に流出する」という。地質も「砂岩や泥岩など土質強度は比較的弱い」という。

 一方、南海トラフ震源や日向灘地震(直下型)の際、下畑地区は「震度6~7が予想されている」(国交省、宮崎県)。東側周辺は「当時の谷を埋めて造成した区域」で、地盤は「脆弱」という。「その上には造成森林が存在したが、これも伐採され、森林根系による表層土質の補強効果が失われた」。

 過去の大型地震の調査結果などを参考にすると、下畑地区は、「将来予想される強い地震には無視できない規模の亀裂(幅1m、深さ1m)が生じる」ため、「下方斜面が余震時や亀裂への雨水の浸透で崩壊する事が強く懸念される」という。

 本来、防災のためだった森林は伐採され、しかも直下の下畑地区住民の生命や財産を危険に晒している。これらの状況を生み出したのは、宮崎県と宮崎市が、丸栄工業の開発を安易に許可したためだ。同社は、その後、植林をしたものの伐採前と比較すれば、話にならない程の小規模だ。

 久保田教授は最後に下畑地区について、「将来予想される大きな地震動および近年の気候変動に伴う著しい降雨量の増加を鑑みると、このような斜面崩壊や土砂流出の危険性は見逃せない」と、結んでいる。

 

長峯氏が百条委員と朝食会 感謝のつもりか?

 今年6月、都城市議会の新燃岳降灰収集運搬詐欺事件調査特別委員会(百条委員会、黒木優一委員長)が解散した。メンバーは「多数決による決定はしない」と豪語していた。しかし、長峯誠前市長 (現参議院議員)の告発(偽証罪)には多数決を採用、告発しないと決めた。

 しかし、長峯前市長以外の証人や野村メモによる当時の経緯と照合すれば、偽証罪に問われて当然のはず。それを委員会は多数決で強引に不採択にした。

 実は7月に入り、同委員会のメンバーのうち、長峯派の残党どもが長峯氏と朝食会を開催していたとの情報を得た。出席者の名前など詳細は不明だが、市役所そばのホテル「中山荘」で行われたことは間違いないようだ。

 議員か長峯氏のどちらが声を掛けたか分からないが、長峯前市長からすれば、百条委員会を牛耳り、自分に対する追及の手を緩めた残党どもに対して「ありがとう」の一言でも言いたかったか。一方、残党どもにしてみれば、長峯氏に対して、「よかった、よかった」とでも声をかけたかったか。

 これを知ったある市民は、「議会は腐りきっている」と吐き捨てた。「都城市では考えられないことが起きる」「長峯派の議員は、数の力で、いい気になりすぎだ」「百条委員会では、何の解明もできていない。市民をバカにするにもほどがある」など、市民たちは怒り心頭だ。

 百条委員会は解散したが、真相究明には程遠い結果に終わった。メンバーが、長峯氏と会食するようでは、端から結末は分かっていた。結局、茶番劇だった訳だ。

 前回の市長選の時、長峯前市長の支援業者から現金(金額は不明)を受け取った三角光洋議員の件についても議会に何の動きもない。話題にすら上っていないようだ。

 同じ会派の神脇清照議員は「三角議員は、カネを受け取ったことは認めているが、返したのだから何の問題もない。」と言う。しかし、この事実は、いまだに本人の口からも議会からも正式に市民には公表されていない。それでも問題ないと言えるのか。

 ある市民は、「長峯誠氏が市長になった時から、都城市は狂い始めた。それは、今も続いている」という。

 長峯市政時代、政治資金を捻出するための官製談合や国・県からの補助金のゴマカシなどに対する疑惑は数知れずあった。そのたびに長峯派の残党どもが、オコボレに預かろうとしていたとの情報も流れた。今回の会食も氷山の一角。残党どもを一掃しない限り、都城市に未来はない。

スーパー江南跡地再開、なぜ市が負担するのか?

 小林まちづくり㈱(柊崎庄一代表)が進めている小林市の中心市街地活性化基本計画の目玉、スーパー江南跡地の再開発で、新しい食品スーパーは遂に見つからなかった。代わりに、小林市商工会議所が入居するという。結局、商工会議所のためだけに、小林市が動いたに等しい事業だった。

 2年ほど前、肥後正弘小林市長は再開発について、商店街に協力を要請した。しかし、半数程が反発したため頓挫したという。次に商工会議所に依頼したところ、小林まちづくり㈱の設立となり、計画はスタートした。

 ところが、同社の計画はズサンの一言。当初、ビジネスホテルを予定していたが、補助金の対象外と知り、急きょ、食品スーパーに切り替えた。行き当たりばったりのその場しのぎだった。

 しかも、もともと資金に乏しく、国からの補助金が目的とも見られていた。株主を募り、4,500万円を確保したというが、「返金しない」の条件付という事実上の寄付だった。他人の懐をあてにした無計画の事業だったのだ。

 市はこれまで「事業は民間が進めている。タッチしていない」と言い続けてきた。しかし、その一方では、跡地を同社に賃貸する目的で、地主から1億2千万円で買い上げた。解体費用も建物補償といった意味不明な名目で1,400万円を支出した。

 本来、市所有の土地や施設を民間に提供する際は、入札等を行わなければならない。小林市の行ったことは、特定の業者を優遇する「利益供与」と非難されても仕方のない状況だ。

 しかも、これまで複合ビルに対する市の予算は、約2億2千万円(平成28年度=1億6千万円、29年度=6千万円)。それが、今後、五億円に跳ね上がるというのだ。経済産業省が補助金1億円を不採択したことで、急きょ、話が持ち上がったらしい。

 食品スーパーが入居して商業施設になるはずだった複合ビルには、市の「子育てセンター」と商工会議所しか入居しない。3~5階は賃貸マンションだ。地元に何のメリットもない、そんな民間ビルの建設費用を市が、なぜ、負担しなければならないのか。

 スーパー江南跡地の再開発は、小林まちづくり㈱が勝手に進めたもの。地元商店街に何の説明もしていないのが、何よりの証拠。もともと住民を蚊帳の外に置いた商工会議所に都合の良い計画だったのだ。国からの補助金が消えたから、市がその分を負担するなど、おかしな話だ。 

 株主から「寄付金の返還」の声も上がっている。寄付は当然、ビル建設が計画通りの商業施設として進められることが前提のはず。それが、別の施設に変われば、株主から「寄付金を返せ」と言われても仕方ない。

 まして、計画が頓挫し、ビルが建設できないともなれば、全額返金は当然のこと。返さなければ、「カネを持ち逃げした」に等しい。地元住民の協力を得られなければ、暗礁に乗り上げるのは最初から、分かり切っていた。

 事業を推し進めれば、出費が膨らむばかりだ。このままでは、「市に建物を解体してもらい、跡地を売りカネを手にした地主だけが利益を得た」結果になり兼ねない。今からでも遅くはない。地元や市民たちとじっくり話し合いをして計画を見直してはどうか。

       

 (燕)

宿泊券転売を即刻中止せよ 熊本地震からの復興願う

 熊本県が熊本地震からの復興を目指して発売した「九州ふっこう割」熊本宿泊券が、ネットオークションで転売されていたことが発覚、熊本県は「復興支援の趣旨と異なる」ことから、販売委託先の観光販売システムズ(名古屋市)を通じ、サイト運営者に出品情報の削除を依頼していた。

 「九州ふっこう割」とは、九州の宿泊やツアーが、最大で7割引きになる。熊本宿泊券は、1枚5千円分を1,500円で販売し、ひとり6枚まで購入できる。7月20日から販売を開始。3日目の22日には、完売した。ところが、同日午前中には、既にネットオークションに転売品として出品されていたという。

 同券の本来の目的は、熊本地震で被害のあった地域を中心に観光を応援するためのもの。国が180億円の予算を組んで進めている。都合で行けなくなった者も含まれているかもしれないが、それを転売して利益を得ようとは、言語道断。

 政府の試算によれば、熊本地震の被害総額は、5月時点で2兆4千億~2兆6千億円。うち、熊本県の経済損失は810億~1,130億円。大分県は100億~140億円と推計している。

 人的被害も大きく死者49人、行方不明1人、負傷者1,682人、避難者数約18万人以上。家屋被害は、全壊が7,996棟、半壊17,866棟、部分破損73,035棟。公共施設も248棟が被害を受けた。土砂災害も九州6県で、125件発生している。

 このような状況から少しでも早く復興することを願って始めた制度が、個人の利益のために利用されようとは…。仮に、自分が住む地域が同じ被害に遭い、被災者になったとしたら、どう考えるだろうか。憤りよりも〝情けない〟の一言に尽きる。

 サイト運営者の「ヤフー、楽天も転売情報を削除していない」(熊本県)のが実情。理由は、「法や条例に抵触していないためではないか」(同)という。仕方なく、熊本県は現在、「出品者に対して個別に削除を求めている状況」という。

 転売が、どれだけ復興に支障をきたすか、数字で見てみよう。正規で宿泊券6枚を使用した場合、3万円が九千円(1,500円×6)に割り引きされる。2万1千円(3万円-九千円)は支援金(税金)。つまり、3万円が熊本県で消費される。

 ところが、オークションの転売を利用して、2万円で購入すると、熊本県で消費される額は、差額1万円(3万-2万)に正規の購入費9千円を加えた1万9千円。残りの1万1千円は、出品者の利益とオークション手数料となり、ほぼ半分近くが消えていく。

 これでは、出品者とサイト運営者が税金を横取りしているのと変わらない。県が転売を禁止しているにもかかわらず、いまだにネットでは転売が行われている。サイト運営者は熊本県の復興を考えるなら、即中止すべきだろう。

 熊本県によると、今後も転売が続くようであれば、購入した本人の確認ができなければ、使用を禁止するような措置も視野に入れているという。但し、都合で行けなくなった場合などの問題があるため、慎重に検討したいという。

 日本中が、熊本県や大分県の復興を願って止まない。そのドサクサに紛れて、個人の利益を優先する輩は、〝死の商人〟と言われても仕方ない。「九州ふっこう割」熊本宿泊券の転売行為を即刻、中止してもらいたい。       (燕)

 

連載 テクノビレッジ土地問題(終)

 丸栄工業(本社・愛知県岡崎市、高木繁光社長)が宮崎市瓜生野で進める「テクノビレッジ開発」の土地は、もともとの開発会社イチイ開発が平成17年3月に工事費未払い分1億8,550万円について、丸磯建設(本社・東京、堀江秀哉社長)と譲渡担保契約を結んだ土地。同年10月、丸磯建設は突然、担保権を実行。その後、丸栄工業12億円で売却した。

 譲渡担保とは、通常の担保と違い、債権者が目的物を換価または評価し、残金があれば債務者に返還しなければならない。

 今回の場合、丸磯建設が取得した土地の評価額が工事費(1億8,550万円)を上回っていれば、残金をイチイ開発に返還しなければならない。このため、土地の評価額が重要になってくる。

 丸磯建設は当初、土地の鑑定を宮崎中央鑑定書(宮崎市、山口英之社長)に依頼した。結果は、8億3,500万円。

 これに対してイチイ開発は、都市開発研究所(東京、平澤春樹社長)に鑑定を依頼したところ、評価額は山口鑑定の4倍近い30億500万円だった。

 2つの評価額は、法定で決着することになった。一審では、新たにカワノ不動産鑑定事務所(本社・宮崎市、河野純一社長)に鑑定が委ねられた。結果、一審の判断は、11億9,016万円と評価したカワノ鑑定を採用した。

 しかし、同鑑定は、専門家の間では、多くの疑義が生じていたという。このため、イチイ開発は、桐蔭横浜大学法学部の田原拓治客員教授にそれぞれの鑑定書に対する分析を依頼、報告書の提出を求めた。

 これまで、みてきたように、同教授は、山口、カワノの両鑑定について、「正常価格とは、かけ離れた清算価格」を求めており、不当鑑定と断言する。「手法から間違っている」「開発法の適用も不可」などと指摘する。

 うち、山口鑑定は、10億円の造成工事費を投入した土地を1平方㍍あたり1,600円と、宮崎市内の田畑の価格千八百円より安く評価、不可解な状況になっている。河野鑑定も地域格差を操作して、意識的に土地を安くしようとする悪質な鑑定書という。

 とりわけ、カワノ鑑定は、開発地域が工業地や流通団地、商業地、住宅地など多様であるため、それぞれのゾーンの標準価格から評価しなければならないはずが、住宅地一種類で標準価格を求めている。

 これに対して「正常価格を求めているのは新井鑑定」。最大の違いは、実際に三菱東京UFJ銀行が担保権を設定した金額から導き出される評価額との比較だ。

 田原教授は、同銀行が平成20年に設定した担保額18億円から算出した評価額27億7,000万~30億円が、正常価格に近いとみる。最終的に27億7,000万円が相当との見解だ。

 一方、カワノ鑑定の評価額は、正常価格の4割5分(11億9,016万円)にしか過ぎない。丸磯建設が、丸栄工業に売却した価格12億5,000万円を意識した鑑定評価ではないかという。

 一方、山口鑑定は、更に3割程度(8億3,500万円)と破格値。こちらは、丸磯建設の債権額相当(未払い分約1億8,000万円と代位弁済6億8,000万,円)を不動産評価額として記したのではないかという。

 最後に田原氏は、譲渡担保について述べている。丸磯建設による対象不動産の譲渡担保実行は、造成工事費の未払い1億8,550万円を回収するために行われた。同社はその後、もうひとつの債務6億8,000万円を代位弁済して地位を得た。結果、丸磯建設は、27億7,000万円の不動産を手にした。最終的な土地の価格は、27億7,000万円から6億8,000万円を差引いた20億9,000万円だ。

 言い換えれば、イチイ開発は、単純に1億8,550万円の未払いのため、10倍以上の価値のある資産を取られたことになる。どう考えても丸磯建設のボロ儲けでしかない。田原教授もこの状況を「暴利行為」と評している。

 しかも、一審がカワノ鑑定を採用したため、判決は、「黒を白にしてしまった」と指摘する。最終的に、田原教授の言葉を借りれば、一審判決は、「重大な瑕疵がある不当判決」と言うことになる。 (おわり)

儲け主義に走る悪質主催者 ふるまい宮崎

 宮崎市で今月17日に開催された食のイベント「ふるまい!宮崎」で、48人が熱中症を発症して点滴を受けた。うち、6人が救急車で搬送され、更に3人が入院した。主催者は、「申し訳ない」と謝罪しているが、入場者の怒りの声は収まらない。
 主催者は、KAZE&Co(本社・鹿児島市)とスパークリング(宮崎市、尾上眞一代表)のメンバーで、実行委員長は、有川誠KAZE&Co役員。
 今回のイベントについては、テレビや新聞、バスのラッピングなどで大々的に宣伝していたため、開催の1カ月前からイベント内容についての問い合わせが多数行われていたという。これに対して、主催者は「熱中対策は万全」「子供用のプール等も用意している」などと胸を張っていたいう。しかし、実際は、何の対策も講じていなかったに等しいのが実情だった。
 イベント当日、午前中に気温が30度を超え、開場の午後2時半には、34度に達した。この時、会場入り口では既に、長蛇の列ができていた。入り口は一カ所しかなく、入場まで一時間待ちだったという。
 会場に入ると、人の頭しか見えないほどの混雑ぶりだったようだ。しかも、人気のブースは1時間待ち。ある子供づれの家族は、「子供の状態が心配だった。プールで水遊びさせようと思っても1時間待ち。主催者は何も対応してくれなかった」という。
 最大の問題が、飲み物の持ち込み禁止だった。熱中症対策に水分補給は欠かせない。それを禁止するのだから、「対策はなかった」と言われても仕方ない。水を求めて数カ所の売店に行くと、これまた1時間待ち。挙げ句に売り切れ。
 主催者側は、ドリンク持ち込み禁止について、「会場内で有料ドリンクを提供するため」と説明している。儲け主義に走り、明らかに来場者に飲み物を無理やり買わせようとした。「人の健康より、商売を優先した」という訳だ。
 この日の入場者は1万人。この件についても主催者は、「想定外の来場者だった」と弁解しているが、イベントのポスターには、「1万5千人の胃袋を10万食のふるまいが迎え撃つ」とある。1万人は想定内だったはず。
 それにもかかわらず、テントには1,500人しか入れない。「500ミリ㍑のペットボトル入り飲料水を1万本用意して入場時に配った」というが、実際には入場の際に受け取っておらず、「帰りにもらった」人は多くいた。
 宣伝文句と、実際の会場とは大違い。釈明もウソばかりで、もともと入場者を騙したイベントだったとしか言いようがない。将に『羊頭狗肉』。悪質な主催者といわれても仕方ない。熱中症対策を本当に考えていたか、どうかも疑わしい。
 仮に、気温の急上昇が予想外だったとしても当日、飲み物の持ち込み許可くらいはできたはず。猛暑日の炎天下で、水分補給もできず、日陰などの休憩場所もない。椅子もなく、立ちっ放し。入場者に拷問を強いたに等しい。当然、健康被害が起きることは予測できたはず。
 イベント以降も主催者側の対応に疑問があった。ネット上に書き込まれた入場者などからの意見に対して、「誇張と事実が混在している」との理由から、書き込み削除とSNSの運営中止を行った。これが、「情報操作だ」と、入場者の怒りを更に煽った。
 更に問題なのは、主催者が謝罪するにもすべてネット上で行っていることだ。誠意があれば、記者会見を開き、頭を下げるのが筋ではないか。「医療費の負担に応じる」と言っているが、公の場に出てくることからスタートではないのか。
 こんないい加減な会社役員が実行委員長であるイベントに対して、行政機関が名義とは言え、後援していたことも許せない。 イベントで、行政機関が後援していれば、一般的には「何の問題もない」と市民たちが思うのは当然。
 県や市の職員が実行委員会の口車に乗り、実態調査もせず安易に引き受けたに違いない。無責任な職員のやりそうなことだ。結果、商業主義に走る悪質な主催者によるイベントで、非常事態が起きた。行政側にも少なからず責任はある。
 後援した宮崎市によると、今回のような民間イベントについて、「手続き上の書類などの届出は必要だが、安全対策などの具体的な運営については、行政側は口出しできない。過去には、このような事態が発生したこともない」という。
 今後、再発防止を徹底する必要はあるが、民間イベントの熱中症対策など健康被害防止について、行政側がどれだけ介入できるようになるかは不明。「余り期待できない」(宮崎市)との声があるのも事実。それだけに、行政機関は実態調査した上で、安易に後援や協賛などを引き受けないことだ。
(燕)

テクノビレッジ土地問題② 山口鑑定の正体は「低額な清算価格」

 不動産の所有権移転の原因は、圧倒的に売買が多いが、譲渡担保によるものもある。丸栄工業が「テクノビレッジ開発」を進めている土地についても、もともとの土地所有者だった㈲イチイ開発と丸磯建設との間で、譲渡担保契約が結ばれた(平成17年3月30日)。

 山口鑑定は、丸磯建設から鑑定を依頼されたもので、造成工事の未払い分1億8,550万円を回収するのが目的。田原拓治桐蔭横浜大法学部客員教授(不動産鑑定士)によると、譲渡担保の不動産鑑定評価は、「債務の金額を考えて鑑定評価してはいけない。(中略)市場価格の正常価格を求めなければならない」という。

 山口鑑定は、「正常価格ではなく、正常価格からかけ離れた低額な清算価格を求めて、それを正常価格と称しており、これは不当鑑定ではなかろうか」(田原拓治氏)という。

 田原氏によると、そもそも山口鑑定は、「価格を求める手法そのものが間違っている」という。山口鑑定は、取引事例比較法と開発法で土地価格を求め、建物については原価法(山口鑑定は積算法と説明)を使っている。

 比較法とは、対象地と類似の取引事例と比較して価格を求める方式。実際の対象地は、「一部更地の宅地だが、過半が半造成地の規模大の土地」で、これと類似した土地の事例を比較するのが、適正な求め方だ。しかし、山口鑑定は適格用件を欠き、「失当」という。

 更に、①標準価格を求めるための標準画地が特定されていない②取引事例の説明不足―などの欠点もあるという。標準価格とは、標準画地の価格をいう。通常の鑑定書では、場所が明示されるが、山口鑑定では、「どこに設定しているのか、全く分からない」のだ。

 仮に、標準画地を「倉庫部分、共同住宅部分の前面道路沿い」としても、丘陵地を大規模開発して平坦な宅地にした「店舗等の敷地部分の標準画地としては、設定が間違っている」という。

 取引事例についても当該事例が、「最寄の駅からどの程度の距離か、どのような環境か、周囲はどのような土地利用か、などについての記載がない」。それにもかかわらず、交通接近や環境の条件の「地域格差修正を行っている」。

 このほか、建物敷地にするための整地や盛土工事などの宅地化工事費を考慮していなかったり、対象地から約20㌔㍍南にある地域で、「事例失格」の取引事例だったり、「信頼性を欠くおかしな鑑定」という。

 標準比準価格についても山口鑑定は、1平方㍍当たり7,700円と求めているが、求める方式や事例の選択と比較などに「多くの間違いと判断の誤りが見られることから不適正な価格と判断される」。

 結果、山口鑑定が求めた店舗や倉庫、共同住宅などの敷地価格には「妥当性がない」。実際、倉庫や共同住宅の敷地がどの地番・地積になるのか、山口鑑定ではまったく「不明」で、「公図と建物図面とを見比べて推測する」しかないのが実情のようだ。

 店舗等の敷地部分についても対象地は「丘陵の頂上部分を切り土して平坦にした広大な土地」で、しかも「地盤沈下が生じない」ため、「購入意欲に傾く土地」という。

 しかし、山口鑑定は、「有効活用利用度△40%」「総額としての市場性△40%」と減価している。これらについては、「具体的に合理的な(中略)理由を述べることが必

要」だが、それを示していない山口鑑定は、「作為的に著しく対象地の価格を安く評価している」という。

 結局、店舗等の敷地部分が、倉庫、共同住宅地価格の約3分の1の水準にあることは「はなはだ不自然である」と指摘する。

 山林・法面部分の1平方㍍当たり770円の査定についても「価格が適正であると担保するものが必要だが、山口鑑定には記載されていない」「周囲の山林の取引事例を示して妥当性を示す必要がある」が、示されていない価格に「信頼性はない」。

 更に、温泉源泉権の価値も欠落している。「愛和ゴルフ宮崎コース温泉1号井」と呼ばれるもので、地下2千㍍から47・7度の温泉が、毎分400リットル湧出する。約2億円の工事費をかけて掘り当てた。

 田原氏は、「対象源泉も充分な市場価値が存在する」「それを評価から欠落させるとは、専門家として重過失の行為である」という。このような状況から、「山口鑑定の比準価格に正統性はない」が田原氏の見解だ。

 一方、山口鑑定が土地価格を求めるのに開発法を適用していることについても対象地に開発法の適用は「間違っている」と断言する。造成後更地価格から造成工事費等を控除する逆算によって素地価格を求める開発法は、「本件の土地状況から判断して不可である」。

 本来、「原価法として素地価格に土木設計料、開発行為費用、造成工事費を加算して、造成工事費の出来具合を勘案して求めるべきである」という。

 建物価格についても、再調達原価の数値を記しているだけで、「数値がどのようにして求められたのか一切記載していない」。再調達原価は、1平方㍍当たり12万円であるという「根拠説明がない鑑定評価に信頼性はない」という。

 田原氏は、山口鑑定を「丸磯建設が本件土地の造成工事費代金を回収するために、清算するための資産の適正価格を把握するためだろう」「温泉権を見落とし、不適切な土地価格と不適切な建物価格を加算した鑑定評価額は、不適切であることは論を待たず、不適切を越えた不当鑑定の領域のものである」と断定する。

                                           (つづく)

都城市市長が不正を隠ぺい工作 国内最低の行政機関

テクノビレッジ土地問題①

桐蔭横浜大法学部客員教授 田原拓治氏の見解

 トヨタ自動車などの下請工場の1つ丸栄工業(愛知県岡崎市、高木繁光社長)が宮崎市瓜生野で進める「テクノビレッジ開発」の土地・建物について、鑑定額をめぐり新たな動きが出てきた。同開発地の大半は、もともとイチイ開発(宮崎市)の所有地。同開発グループの宮崎ガーデン(同)が、クラシックカー展示場や温泉施設、レストラン、ゲートボール場、広場などを含む複合娯楽施設を運営していた。

 

 長期入院できない高齢者のための養護施設や分譲住宅、子どものための遊具集合施設などを建設する構想もあった。これらの設計をダイヤエンジニアリング(鹿児島市、福田晄二社長)、建設を丸磯建設(東京、堀江秀哉社長)が請け負った。平成17年3月、宮崎ガーデンは、工事代金未払い分の1億8,550万円について、丸磯建設と譲渡担保契約を結んだ。同契約は、通常の担保契約と異なり、所有権を債権者に移行して、期間内に返済すれば返還する制度。

 

 同年10月25日、丸磯建設は宮崎ガーデンに対して突然、「10日以内に工事残金を支払わなければ土地建物の所有権は丸磯建設に帰属する」と督促状を送りつけ、その後に担保権を実行した。譲渡担保の場合、債権者が目的物を換価または評価して、残額があれば債務者に返還するのがルール。今回は、丸磯建設が取得した土地の評価額が、工事残金を上回っていれば、差額をイチイ開発に返還しなければならないことになる。このため、土地の評価額が重要になる。 

 

 当時、丸磯建設が鑑定を依頼した宮崎中央鑑定所(宮崎市、山口英之社長)は、8億3,500万円(平成19年3月1日時点)と評価。一方、イチイ開発は、都市開発研究所(東京、平澤春樹社長)の評価額30億500万円を主張した。両者は現在、評価額をめぐり係争中だ。第一審では、裁判所が依頼した平成19年5月1日時点での12億547万円、同20年7月30日時点で11億916万円のカワノ不動産鑑定事務所(宮崎市、河野純一社長)の評価額が採用された。

 

 ところが、専門家によると、一審採用の河野鑑定には多くの疑義があるという。今回、この3つの鑑定(宮崎中央、カワノ、都市開発)について、桐蔭横浜大学法学部客員教授で、不動産鑑定士の田原拓治氏が意見書を提出した(平成28年1月30日)。結論から言えば、山口鑑定(宮崎中央)、河野鑑定(カワノ)については、「不当鑑定」と断言する。一方、新井鑑定(都市開発)については、「価格を求める手法や事例の採用、比較などで間違いが認められる」と指摘するものの「シンジケートローンの価格から推測される市場が形成する正常価格に最も近い価格を求めている」と評価する。

 

 田原氏によると、「市場が形成する正常価格から程遠い価格を求めている山口鑑定、河野鑑定の不当性が問われないのはおかしい」という。田原氏は、土地の評価額について、丸栄工業を債務者として三菱東京UFJ銀行などが、対象不動産に18億円の抵当権を設定したことを引き合いに出している。 この18億円とは、単に、土地の価格ではなく、「貸出債権が不良債権になった場合、強制交換して債権を回収する金額」を指す。 

 

 このため、担保不動産の掛け目は、「一般的に0.6~0.7」。仮に、「0.6とすれば、適正価格は27.7億円」となる。同銀行は、「対象不動産の正常価格を27.7億円もしくはそれ以上と査定・判断した」。同銀行が、「銀行業務の中で設定した抵当権18億円という金額は重い数値であり、重視しなければならない」というのが田原氏の見解だ。

 

 同氏は、日本不動産鑑定協会(鑑定協会)についても「山口鑑定に次いで、河野鑑定を不当鑑定でないと誤判断してしまった為に、新井鑑定を不当鑑定にして、体面づくりをしているのではないか。自分たちの失態を隠そうとしているのではないか」と厳しく指摘する。

 

 山口鑑定と河野鑑定を適正鑑定と信じているのであれば、「鑑定協会は大きな間違いをしている。分かりやすく言えば、鑑定協会は競争価格を正常価格であると判断したことになる」「こんな判断しかできない綱紀委員会・委員長、および委員は責任を取って職を辞した方が良い」。更に、「新井鑑定について、綱紀委員会の説明におかしいのではないかの疑念を持たずに、新井鑑定を懲戒処分にした懲戒委員会・委員長、及び懲戒委員も責任を取って職を辞した方が良い」とまで述べている。

 

 田原氏は、一審の判決についても触れ、「間違いだらけの河野鑑定を適正であると信じ込んだ内容」で、「裁判官は、河野鑑定の価格は、競争価格より低い生産価格であるのに、それが分からず『正常価格』と判決文に書いている」。「河野鑑定は、鑑定人として、鑑定人宣誓した上での鑑定である」ため裁判官は、「全面的に信用して、その鑑定結果を採用して判決する」「不動産鑑定評価の知識のない裁判官としては、そうせざるを得ない」。「それだけに、裁判官に信用されている鑑定人不動産鑑定士は、しっかりした鑑定評価をしなければならない」という。次回から、それぞれの鑑定に対する田原氏の見解を紹介する。(つづく)

 

県教委の呆れた対応 金品授受に極めて軽微処分

 教科書会社が、検定途中の教科書を教員らに閲覧させ金品を渡したことが、宮崎県に関しても発生していた。しかし、県教育委員会(教委会)は、各市町村を通じて金品を受け取った32人に訓告処分を言い渡したに過ぎない。

 地方公務員の懲戒処分は、地方公務員法第29条に規定があり、①法律・規則違反②職務上の義務違反・職務怠慢③奉仕者にふさわしくない非行―の場合、処分できる。

 懲戒は、主に戒告、減給、停職・免職がある。今回の県の処分である訓告は、懲戒処分に至らない極めて軽微な処分。履歴書の賞罰欄に記載する必要はなく、経済的な損失もない。その場しのぎの〝茶番劇〟のようなものだ。

 しかし、今回の問題は、子どもたちの教育と直接係りあう教科書に絡む事件。閲覧した教員や教委会職員は35人。うち、33人が現金を受け取っている。教育の現場に携わる者が、いわゆる〝賄賂〟を受けたというのだ。

 ところが、県は、校長ら管理職6人については「文書訓告」、その他の教員ら26人に対しては「口頭訓告」と、極めて軽い処分。軽微な交通違反とは訳が違う。

 「日当などとして受け取った現金は、全員が全て返還した」「有識者の調査で教科書の採択への影響はない」などが理由のようだが、そんな話が世間で通用するはずがない。公務員の認識は、民間と余りにもかけ離れているとしか、いいようがない。

 〝金品を受け取った〟こと自体が問題であって、その後に返金しようが、教科書の採択に影響があろうがなかろうが、そんなことは関係ない。公職選挙法違反も当選落選に関係なく、金品の授受の事実があれば罪人になる。泥棒も盗んだ金を返せばすむのか。

 まして、子どもたちに社会のルールを教えるべき教育の場に携わる職員や教員による不正である。特に、金品の授受は、社会人としてもっとも恥ずべき行為のひとつ。その処分が「訓告」とは、反省を促すことにつながるはずもな

い。県教委会は、今回の事件の重大性を認識していないのではないか。

 公務員が不祥事を起こした場合、最終的に仲間内である公務員(今回は教育委員会が教員等を処分)が処分を決定する。結局、金品を受け取った33人は、名を公表されることもなく、履歴書にキズがつくこともない。

 本来、市民の奉仕者であるべき公務員の実態は、お互いにかばい合い、身内の利益だけを追求する。奉仕者人とは、かけ離れた存在と言わざるをえない。金品授受という醜い行為を行った教員等が、どんな面をして、子どもたちの前で教鞭を振るうというのか。開いた口が塞がらない。

 名前を公表し、保護者に説明し、保護者たちが納得してはじめて、教室に戻ることが出来るのではないか。子どもたちに対して、不正の事実を説明することもない。こんな低俗な教員等が、子どもたちの前で何を語ろうが、役になど立つものか。

 子どもたちの保護者は、そんな人間が教壇に立つことに抵抗はないのだろうか。

 (燕)

都城地域担い手協 不正交付400件の処理方法

修正すれば問題ないのか

 都城市を訴えた耕作放棄地再生事業に関わる損害賠償請求事件(原告=農業支援センター太陽、福田昇代表)は今年4月27日、福岡高等裁判所宮崎支部で、「本件控訴を棄却する」の判決が言い渡され、控訴人敗訴に終わった。

 事件内容は、都城市内の耕作放棄地で、土壌改良を行った控訴人(農業支援センター太陽=太陽)が、支払われるべきはずの交付金を受けられなかったことについて、都城市長、同市農業委員会の事務局職員らに対して国家賠償法に基づき、交付金相当額の支払いを請求したもの。

 控訴人の主張は、コーディネータ(農地相談員)である「福重らが控訴人に必要な手続きの指導・教示義務を負って」(判決文より引用)いたが、「福重らは主観的意図を持って控訴人に指導・教示を行わない違法行為を行った」(同)。

 「農地相談員が適切な指導を行って必要書類を揃えていれば、都城地域協議会(都城地域担い手育成総合支援協議会)の審査も肯定されていた」(同)。

 更に、「補助金交付請求書を受理した山矢(農業委員会事務局職員)は、これを都城地域協議会に提出義務がある」(同)ため、「山矢らの行為は(中略)耕作放棄地再生利用緊急対策事業において果たすべき義務に故意または過失によって違反」(同)したという。

 判決では、福重らと山矢の行為の違法性について否定。更に、「1年目の土壌改良を行った農業者にとって、2年目の土壌改良につき交付金が交付されるために、改めて実施主体(県都城地域担い手育成総合支援協議会、都城地域協議会)の審査を受けなければならないことは自明」と判断、控訴を棄却した。

 控訴人は、最高裁に上告した。判決の行方は専門家に任せるとして、判決内容とは別の大きな疑問が残る。都城地域協議会は、平成25年8月末までの間に交付金事務に関して400件以上も不正に交付金を交付していたにもかかわらず、なぜ、太陽に対してだけ、頑なに支払いを拒み続けたのか。

 都城地域協議会は、①事業者の押印がない②添付写真がない③作業日誌がない④領収書がない―など交付金申請書に関する不備や①支払い根拠の領収書がない②交付金未払い―など支払い時の不備が存在したにもかかわらず、事業者に交付金を支払っている。

 本来、400件(正確には417件)に関しては、交付金を支払ってはならない。しかし、実際には支払いの根拠がないにもかかわらず、簡単に交付されている。むしろ、こちらの方が大問題だ。

 都城市のやっていることは、「何の審査も行わず、請求があれば交付金を支払うことと同じ」(都城市民)。本来、不正が発覚すれば、申請は無効となる。申請書を再提出させるか、交付金を返還させるかしなければ、業務は成立しない。

 民間企業で同じようなことが発生すれば、責任者は、解雇を言い渡された上に損害賠償を請求される可能性が高い。これに対して、都城市が不正を行った場合は、誰一人、責任を取ることもない。故意でも過失でも〝ミスがあったら修正すればいい〟といった考えのようだ。

 平成27年9月15日、県地域協議会は、九州農政局に対して、417件(県の報告では380件)のうち、318件を是正したと報告するだけ

ですんでいる。

 しかも、是正したか、しないを○Xで表したA4サイズ用紙わずか4枚のチェックリストを添付しただけの資料。不正をやっても、いい加減な報告ですむのだから、都城市は役人天国だ。挙げ句、コーディネータ(農地相談員)が国から交付金を騙し取った疑惑の事件(本紙1523号参照)についても同市は、何の調査も行わず、農地相談員の言い分のみの報告書を県に提出した。池田宜永市長は、これで責務を逃れたと考えているようだが、開いた口が塞がらない。

 業務を果たさすことなく巨額の退職金を手にして、円満に退職していく職員たち。彼らと結託して私腹を肥す企業や議員たちもいるようだ。都城市は、およそ行政機関の体をなしていない。その頭が池田市長だ。

 無論、頭の下がるような思いのする職員は、山ほどいる。しかし、一部の心無い幹部らの仕打ちで、泣き寝入りしている市民が多いことも事実だ。こんなデタラメな都城市政を市民たちは、どう見ているのだろうか。 (燕)

遺産株めぐり「ニトリ」も… お家騒動大塚だけじゃなかった

 大塚家具が、衝撃的な社長交代劇で、お家騒動が表面化したのは記憶は新しい。だが、それに勝るとも劣らない骨肉の争いを続けていたのが、ニトリホールディングス(本社・札幌市、白井俊之社長)だ。

 同社は今年1月26日、似鳥昭雄社長(71)が代表権のある会長に就き、白井俊之副社長(60)が社長に昇格する人事を発表した。

 似鳥昭雄氏は、SPA(製造小売業=製造から小売りまで一貫して行う)による低価格路線で、市場を開拓・拡大してきた。平成28年2月期には29期連続の増収営業増益を達成した。

 中国や台湾、米国に進出し、店舗数は現在、国内外で400点を超える。文字通り、国内トップ企業に育て上げた。しかし、同社は、決して順風満帆ではなかった。骨肉の争いがあった。

 平成元年7月、昭雄氏の父親である似鳥義雄氏が死去。その半年後、みつ子氏は不動産、弟と妹らは現金1千万円ずつを相続した。昭雄氏は、ニトリ株とその関係株をすべて相続した。

 平成19年、昭雄氏は、みつ子氏と弟、妹2人の家族全員(4人)から、義雄氏が所有するニトリ株を4人の同意なしに不当な手段で相続したと訴えられた。ニトリ株の争奪戦が始まったのだ。当時、ニトリは好成績で、株は200億円に相当するほど膨らんでいた。

 裁判の争点は、ニトリを「誰が創業したか」だった。昭雄氏は、「父はニトリ経営と無関係。父名義の株も自分が出資した。相続して当然」と主張した。判決には、4年以上かかった。

 第一審(札幌地裁)は、「家族全員の労苦があった」と判断しただけで、創業者については触れていない。義雄氏名義のニトリ株の相続については、遺産分割協議書に違法性はない」と昭雄氏の言い分を全面的に認めた。

 原告側は、札幌高裁に控訴し、平成24年、昭雄氏は和解案を受け入れ、母親の主張「家族全員でやった」を認めた。昭雄氏は、和解金支払いのため、平成25年10月、ニトリ株の大半を資産管理会社トリ商事に売却。

 それまで、昭雄氏は株保有率12・4%と筆頭株主だったが、売却で2・98%減り、逆にニトリ商事が13・9%を保有する筆頭株主となった。

 多くの企業は、個人商店からスタートする。ニトリも創業時、似鳥家の小規模な商店として産声を上げた。その後、昭雄氏が辣腕を振るい、ニトリを国内外のトップ企業に育て上げた。

 一方で、遺産問題について、昭雄氏は、先代から相続したニトリ株を最後まで肉親に渡さず、金を支払い縁を切った。これが、昭雄氏の骨肉の争いに対する解決方法だったようだ。

監視カメラの映像流出 犯罪につながる可能性も

 今年1月中旬、ニュースで世界中の「監視カメラ」の映像をネットでのぞくことの出来るサイトが紹介され、話題になったことは記憶に新しい。防犯目的で設置したはずが、逆に犯罪行為を助長する可能性が出ている。知識不足の業者や設置者が「便利だから」と、安易に設置しているのが原因のようだ。
 問題になっているサイトは、ロシアの「insecam」。クローラーと呼ぶプログラムで、ネット上の監視(防犯)カメラを探知するもので、世界120カ国の監視カメラ約25,000台の映像をリアルタイムで配信する。日本国内でも7,000近い監視カメラが、対象になっているという。
 監視カメラは、自宅の敷地内や部屋、マンション、屋外、公園、コンビニエンスストア、スーパーマーケット、事務所、デパート、老人ホーム、保育園のほか、工場や倉庫、歯科医、中には某役所内を映し出す映像もあるようだ。
 しかし、これらの映像が流出しているのは、ハッキング(他人の通信システムを不正に操作して情報を入手する)した訳ではなく、簡単にパスワードを解読できるためという。
 監視カメラには、インターネットへの配信機能があるが、設置者や設置業者が知識不足のため、パスワードを初期設定のままにしているため、外部から簡単に閲覧できてしまうらしい。
 たとえば、5桁や6桁のパスワードが、同じ数字のの繰り返し(111111や222222など)や簡単な配列(123456や987654など)の場合、簡単にパスワードを解読されてしまう。
 しかも、初期設定のパスワードを入力することは、不正アクセスにはならない。むしろ、設置者や設置業者の知識不足が問題で、初期設定のままだったり、適切に設定されていなかったりしたことが原因で、外部からのぞかれているのが実態のようだ。
 解決方法として、パスワードを適切に変更することはもちろん、監視カメラを閲覧するための専用回路を引くことも必要だろう。カメラを設置する際、設置者がパスワードの変更を確認するのを設置業者が見届ける方法も考えられる。
 犯罪防止のため、個人や会社、自治体などが設置している監視カメラは、現在、国内で300万~400万台が設置されているという。犯罪が発生した場合、実際に犯人の手掛かりに役立っていることは間違いない。
 しかし、犯罪抑止力や犯罪発生後の効果などとは裏腹に監視カメラの流出が、犯罪を助長することも考えられるのだ。例えば、店内の映像が24時間、ネット上に流出した場合、「何時から何時までは店内には誰もいない」などといった情報がキャッチされる恐れがある。
 当然、店の留守が確認できれば、強盗に及ぶことも考えられ、犯罪につながる可能性は高い。場所や人物を特定できれば、DV(ドメスティックバイオレンス)やストーカーから逃れていた被害者が、再び被害者になる可能性もある。
 宮崎県内でも流出場所があるという。画面では場所は「TOKYO」と表示されているらしいが、「日向市駅前の監視カメラの映像のようだ。宮崎市の橘公園周辺の映像もある。間違いない」と、本紙に読者から連絡があった。
 監視カメラについて、専門家は「本来、設置する側が、不正に利用されないように管理する責任がある」という。流出を許した設置する側の知識不足が大きな問題だという。
 宮崎市生活安全課によると、宮崎市内の監視カメラの設置は、届出する必要はない。このため、「民間の設置場所や数などは把握していない」という。ただし、今回の問題を契機に、今後、設置者に対する啓発や知識向上のための活動を検討していきたいという。
 ネット社会では、様々な情報の流出により、想定外の犯罪が発生することを前提にする必要がありそうだ。監視や防犯目的のカメラの映像がネット上に流れるなど誰が想像しただろう。しかも、ネットなど通信システムは、今後も急速に発展するに違いない。
 「便利だから」「役に立つから」「手間が省ける」などといった理由から安易にシステムを導入するのではなく、一定の知識を備えることを前提として、システムを利用することが必要ではないか。 

「烏合の衆」、「無能議員の集まり」

都城市百条委 まるで他議会の縮図!

 都城市議会が設置した新燃岳降灰収集運搬詐欺事件の調査特別委員会(百条委員会、黒木優一委員長)が最終段階に入ったようだ。方向性は定まらない上に大半の委員が協力しない〝烏合の衆〟で、一体、どうまとめるというのか。    
 同委員会は、スタートからつまずいた。当初、12会派の会長が委員になるはずだったが、当時の都伸クラブの江内谷満義会長が裏切り、黒木優一議員に譲った。江内谷議員は一昨年9月、本紙の取材に対して「黒木議員が『やりたい』と言ったから譲った」と答えたが、長峯派と手を握ったことは間違いなかった。 
 この結果、長峯派の黒木議員が委員長、三角光洋議員が副委員長に選出され、委員会は長峯派に牛耳られる格好になった。事実を解明しようとするメンバーは少数で、大半の委員は非協力的だった。委員会が機能しないのは、当初から分かっていた。
 百条委員会の目的は、詐欺事件の実態を調査することだった。当然、長峯市長下での環境行政の実態を暴く必要もあった。しかし、委員会の実態は、方向性とまるで異なり、一向に進展しない。委員長ほか、非協力メンバーは除外すべきだった。
 まず、黒木委員長の進行が、事実解明を阻止し続けた。証人に対する質問が核心に触れると、質問を中断するのだ。事実を述べようとする証人の発言を遮ったこともある。明らかに長峯誠氏(:現参議院議員)に不利な質問や発言を止めるなど、委員長の態度は露骨だった。
 委員のダンマリもひどかった。証人尋問での質問回数が、余りにも偏り過ぎた。300回を越える委員がいる一方で、2ケタ回数に満たない委員も数名いた。事実解明に協力しない委員たちを入れ替えるべきだった。
 目標を定め、実現しない場合は当然、委員長だけでなく、メンバーを入れ替えることは出来たはず。結局、時間が過ぎるのを待つばかりの委員が、大半を占めた。もっとも首のすげ替えだけでは解決しないことも確かだが…。
 尋問した証人は、30人以上だったにもかかわらず確実な証言は、予想以上に引き出せていない。問題点を絞り込めないため、証言も焦点がズレていた。中には、〝偽証〟と疑われる証言も複数あったが、それも放置したまま。
 事件の主犯と見られる証人を出頭させられない大失態も演じた。出頭拒否に対して告発したものの不起訴処分に終わり、恥の上塗りとなった。結局、都城市議会は、談合三昧と思われた長峯誠市長下の状況と何も変わっていないのだ。
 事件の重大さから一昨年9月、都城市議会は体面上、百条委員会を設置してはみたものの証人尋問を繰り返すだけで、何一つ解明できていない。こんな状況下で、委員会は、〝報告書〟をまとめなければならないのも議会自身が何の浄化も行ってこなかったことが原因だ。
 都城市民たちが選出した議員たちは、最終的に無能と保身をさらけ出しただけだ。都城市民は、議員たちの頭の中に〝市民の負託を受けている〟〝市民の利益を優先させる〟などといった議員として当然の意識など、露ほどもないことに気づいているのだろうか。
 無能議員の集まり。烏合の衆。様々な負の課題を孕んでいる都城市議会の百条委員会。しかし、この愚かさを他の議会が、果たして笑えようか。むしろ、都城市議会の百条委員会は、他の議会の縮図にすら思えるのだ。   (燕)

怒り収まらない事件 産廃横流し環境省報告 他に転売ないと言うが

 廃棄食品の横流し事件を受け、環境省が実施した産業廃棄物処理業への立ち入り検査の結果(中間報告)、ダイコー以外の転売はなかったという。事件の概要は、食品販売業者などから産廃として処理を依頼された産業廃棄物処理業ダイコーが、その産廃を食品会社みのりフーズに売却していた。その一部が、スーパーや生肉店などに並んでいた。言い換えれば、食品会社が産廃処理業者からゴミ(生ゴミ)を買って、食品として流通させた事件だ。

 

 〝見つからなければ何をやっても構わない〟のレベルではない。消費者が食中毒になろうが、どうなろうが、金儲けのためなら何でもやる、といった手口だ。企業のコンプライアンスなど、影も形もない。会社の使命である〝社会貢献〟など、微塵もない。怒りが収まらないほどの事件だ。 それにもかかわらず、ダイコーの処分には納得できない。本来、産廃は『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』(廃掃法)に従って処理される。その際、マニフェスト(管理票)に処理方法などを記載して、交付しなければならないことになっている。


 ダイコーの罪は、同法で禁止されている、この虚偽の管理票を交付した(同法12条の4)に過ぎないのだ。しかも罰則は、「6月以下の懲役または50万円以下の罰金」(同法29条)。軽すぎると、感じる消費者は多い違いない。刑事事件と違い、今回のように行政法で処分する場合、大々的な社会問題になる反面、罰則が軽いといった矛盾がある。所轄庁の指導に従わない場合にのみ、ペナルティが科せられるため、罪の意識に欠ける難点もある。

 

 専門家によると、廃棄処分される食品は多過ぎて、どれくらいなのか、把握できない程らしい、ましてや行政機関が監視するなど到底、ムリだという。被害にあわないためには、例えば、商品が安過ぎるなどについて、常に消費者が疑問を持つことだという。ゴミの排出業者についても、食品を切り刻んだり、押し潰したりして、商品価値をなくした後にゴミとして排出することが必要ではないかという。

 

 これでは、社会に対する信用は全く消えてしまう。自治体から環境省への報告内容すらも疑いたくなる。本当に転売事案はなかったのか。

都城市議会百条委 長峯誠証人(下)

 前回に続き、長峯誠参議院議員の尋問から。
 質問-野村メモ(野村秀雄元副市長が平成23年2月~3月当時の長峯市長とのやり取りを記載したメモ)には、一般廃棄物収集業務の委託について、証人は、平成23年度から組合に委託されないと知って決裁を拒否した。環境業務課の課長は、組合への委託は平成24年からだと考えていた。
 野村副市長(=当時)は、直ちに清掃公社の堀川渉社長に電話したが、堀川社長は「何も決まっていない。組合で一括して受託できれば良いが」と答えたとある。事実か。
 証人-官公需法に基づき、組合に発注することを実行しているに過ぎない。
 質問-野村メモには、更に、市長が「組合に実績がないといった理由で、組合への委託が先延ばしになっている」「組合からも発注してくれといってきている。直ぐ、私の指示だと言って、組合に発注するよう起案してくれ」と言ったとあるが事実か。
 証人-覚えていない。
 質問-証人が、清流館(下水処理施設)と清浄館(し尿処理施設)を組合への委託に変更すると指示したのか。
 証人-覚えていない。
 質問-変更するというのは、証人の考えか。
 証人-官公需法の考え方だ。
 質問-野村メモには、『官公需法』は、出てこない。官公需法の規定内容も義務ではなく、努力規定だが…。
 証人-官公需法については、職員も認識しているはずだ。官公需法は配慮義務だが、法の趣旨にのっとってやるのが良いと考えた。
 質問-都城一般廃棄物収集運搬事業協同組合(組合)が設立する以前、当時の二見重弘総務部長が清掃公社で、組合について、市の方針を話したことを知っているか。
 証人-知らない。
 質問-清掃公社の社長や役員、部長などを含めた中で組合設立の話をしている。部長1人で出来ることだとは考えられない。本当に知らないのか。
 証人-知らない。個人的な意見を述べたのではないか。
 質問-その時、県外から業者が来ても地元で廃棄物処分業務を受注できる強固な組合を作りたいとの話があったが、市長も同じ考えか。
 証人-そのような受け皿があれば良いという話はあったが、組合の設立は民間の判断だ。
 質問-組合への業務委託は、官公需法が根拠なのは、間違いないか。
 証人-間違いない。
 質問-市職員に共通認識はあったのか。
 証人-承知していると思う。
 質問-これまで市側の証人は、二見部長を除いて、官公需法について「知らない」といっているが。
 証人-少なくとも水道課、契約課の経験者、総務課は全員知っているはずだが、市の職員として残念だ。
 質問-担当責任者の前田公友副市長、日高裕文環境森林部長も「知らない」と言っているが…。
 証人-驚いている。
 質問-東亜環境の吉岡建太郎元社長が、証人のファーストネーム(誠)で呼び捨てにしたり、アポなしで市長室に面会に来ていたというが事実か。
 証人-ファーストネームでの呼び捨ては一度もない。正月の新年挨拶はオープンにしている。その時、市長室に一度だけ来たと思う。
 質問-証人と吉岡氏は、きわめて親しい仲と聞くが、事実か。
 証人-吉岡氏は、一支援者に過ぎない。
 質問-詐欺事件で、市の反省すべき点は…。
 証人-計量していなかったことだ。
 質問-山田町の場合、職員が計量を指示していた。なぜ、市役所はやらなかったのか。
 証人-当然やるべきだった。しかし、やっていない。そしりは、甘んじて受ける。
 質問-野村メモによると、平成23年度から組合に一般廃棄物収集業務を委託することに関して議論があったようだが…。
 証人-組合に委託すると、国からの補助金が出ないと聞いていたため、県に電話で確認したところ、「構成員が同じなら問題ない」と言われ勘違いだったことが分かった。
 質問-池田宜永市長は、吉岡建太郎氏と会ったのは「長峯氏の強い要請だった」と証言しているが。
 証人-池田市長の強い要請を受けたからだ。
 質問-石崎真市氏や宮ヶ中氏が逮捕された頃、吉岡氏と面会していないか。吉岡氏が証人に、状況調査するよう依頼があったと聞いているが…。
 証人-面会していない。
 質問-野村メモによると、証人が新燃岳の降灰収集業務を東亜環境に依頼するよう指示した際、「東亜環境から25tトラック使用の申し入れがあった」と言っているが、東亜環境から直接連絡があったのか。
 証人-全く記憶にない。
 質問-証人が料亭の女に生ませた子供を吉岡氏籍に入れて面倒を見ている。それが、吉岡氏が当時の市長だった証人の首根っこを抑えていることだと聞くが、事実か。
 証人-事実無根だ。議員がこんな公の場所で、そんな発言をしていいのか。人権に配慮する場所と言ったはずだ。
 質問-それを確認するのが百条委員会だ。
 証人-はっきり申し上げるが、私は不妊症なので隠し子は作れない。
 黒木優一委員長-(質問者に対して)降灰収集との関係を説明してから質問するように。
 質問-証人と吉岡氏とのつながりとクリーンセンターの官製談合疑惑との関係を知りたい。
 黒木委員長-証人は、先ほど(事実無根だ)返答している。
 質問-野村メモによると、証人は組合設立前の平成22年から一般廃棄物収集運搬業務を組合に委託するようにと言っているが…。
 証人-行政改革大綱の中で民営化目標時期が、平成22年だったのではないか。
 質問-組合は設立したが休業状態だった。それなのに組合以外に発注する決済を拒否している。なぜ、平成23年4月1日からの組合委託にこだわるのか。
 証人-官公需法に基づいて進めているだけだ。
 ~委員の一人が野村メモを朗読~
 質問-野村メモには、当初、受注を断った清掃公社の堀川社長(=当時)が、4時間もしないうちに「受託する」と言って来たとある。この間、電話連絡したのではないか。
 証人-受託者に電話連絡するなどありえない。野村メモの内容は、勘違いではないのか。
 質問-新燃岳噴火がなければ、「随意契約」で組合に委託するはずだったのではないか…。
 証人-官公需法に基づくものだ。問題はない。
 質問-高額で重大な契約が、その日のうちに随意契約で委託先が変わった。こんな非民主主義的なことを行政は常時やっているのか。
 証人-法に従い執行しただけだ。
 質問-野村メモは、記憶をたどって書いたものではない。その場で、刻々と記録したものだ。証人はやっていないが、野村副市長は、受注先と直接やり取りしている。
 はっきりと「携帯電話で堀川社長に確認した」とある。市の執行部が、受注先とやり取りしていると思われても仕方ない状況だが、事実か。
 証人-「確認した」は、間違いだと思う。野村メモは間違っている。
      (おわり)

都城市議会百条委 長峯誠証人(上)

 連載『尋問』の最後は、当時(平成16年~同24年)の市長だった長峯誠参議院議員の登場だ。長峯氏の尋問は、平成26年12月22日と同27年11月24日の2回にわたった。今回は、1回目から。
 質問-新燃岳の噴火当時、証人は降灰収集運搬業者の代表と面識はあったか。
 証人-都城一般廃棄物処理事業協同組合(事業組合)は、ほとんど知っている。都城北諸地区清掃公社(清掃公社)の堀川渉社長は市の部長だった。エコロの西憲五社長は、県議時代の前後から知っていた。
 東亜環境の吉岡健太郎社長は、県議時代の委員会の視察で東亜環境に行ったことがあり、その時から面識がある。児玉産業とは、市長選後の会合で知ったと思う。
 質問-今の四社の代表者と飲食を共にしたことはあるか。
 証人-ある。平成24年12月の忘年会に参加した。市長を辞めた後だ。
 質問-現役市長だった平成23年1月6日の新年会に行っていないか。場所は、早水。東亜環境の新年会だが、清掃公社の堀川社長、同社竹中専務、石崎真市常務、ミズモトカツヒデ元宮崎県警刑事部長、前田四一郎氏らが出席していたはずだが…。
 証人-記憶にない。
 質問-平成21年と23年(12月28日)の忘年会に行った記憶はないか。
 証人-覚えていない。
 質問-最初に降灰収集運搬をしていた民間業者はどこだったか。
 証人-覚えていない。
 質問-事業組合に変更された経緯について。
 証人-官公需法に基づき、組合に発注するのが自然な流れだった。私が指示した。
 質問-事業組合が受託した後、収集運搬業務の区域の振り分けはどうしたのか。
 証人-議論に参加していないので、知らない。環境業務課がやったのではないか。
 質問-野村メモには、山之口、高城、志和池の各地区について、証人が事業組合に委託するよう細かく指示したとあるが。
 証人-記憶にない。
 質問-市長当時、市が業務委託している業者(事業組合)から職員の再就職の推薦依頼はあったのか。
 証人-あった。業者から依頼が来ると、職員課で案をつくり、三役協議を経て本人に打診する形だ。
 質問-職員課を通さず、証人が紹介したOBはいないか。
 証人-いたと思うが、いちいち個別には覚えていない。
 質問-事業組合の設立はいつか。
 証人-覚えていない。
 質問-設立当時、過去の実績のあった業者が組合員になれなかった理由は。
 証人-組合設立に関与していないので、全く分からない。
 質問-実績のなかった東亜環境が組合員になれた理由は。
 証人-全く分からない。東亜環境が組合員になれるよう便宜を図ったこともない。
 質問-一般生活ゴミの民間委託について、いつ行政で決まったのか。
 証人-平成18年、新市発足当時、行財政改革大綱でスケジュールを立てていた。
 質問-組合は平成22年に設立されたが、当時事業組合にゴミの委託をすることは決まっていたのか。
 証人-分からないが、組合ができれば官公需法の趣旨に基づき、組合に優先的に発注することは行政のやらなければならないことだ。
 質問―野村メモによると、平成23年3月半ば過ぎ、平成23年度から事業組合に発注するよう指示しているが、便宜を図ったことにならないか。
 証人-原則は、官公需法に基づいて発注することだから問題ない。
 質問-事業組合が官公需法の適格を取得したのは、平成24年4月だが、知っていたか。
 証人-知らない。
 質問-日高邦晴氏が組合に入った平成23年8月からようやく官公需法の組合取得の準備に入ったとの証言がある。平成23年度には適格を取っていない。官公需の免許に関わりなく、〝組合への委託ありき〟ではなかったのか。
 証人-事業組合は、官公需法の許可を取得することを前提として発足している。矛盾しない。
 質問-クリーンセンター設立と事業組合設立とは関連があるのか。
 証人-ない。
 質問-クリーンセンターの運転業務を地元で受託できる受け皿として組合を設立した、と証言があるが、事実か。
 証人-自分の任期期間中は一切、方針を決めていない。
 質問-事業組合でなくとも他の業者でも運転はできるのではないか。
 証人-官公需法の趣旨に基づき、地元の事業組合に委託することで結論が出ていると認識している。
 質問-手元に手紙がある。「山田クリーンセンターについては、水増し分の金の回収に建設業者を使うこと。市長や議会対策などは吉岡健太郎が受け持ち、その他のことは伊吹巌が受け持ち…」などとある。証人は、これを受け取ったのか。
 証人-覚えていない。
 質問-大迫産業の組合加入が大幅に遅れた理由を聞いていないか。
 証人-聞いていない。
 質問-東亜環境と大迫産業に揉めごとがあり、加入の同意をしてもらえなかったらしいが、知っているか。
 証人-全く知らない。
 質問―野村メモによると、清流館(下水処理施設)と清浄館(し尿処理施設)も委託先を清掃公社から組合に変更するよう証人が指示しているが…。
 証人-覚えていない。
 証人-池田市長と一緒に吉岡健太郎氏の自宅に行ったのを覚えているか。
 証人-覚えている。次期市長選に池田氏が意欲的だと聞いて、知っている人を紹介した。その一環として、吉岡氏を紹介した。
 質問-一緒の車で行ったのか。
 証人-覚えていない。
 質問-面会時間はどれくらいだったのか。
 証人-覚えていない。
 質問-別々に帰ったのか。
 証人-覚えていない。
 質問-平成23年4月下旬、長峯誠後援会の幹部が、「長峯市長は最近、東亜環境だけに相談しているみたいだ。将来、危ないことになる。後援会の役を降りようと思う」と語っていたが、知らないか。
 証人-私の名誉に関わることだ。委員長に適切な措置を願いたい。
    (休憩)
 委員長-質問者は、質問の趣旨を説明してくれ。四つの項目に該当するか。
 質問者-宴会の席については、該当しているのか。同じような質問だが。
 委員長-「証人が答えた」と解釈してほしい。
 質問者-証人は答えないということか。
 証人-質問自体を議事録から削除してほしい。
 委員長-できない。発言も求めない。
 証人-何らかの対応策をとることになるが…。
    (休憩)
 委員長-削除はできない。後は、証人の考えで行えばいい。 
 質問-平成23年12月議会で、二見重弘総務部長(=当時)が、「組合設立をお願いした」「クリーンセンターが稼動する平成27年4月1日までに協業組合に移行すれば、組合に一括委託したい」と、市が組合をつくるよう指導したと発言しているが、市は組合設立に関与していないというのか。
 証人-記憶にない。
         (つづく)

まるで「盗人に追い銭」 高千穂町の着服事件

 公務員の不祥事は、なぜか穏便に済ます傾向が強い。公務員に対しては、処分する側も〝身内〟といった感情に走り、かばい合いになるのだろう。地元有力者の身内であれば、首長の指示で隠ぺいするケースも考えられる。
 とかく、郡部ほど公務員に対する信頼は厚く、「間違いはない」といった風潮があり、役所内での不法行為は揉み消されることが多いようだ。
 昨年、都城市で、飲酒運転で検挙された市議が検挙の翌日、依願退職を申し出て、議長が受理している。都城市議会が、『飲酒運転根絶』決議を行っているにもかかわらず、市議は処分を受けることはなかった。 
 同じく昨年、高千穂町のコミュニティバス運営費196万円を着服していた農地整備課の係長(30代)も12年勤務の中堅職員だが、停職六カ
月の処分を受けた日に依願退職が認められ、退職金全額を受け取っている。
 運営費は、町民の血税。それ使い込んだにもかかわらず、名前も公表されていない。これでは、社会的制裁を受けていないに等しい。高千穂町民は、納得しているのだろうか。
 町は、副町長などが審議した結果、「全額返済しているから、刑事告訴は見送った」という。着服は犯罪である。全額返済しても罪が消えるわけ
ではない。いわゆる公務員が〝穏便に済ませる〟典型例だ。
 犯行は、2014年5月~同年7月、利用料の口座から町の別口座へ入金する際、4回にわたって5万~96万円を抜き取っていた。被害総額は195万9500円。
 4回も犯行に及べば、〝魔が差した〟のではなく、明らかに〝常習犯〟だ。興梠高彦副町長は、記者会見で、「不祥事で町民に迷惑をかけた」と謝罪したが、何の意味があるのか。町民は、退職金の減額(全額返納含む)と実効ある処分を望んでいるのではないか。
 実は、着服した係長は、JA高千穂組合長の身内で、同組合長の娘が嫁いだ相手。事件後、2人は離婚したらしいが、義兄弟の関係が即、切れる訳ではない。組合長と町長とは当然、知己の仲。「穏便な処分を」と、圧力がかかったとしても不思議ではない。
 関係者によると、係長は特段、金銭的に困っていた様子はなく、着服した金は、「大半をパチンコや飲食など遊興費に使ったようだ」という。こんな職員こそ、厳重処罰の対象ではないのか。
 民間企業の社員であれば、当然、懲戒解雇を言い渡された上に警察に突き出され、なおかつ、会社側から損害賠償まで請求されることになる。公務員は、それほど優遇されている。これでは、まさに〝盗人に追い銭〟だ。係長は、退職金全額を返納すべきだ。             (燕)

都城市議の飲酒運転 処分しないのはおかしい

 昨年12月20日、都城市議会の楡田美浩氏(前議員)が飲酒運転(酒気帯び)の疑いで都城署に検挙された。同氏は21日に辞表を提出、永山透議長が受理した。しかし、「辞職すれば、解決する問題なのか」と市民の間では疑問の声が上がっている。
 昨年12月24日、同市議会の全員協議会で、同件について、永山議長から報告があった。その際、小玉忠宏議員から、今回の件について、「議会で処分を協議すべきではないか」と指摘があった。
 児玉議員によると、楡田氏の議員辞職の記者会見をテレビで見た市民から、
「怒りを感じた。なぜ、依願退職なのか。公務員の場合、処分がないのはおかしい」と連絡があったという。
 依願退職が常に認められれば、地方議員が処分を受けることはない。民間企
業の場合、飲酒運転(酒気帯びを含む)で、検挙か、逮捕の事実があれば、通常は、その前日付けで懲戒免職となる。
 永山議長が、何の躊躇もなく楡田氏の辞表を受理したのは、〝仲間〟意識が
強かったからではないか。
 違法行為にもかかわらず、〝潔く辞職した〟と好印象にも受け取られかねないのも事実。
 都城市議会は平成21年2月、飲酒運転を重大な犯罪行為と認識、根絶宣言を行った。楡田氏も宣言から判断すれば、重大犯罪に該当する。処分対象になるのは言うまでもない。
 児玉議員の指摘のように今回の場合、全員協議会で協議して処分を決定すべきだろう。それが、市民の負託を受けた議員の当然の姿勢ではないのか。

延岡市長 松下参議に肘鉄砲!

 昨年12月6日、遠藤利明五輪大臣が宮崎県を訪れた時、宮崎県は東京五輪(2020年実施)の追加種目候補である「野球・ソフトボール」「サーフィン」を宮崎県内で開催するよう要望書を提出した。
 同大臣は同日、河野俊嗣県知事ほか、県内各市町村長の話を聞きながら、オーシャンドームなどを視察した。県挙げてのイベントだったが、不思議なことに延岡市からは市長はじめ副市長、市役所関係者は誰ひとり出席していなかった。
 同市秘書課によると、当初の通達は、国政報告会だったという。出席者は、遠藤大臣と松下新平総務副大臣(宮崎県選出の参議院議員)だったが、連絡を受けた首藤正治延岡市長は、出席を断ったらしい。「市長の判断で、理由は分からない」(秘書課)という。
 仮に、冠婚葬祭など、どうしても出席しなければならない私用なら、通常は代理として副市長らを出席するよう指示するはずだが、それもしていない。最初から誰も出席させる意思がなかったようだ。
 その後、開催予定日の2日前になって、県が県内各市町村に国政報告会の当日、東京五輪の種目開催についての要望を行う趣旨の連絡をしたが、欠席を決定していた延岡市には、通知していない。
 延岡市民からも「おかしい」との声は聞こえてきた。
「延岡市は、スポーツ合宿やスポーツ施設の改善を掲げている。市の対応は全く矛盾する」「具体的な要望項目がなかったとしても県のイベントなら出席すべきだ」「延岡市の面子は丸つぶれだ」など様々だ。
 出席した延岡市議会の稲田雅之副議長も「肩身の狭い思いをした。市から1人でも出るべきだった」と述べている。佐藤誠市議も自分ブログで、「延岡三役は誰も出席していない。どう感じますか」と問題定義している。
 参議院議員は衆議院議員と違い、全県区の代表。いろいろな面から陳情できたはずだ。これでは、「松下新平副大臣が嫌いだから欠席した」と言われても仕方ない。実際、地元からは、「次期参議院選挙を睨んでもことではないか」の声がある。地元住民の話をまとめると、こうだ。
 すでに次期参議院選に読谷山洋司氏(=延岡市出身、元岡山市副市長)が出馬を表明している。対抗馬は、イベント当日出席していた松下氏。読谷山氏は東大経済学部を卒業後、自治省(現総務省)に入庁した。河野県知事も自治省出身で、読谷山氏の後輩にあたる。
 更に、首藤正治延岡市長は、河野知事とは昵懇(じっこん)の仲。首藤市長が、参議院選で読谷山氏を押すことは十分考えられる。このため、松下氏に対して、首藤市長が宣戦布告したのではないかというのだ。
 更に、首藤市長の後援は地元大手企業が基盤。その企業は、読谷山氏を応援する方針だという。このため、首藤市長は読谷山氏応援に回り、やはり、対抗馬の松下氏が出席している今回のイベントをボイコットしたのではないかという。
 市は、欠席理由を単に「市長の判断」という。しかし、首長個人の判断で、国政報告会を勝手に欠席するなど、通常ではありえない。真相は不明だが、状況からみて、地元住民の推測は、信憑性が全くないとも言い難い。
 しかし、イベントに対する市長の対応は、別問題である。市長は、自身が出席できないか、したくなかった場合でも副市長らを代理にたてるべきだったのではないか。延岡市民からの非難は、当然だろう。

都城市議会百条委 石崎真市証人(下)

 石崎真市氏の2回目(平成27年7月7日)の尋問から。前回(尋問⑨)は、証人が公判中だったため証言を控える場面があったが、今回は証人が新燃岳降灰収集運搬詐欺事件に関わったことを認めた後の尋問だった。
 質問-前回、環境業務課の日高覚助課長(=降灰収集運搬当時)が「なめっくいやってよかかいな(適当でいい)」と言ったと、証言しているが、間違いないか。 
 証人-間違いない。東亜環境の吉岡健太郎社長にも報告した。市が「経費分を含めて請求して構わない」と言ったことで、水増し請求が行われるようになった。
 質問-水増しを考えたのは誰か。
 証人-東亜環境の吉岡健太郎社長だ。
 質問-証人はどういった経緯で水増しに加担したのか。
 証人-都城北諸地区清掃公社(清掃公社)から都城市が株式を引き上げる話が浮上したことがある。その時、吉岡社長が「俺が市に掛け合ってやる」と言った数日後、株式撤退の話が消えた。以来、吉岡社長に恩義を感じていた。
 だから、水増しは悪いことだと分かっていながら、「止めよう」とは言い出せなかった。露見するとも考えていなかった。
 質問-具体的にどのような方法で水増し請求をやったのか。
 証人-都城一般廃棄物処理事業協同組合(組合)が各社から降灰の収集運搬量の報告を受け、それを一覧表にして市環境業務課に提出していた。最初の報告書を市に提出した後、吉岡社長が「なぜ、俺に見せずに提出するのか」と言ってきた。これが、水増しの始まりだった。
 吉岡社長は、一覧表を見ながら、漠然とした数だったが、運搬量を上乗せした。それを公社の社員だった宮ヶ中(幸久)が、市への提出書類にパソコンで入力していた。
 質問-市のチェック体制が甘かったから、水増しを考えついたのか。
 証人-そうだ。全車両の計量証明書を添付して、月締めではなく、せめて収集した翌日の朝、日報の段階で環境業務課に提出するような形をとるべきだったと思う。
 質問-前回、二見重弘総務部長(=当時)が組合設立について、公社に説明に来たと証言したが、その時どのような話をしたのか。
 証人-一般廃棄物全般に関する業務の受け皿をつくりたいと考えているといった話だった。「県外から政治力の強い企業が来ても対抗できるような組織体をつくりたい」と説明を受けた。
 質問-新燃岳降灰収集運搬業務の下請けだったケーズプランを知っていたか。
 証人-会社自体は知らなかったが、川畑社長が高校の一つ先輩だったことは認識していた。高校時代、付き合いはなかったが、その後、東亜環境の吉岡社長の紹介で面識ができた。
 質問-再委託はどのように行われたのか。
 証人-清掃公社が請け負っていた降灰収集運搬作業の地区のほとんどを東亜環境が作業を行っていた。ケーズプランは、その清掃公社の請負部分を担当しため、清掃公社の下請けとしてスタートしたが、実態は東亜環境の下請けだった。
 質問―清掃公社がケーズプランに1億2千万円を支払っているが、証人が指示したのか。
 証人-そうだ。私が総務部に立て替えるよう指示した。ケーズプランの川畑社長が「支払いを早めてもらえないか」と吉岡社長に相談に言ったようだ。吉岡社長から「どうせ入ってくる金だから、立て替え出来ないか」と言われ、立て替えた。
 質問-川畑社長は、1億2千万円の内、1,200万円を代金として受け取ったと証言している。残りの1億800円について、知っていることはないか。
 証人-知らない。
 質問-ケーズプラン以外で、どこ(誰)が再委託していたか、知っているか。
 証人-フルネームは知らないが、個人としてイブキ、ハラグチがいた。
 質問-ハラグチとイブキはどこの下請けとして収集運搬をやったのか。
 証人-対外的には公社の下請けだが、実際は東亜環境の下請けだった。ケーズプランと同じだ。
 質問-公社の株式撤退の件で、吉岡社長から何か聞いていないか。
 証人-降灰収集運搬作業が落ち着いた頃、吉岡社長から「あれは、俺が仕組んで、市長(長峯誠現参議院議員)にやらせた」と聞かされ、頭が真っ白になった。
 質問-実際はどうだったのか。市長は、知っていたのか。
 証人-知っていたと思う。当時、実際に市の下水道課から公社に対して、「株式を幾らで買い取ってもらえるか」と電話があった。
 質問-清流館(下水処理施設)、清浄館(し尿処理施設)の管理を組合に委託することは知っていたか。 
 証人-二見重弘氏(=総務部長時代)が明確に言っていたから、組合設立前から認識していた。
 質問-清掃公社が、エコロの降灰収集運搬作業の代金1千万円(平成23年3月分)を相殺したことは知っているか。
 証人-聞いてはいたが、詳しくは知らない。
 質問-1千万円は、組合を強化するため各社が持ち寄った分なのか。
 証人-各社が1千万円持ち寄ったという話は、記憶にない。組合の理事会で、エコロの降灰収集運搬量が、車輌台数や人員数からみて「おかしい(多過ぎる)」と指摘があり、1千万円の支払いを止めたことは、記憶にある。
 質問-エコロの代金のうち、1千万円を残しておくように指示したのは誰か。
 証人-東亜環境の吉岡社長だ。
 質問-エコロも水増し請求をしていたということか。
 証人-そうだ。この1千万円が水増しの分だと認識している。最終的には、東亜環境に渡したが、ケーズプランが建前上、清掃公社の下請けになっていたので公社を経由した。
 質問-組合設立時、官公需法についての話はあったか。
 証人-ない。
                                       (つづく)

都城市議会百条委 石崎真市証人(上)

 石崎真市氏は、平成14年5月~平成25年10月末まで、都城北諸地区清掃公社(清掃公社)に勤務していた。新燃岳降灰収集運搬詐欺事件が発生した当時は常務取締役で、上司は、堀川渉社長と竹中政明専務だった。
 石崎氏は2度の尋問を受けているが、今回は平成26年11月25日に行った1回目の尋問を再現する。
 質問-降灰収集運搬が、当初のエコロと清掃公社に代わって都城一般廃棄物処理事業協同組合(組合)に委託されたことは間違いないか。
 証人-間違いないが、経緯は知らない。
 質問-東亜環境の吉岡健太郎社長とは、どういう関係だったのか。
 証人-組合設立以前から、飲食を共にする関係だった。忘年会、新年会には、ほとんど出席している。
 質問-都城市職員で、誰か来ていなかったか。
 証人-二見重弘部長が出席していた。当時の市長(長峯誠参議院議員)も間違いなく、1度は来ているが、いつだったのかは、分からない。
 質問-降灰収集運搬業のうち、何を担当していたか。
 証人-当時、組合の事務所がなかったので、宮ヶ中幸久氏と2人で都城市環境業務課との連絡係をするよう堀川社長に言われた。
 質問-清掃公社と組合の請求書は誰がチェックしていたか。
 証人-松島総務部長がしていたと記憶している。
 質問-作業日報は誰がチェックしていたか。
 証人-作業日報は、見たことがない。
 質問-市への請求はどのようにされていたのか。
 証人-各社の請求書を組合の宮ヶ中氏が受け取り、まとめて環境業務課に提出していた。
 質問-降灰収集運搬業務で水増しがあったと認識しているか。
 証人-業務を遂行するなかで、経費などを含めて請求するよう都城市環境業務課の日高覚助課長から言われていたが、各社の算定の内訳や内容を知らない。なんともいえない。
 質問-契約は単価11,057円だったはずだが、それ以外に経費を上乗せするということか。
 証人-そうだ。私と宮ヶ中氏が2人で環境業務課の会議室で聞いた、市側は、日高課長1人だった。
 その時、日高課長が「なめてもらってよかからな(曖昧でいいよ)」と、間違いなく言った。理事会でもそう報告した。
 質問-証人は請求書の作成に関わっていたのか。
 証人-一切関わっていない。
 質問-市の管理体制が不十分だとは、認識していなかったか。
 証人-組合とは違う形で収集運搬していた山田町の担当者が写真や計量などについて厳しかったと、社内で聞いていた。それに比べると、都城市は柔らかいとの印象はあった。
 実際、国の会計監査の時、宮ヶ中氏が市に呼び出され、回収業務が終わったあとで、「運搬車を統一させろ。それで、何回走ったかで算出しろ」と言われた。担当は、宮ヶ中氏だったので変更したか、どうかは知らない。
 質問-水増し請求に関与したと認識しているか。
 証人-結果的にそうなったが、当時は認識していなかった。
 質問-証人は降灰収集運搬業務で再委託があったことを知っているか。
 証人-当時、再委託といった認識はなかった。知っていたか、どうかについては、公判中のため回答を控える。
 質問-最初に組合の設立を言い出したのは誰か。
 証人-組合設立は、間違いなく都城市主導だった。清掃公社の厚生会館の2階にある会議室に都城市の二見重弘総務部長を呼んで、役員一同で話を聞いた。
 出席していたのは、堀川社長、竹中専務、加治屋取締役、あと部長数名だった。
堀川社長が、二見部長にアポイントを取ってきた経緯がある。
 質問-なぜ、担当の環境森林部長ではなかったのか。
 証人-環境の担当者としてではなく、市の代表者として話をしてもらったから。
 質問-二見部長は1人で来たのか。
 証人-そうだ。
 質問-その時、二見部長は、クリーンセンターの建設と組合との関係について話さなかったか。
 証人-リサイクルプラザや市の埋立処分場、清流館(下水処理施設)、清浄館(し尿処理施設)を含める都城市の廃棄物関係の処理施設を一括で受けられるものを業者間でつくってもらいたい趣旨の話があった。
 都城市以外の業者を排除する話も出た。大手の清掃公社とエコロが、組合設立に関して旗振り役をやってくれるとありがたいとも話していた。
 質問-平成23年度から、一般ゴミ収集を組合が受託しているが、組合から申し出たのか。
 証人-組合からの申し出はなかったが、市からの要請も記憶にない  (つづく)

都城市議会百条委 前田証人・藤井証人

 前田四一郎氏は、都城市市民生活部長を経て、平成20年4月1日~同23年3月31日、東亜環境で常務取締役を務めていた。
 質問-東亜環境へ再就職(天下り)したのは、誰かの紹介か。
 証人-都城北諸地区清掃公社(清掃公社)の堀川渉社長から話があった。
 質問-平成23年に東亜環境を辞めているが、その時、証人の後継者について話があったか。
 証人-私が、松元清光氏本人に「東亜環境にどうか」と打診した。当時、健康部長だったので、常務の仕事を書面にして、市役所で直接話をした。
 質問-東亜環境での仕事について。
 証人-吉岡健太郎社長の補佐役だった。入社して1~2ヶ月後に指定管理者になっているリサイクルプラザの管理運営をやっていた。2年後にはクリーンセンター(東亜環境)、プラザ、最終処分場を包括的に見ていた。3年目は週2回のペースで決裁を確認する程度だった。
 質問-降灰収集運搬の時期、証人は何をしていたのか。
 証人-3月に辞めることになっていたため、眺めていただけだった。
 質問-東亜環境の中で、降灰収集運搬業務の中心は誰だったか。
 証人-吉岡健太郎社長だ。
 質問-東亜環境の高原秀親氏(=降灰詐欺容疑で逮捕)の役職について。
 証人-営業だったが、主任か、係長か、記憶にない。降灰収集業務については最終的に全て東亜環境に委託されたので、収集体系の計画を練っていた。都城市一般廃棄物処理事業協同組合(組合)への報告も高原が行っていたようだが、詳しくは知らない。降灰の収集量の報告も、どのように行われていたか、分からない。
 質問-降灰収集の委託が、公社とエコロの二社から組合へ移行した経緯は。
 証人-分からない。東亜環境が、どう関わっていたかも分からない。
 質問-降灰収集運搬が行われていた時期、証人は市と連絡を取っていたか。
 証人-市とのやり取りは、組合がやっていた。私は、していない。
 質問-証人は、市に提出する請求書のチェックをしていたのか。
 証人-立場上は常務の業務だが、決裁していない。チェックしていたのは、事務担当ではないか。
 質問-下請けが行われていたことは知っていたか。
 証人-契約書も仕様書も見ていないので、下請けの実態は分からないが、会社以外の個人が収集運搬していた認識はあった。
 質問-組合の設立について。
 証人-吉岡社長から聞いていたが、私は一切携わっていない。社長が主体的に動いたが、他の誰が関係していたか分からない。
 質問-東亜環境に天下る際、市からの紹介はなかったのか。証人の送別会で、ある議員が、証人が「市長に言われていく」と言ったのを聞いているが…。 
 証人-市の紹介はない。
 質問-平成21年9月3日、ある議員に会って、「吉岡社長が、議員の議会での発言に非常に怒っている。社長は、何をするか分からない」「東亜環境は、議会発言で大損害を受けている」「億単位の訴訟を準備している」「来年の選挙はどうなるか分からないよ」と言ったか。
 証人-私が直接行って、「社長に会ってもらえないか」と言っただけだ。
 質問-吉岡社長の理研という会社に石崎真市氏と宮ヶ中氏が所属していたことは知っていたか。
 証人-知らなかった。
 質問-通常、組合員は、組合に来て理事長と話をするが、吉岡社長は、東亜環境に理事長を呼びつけて話をしていたことを知っているか。
 証人-知らない。
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 藤井八十夫氏は、平成21年末まで、都城市議会議員で、当時、議会会派の明清会の代表を務めていた。
 質問-平成21年9月議会開会の翌日の9月3日、前田四一郎氏から脅されなかったか。
 証人-前田氏は、1人で私の会社に来た。「なぜ、東亜環境に再就職したのか」と聞くと、「行くつもりはなかったが、長峯市長の強い要請があったから…」と答えた。
 それから、「うち(東亜環境)の社長が、ものすごく怒っている。何をするか分からん。議員に対して、億単位の訴訟を準備している。1月の選挙もどうなるか分からんよなどと社長が言っていた」と言って帰った。その時は、圧力、脅迫、おどし、身の危険を感じさせるような状況だった。
 質問―平成19年、清掃公社の石崎真市常務のほか、2、3人が明清会の部屋に来て、「清掃公社の仕事が減っている」と相談に来なかったか。
 証人-石崎常務が来て、 「清掃公社の仕事がだんだんなくなっていく。助けてもらえないか」と、いった話をしたと記憶している。石崎氏は、少なくとも平成21年まで、司直に情報提供する立場にあった。それが、いつの間にか、東亜環境に取り込まれたと考えている。
 質問-会派で呼んだのか。
 証人-石崎氏を呼びつける立場にはない。
 質問-平成21年11月頃、翌年1月の選挙について、何か、聞いていなかったか。
 証人-「東亜環境が、藤井を含めて(選挙で)落とせ、と上から号令がかかっている」といった風聞が流れた。前田四一郎氏の話とつながると思った。
 質問-選挙では落選したが、他に脅迫や被害はなかったか。
 証人-具体的な危険はなかったが、司直からは「何かあったら直ぐ逃げろ」「会派の議員も特に繁華街に出る時は、気をつけるように」といわれていた。 (つづく)


放置したのは市の責任 林道「永田ー小原線」問題

 日向市の林道「永田-小原線」は、あと数百メートルを残して、18年間も工事が中断したままだ。同市産業経済部の清水邦夫部長は、「このままの状態を続ける訳にはいかない。対策は必要だ」と、説明するが、現在のところ、打開策は見つかっていない。
 同林道は、もともと地主たちが山林を無償で市に提供して、工事が開始された。いわば、地元が全面的に協力したもの。ところが、それが開通しないのだ。無論、生活道路としても、木材を伐採して搬出するためにも必要且つ不可欠な道路だったはず。
 工事がストップした背景は単純明快。日向市が勝手な都合で中断したからだ。地主たちが山林を無償提供していた頃、ある建設業者が、なぜか、地権者Aに「林道予定の土地を買いたい」と言ってきた。Aは承諾して、手付金を受け取った。
 当時、Aは、国土調査の結果をめぐり、市と係争中だった。裁判結果は、市側の偽証が発覚、証言した当時の建設課長は有罪になった。その頃、業者が再び地権者Aの所へ「手付金を返せ」と言ってきた。
 業者によると、道路工事を落札したが、市がAの土地を迂回して道路を建設することになり、Aの土地を買う必要がなくなったというのだ。業者の余りにも勝手な言い分のため、この件は後に裁判となった。
 しかも、業者は、Aが入院していた時、Aの妻子に対して再三、「土地の権利書を渡さないと詐欺罪で訴えるぞ」と脅していた。業者は、警察や検察から厳重注意を受けている。これらのことは、当時の裁判記録からも確認できる。
 なお、この業者は裁判で、Aの土地を買おうとした理由について、「入札が有利になるから」と官製談合をほのめかす発言をしている。
 一方、Aは、「国土調査の裁判が終わり次第、森林を市に無償で提供する」と同意しており、承諾書にも捺印している。Aにしてみれば、市側の勝手な都合で、振り回された格好だ。
 当初、無償提供するはずだった土地を業者が勝手に「買いたい」と言ってきた。その後、今度は市が、「迂回をつくるから土地はいらない」という。
 しかし、市は再び、「迂回路はつくれない」と撤回した。しかも、この間、市の職員は、誰一人としてAのところへ交渉に行っていないのだ。Aは協力しようにも協力できなかった。
 ところが、市は「林道が完成しないのは、Aが同意しないからだ」と地元住民に偽情報を流した。国土調査の裁判で負けたハライセとしか考えられない。このため、Aは、現在まで、〝林道開通を邪魔した人間〟の濡れ衣を晴らせないままなのだ。こんなことが許されるのか。
 地元住民は生活道路を奪われ、一方では林業関係者が、スギを植林して30~40年経ち伐採時期が到来しているにもかかわらず搬出できずに大損害を受けている。日向市の行為は、余りにも度が過ぎる。
 議会も全く機能していない。地元住民たちの不満は、議員にも届いていたはずだが、これまで重要視されることはなかった。生活を脅かす今回の市の行為については、市民に負託された議員こそが解決の道を模索すべきであるはず。
 一方、市からは、「いろいろ話を聞いている。工事を再開しないとは言っていないが、現状では予算を新たに確保しなければならない」(清水邦夫部長)。「林道は、ここだけではない。他にも2~3か所の計画がある。全ての工事に予算をつけることは難しい」(同)と、言い訳ばかりが聞こえてくる。
 今年に入り、住民たちは2月と9月、市に対して工事再開の陳情書を提出した。しかし、市は工事中断の要因や現場の状況、地元住民や林業関係者からの聞き取りなど調査を一切行っていないのだ。
 しかも、市からの回答は、「当時、全線開通に向けて鋭意努力した」とあり、いまだに業者との談合疑惑や国土調査の裁判結果などには全く触れていない。事実は、有期限の工事を市が放置して期限切れになった。市が、その原因を1人の市民に押しつけたに過ぎない。
 結局、市は、「整備計画を固めた〝耳川地域森林計画〟に基づき林道網の整備が遅れている地域及び効率の高い路線等を優先」して事業を進める方針で、林道「永田-小原線」の工事再開は棚上げのままだ。
 Aによると、最近行った市とAとの話し合いの中で、林道が完了していないのは「行政の落ち度。そう地元にも説明してもらっても構わない」(清水部長)と市側の非を認めたという。しかし、いまさら、そんなことを言われてもどうしようもない。地元の願いは、林道「小原―永田線」の全線開通だ。それ以外にないのだ。

都城市議会百条委⑥ 前田公友証人

 前田公友証人は、新燃岳降灰当時、総括担当副市長を務めていた。総括担当とは、『都城市副市長の事務分掌に関する規則』によると、「総合政策部、総務部、市民生活部、環境森林部、土木部及び会計管理者の所管に関する事務」(第2条)を司る。降灰収集業務では、現場責任者だった。
 質問―副市長時代、市の委託業者から職員の再就職として推薦依頼はなかったか。
 証人-一切ない。過去にもなかった。
 質問-都城北諸地区清掃公社(清掃公社)に市から再就職していることは知っていたか。
 証人-知っていたが、背景は知らない。
 質問-再就職の人選は誰がしていたのか。
 証人-分からない。
 質問―平成23年度から生活系ゴミ収集業務は、一部を除き、都城一般廃棄物処理事業協同組合(組合)に全て委託されたが、実績のあった2社が組合設立時、組合員になれなかったのはなぜか。
 証人-知らない。
 質問-組合は4社でスタートしたが、うち、実績のなかった東亜環境が組合員になれた理由を知っているか。
 証人-分からない。
 質問-組合の設立を、いつ知ったのか。
 証人-副市長時代、設立の動きがあることは知っていた。主導的に動いていたのは清掃公社だったが、エコロや東亜環境が、どういう形で協力したかは知らない。
 質問-東亜環境が組合に加入できるよう便宜を図ったことはないか。
 証人-ない。
 質問-組合の設立について、市へ報告はあったか。
 証人-一切ない。
 質問-平成23年度から生活系一般ゴミ収集運搬は大幅に民間委託になったが、いつ行政で決まったのか。
 証人-分からない。総務課や環境業務課が中心に進めたのではないか。
 質問-生活系一般ゴミ収集を組合に委託することが決まったのは、いつか。
 証人-分からない。当時、組合が結成されたことは聞いていなかった。組合の結成時期も確認していない。
 質問-クリーンセンター(山田町)建設と組合設立は関係があるのか。
 証人-直接には関係ないと考える。オペレーションの操作を地元業者で、できないかといった議論はあったが、完成後、どうなったかは確認していない。組合をつくっても競争入札だから、確実に組合が受託できるとは限らない。
 質問-実績のある大迫産業の組合加入が遅れた理由を知っているか。
 証人-大迫産業から「加入したいが、加入できない」と相談を受けたのは事実だが、山之口総合支所の職員からの報告はない。当時、組合の設立も確認していない。行政側が収集運搬業の許可更新しなかったことについても確認していない。記憶にない。
 質問-清掃工場(郡元)に東亜環境から八人、清掃公社から四人の社員が派遣されたが、どういった経緯で採用したのか。
 証人-報告を受けていないので知らない。
 質問-吉岡健太郎氏(元東亜環境社長)を知っているか。
 証人-知っている。年始挨拶で、副市長室で2回会った。それ以外はない。
 質問-鹿児島県霧島市の産廃処分の件で、吉岡健太郎氏と2人で市役所に行っていないか。
 証人-一緒に出かけたことは1度もない。
 質問-業者の忘年会や新年会に出席したことはあるか。
 証人-社会福祉事業団の送別会には行ったが、民間業者へは一切行っていない。
 質問-市役所の定年退職者の再就職について、証人にも名簿が上がってきていたのか。
 証人-決定した後に分かるが、事前に相談はない。
 質問-例えば、東亜環境に健康部長や市民課長などが再就職するといった情報は庁舎内でもなかったのか。
 証人-定期人事異動の中で分かるだけで、事前には分からない。
 質問-平成24年1月付で、大迫産業が組合に入りたいと来たはずだが。 
 証人-組合が収集業務を委託した経緯も設立時期も知らない。大迫産業が最後に加入したことも今知った。
 質問-組合が収集業務を委託しているのに総括担当だった副市長は、本当に知らなかったのか。
 証人-副市長をやめる当時、「組合ができた」と報告を受けていない。4社でスタートしたことも知らない。
 質問-当時の二見重弘総務部長が清掃公社で市の方針(組合の設立)を説明したことは知っているか。
 証人-知らない。
 質問-それは、二見部長が独断でやったと理解していいのか。
 証人-それも確認できていない。何時だったのか、総括担当の時期だったのかも分からない。二見部長から相談された記憶もない。
 質問-清流館(下水処理施設)と清浄館(し尿処理施設)の管理を組合に変更する話はなかったか。
 証人-記憶にない。
 質問-後任の野村秀雄副市長にクリーンセンタ-を含めた廃棄物関係で引き継ぎをしたか。
 証人-いちいち覚えていない。
 質問-清流館と清浄館の引き継ぎはあったのか。
 証人-覚えていない。
 質問-清流館と清浄館の委託先を清掃公社から組合へ移行するよう当時の長峯誠市長から指示があり、法的問題でムリだと市長に報告されているはずだが、知らないか。
 証人-記憶にない。
 質問-官公需法について、どういう理解をしているか。
 証人-官公需法の言葉自体を今、聞いた。当時、長峯市長からも野村副市長からもそんな話は聞いていない。
                                                                    (つづく)

都城市議会百条委⑤ 堀川渉証人

 堀川渉証人は、都城市土木部長を経て、平成18年4月1日~同24年6月27日、都城北諸地区清掃公社(清掃公社)の社長を務めた。
 質問-清掃公社で新燃岳降灰収集運搬業務の業務を行った際の中心人物は誰か。
 証人-石崎真市常務と営業の宮ヶ中幸久が取りまとめていた。
 質問-なぜ、降灰収集業務が清掃公社とエコロの2社から組合に移行したのか、市からの依頼か。 
 証人-そうだ。「組合でやってほしい」と市から要望があった。東亜環境の希望でもあった。
 質問-最初の見積もりは、どのようなものだったのか。1日幾らだったのか。
 証人-エコロと二社で出した時は、「1日何トンで幾ら」だった。「1日幾ら」(70万~80万)は、後で聞いた。最終的に担当の都北営業所が単価1万1057円に決めて、組合として出した。
 質問-収集運搬量を自己申告当にするよう申し入れたのは証人か。
 証人-「各社の責任でお願いする」とは言ったと思うが、誰が、こう言ったということはない。
 質問-降灰収集業務の仕事の配分は、どのようにして決まったのか。
 証人-エコロと清掃公社のゴミ収集(市の委託)場所の一部(志和池を含む)を東亜環境が担当した。東亜環境の要望だった。
 質問-誰が、清掃公社や組合の請求書をチェックしていたか。
 証人-石崎常務がやっていた。理事長の印鑑は総務部長に預けていた。組合の請求書は、各社のものをまとめて事務的にやっていた。
 質問-当時、再委託(下請け)が行われていたことを知っていたか。
 証人-知っていたが、市に正式には報告していない。契約書には、再委託禁止条項はあるが、契約違反の認識はなかった。
 質問-下請け代金は。
 証人-軽トラック1台が2000円だったと記憶している。後払いだったと思う
 質問-組合設立の話は、誰が出したのか。
 証人-私が清掃公社に話をして了承をもらって動いた。市も同じ意向だった。一番詳しいのは、当時の二見重弘総務部長だ。契約関係には詳しかったと思う。
 質問-東亜環境を組合に入れる話は、誰が始めたのか。
 証人-東亜環境から入りたいとの意向があった。仕事の振り分けは、市から話があった。清掃公社とエコロのほかに大きな指定(産廃)を受けているのは、東亜環境しかなかった。設立時には既に東亜環境は入っていた。
 質問-清掃工場(郡元)に東亜環境から10人、清掃公社から2人の職員を派遣したのは、クリーンセンター(山田町)を任せることが前提だったのではないか。
 証人-私もそう思っている。
 質問-組合の設立は市の意向だったのか。
 証人-市からの話も聞いている。市の方針だったことは、担当が一番知っていたと思う。二見部長が詳しい。
 質問-平成23年度から一般ゴミ収集運搬を組合が受託しているが、経緯は。
 証人-市から話があった。組合から見積もりを提出したかどうかは、記憶にない。請け負い分の振り分けは、市が決めた。
 質問-大迫産業が、「組合に加入したいが、認めてもらえない」と困っていたことを知っているか。
 証人-知っている。東亜環境が反対していた。
 質問-リサイクルブラザを清掃公社が受注したが、東亜環境に代わった経緯は。一晩で決まったと聞いているが…。
 証人―答えられない。東亜環境からのおどしはなかった。次点が東亜環境とは知っていた。
 質問-官公需法を知っているか。
 証人-分からない。
 質問-二見部長が、清掃公社で、市の方針を説明したのは事実か。
 証人-間違いない。組合設立のために来てもらった。組合設立は、市の方針だったと聞いている。
 質問-清流館(下水処理施設)・清浄館(し尿処理施設)を清掃公社が受託しているが…。
 証人-当時、二見部長から聞いた。
 質問-組合は受注の際、協議をしているのか。エコロは、〝蚊帳の外〟だったと言っているが…。
 証人-組合設立の当時は事務所がなかったから石崎常務か私が連絡していた。東亜環境とエコロの関係は分からないが、組合設立に積極的だったのは東亜環境だ。
 質問-高崎町の処分場を落札した後、なぜ、辞退したのか。
 証人-記憶にない。
 質問-平成23年3月17日、野村副市長から電話があったか。市が来年度(平成24年度)から組合に一廃収集を発注できないかと電話があったはずだが。
 証人-記憶にない。
 質問-平成23年1月6日、東亜環境の新年会に顧問(ミズモト)と前田四一郎氏が来ていなかったか。
 証人-来ていた。竹中専務(当時)も来ていた。
 質問-ミズモト氏が専務に対して「清掃公社を潰すのは簡単だ」と言わなかったか。
 証人-詳細は知らないが、専務が怒っていたのは知っている。
 質問-平成23年2月、業務委託承諾申請書を都城市が「必要ない」と言っているが、東亜環境を参入させるためではなかったのか。
 証人-申請書の話はしたが、詳細は知らない。
 質問-一般廃棄物の許可がない東亜環境が組合に入ったのは、矛盾していないか。
 証人-組合を設立した後、東亜環境が一般廃棄物の許可を取ったと聞いている。パッカー車2台を東亜環境に売った。東亜環境は組合設立時、許可はなかった。矛盾していると思う。
 質問-東亜環境が一廃収集業務の経験がないから大迫産業を買収しようとしたのは知っているか。
 証人-知っている。大迫産業が承諾しなかったので、東亜環境は大迫産業の組合加入にかなり反対した。
 質問-㈱理研を知っているか。石崎氏と宮ヶ中氏が名刺を持っているが。
 証人-知っている。吉岡健太郎社長の兄弟が経営している。石崎から薬品(商品)を納入しないかと話があった。
 質問-エコロと東亜環境、清掃公社が1千万円ずつ組合に出資して強固な施設をつくろうと申し合わせがあったと聞いているが…。
 証人-記憶にない。
 質問-組合が降灰収集業務を受けたのは、市からの依頼か。
 証人-そうだ。
 質問-官公需法の許可を取らなければならないと認識したのはいつか。
 証人-設立当時はなかった。    (つづく)

都城市議会百条委④ 野村秀雄証人

 野村秀雄証人は、平成22年7月1日~同24年3月31日に事業担当副市長、同24年4月1日~翌25年3月31日に総括と事業担当を兼任していた。
 質問-新燃岳噴火の時、対策本部の中での権限は。
 証人-本部長だった市長の下で、副本部長を務めた。適宜、指示を出したり、職員の協議に応じたりしていた。
 質問-降灰収集運搬詐欺事件をいつ知ったか。
 証人-昨年(平成25年)11月18日、都城警察署の職員から聞いた。その日のうちに、市長と児玉副市長、小川総務部長と協議して被害届を出した。
 質問-平成25年1月頃、降灰収集運搬の件で国の会計監査が入っているが、証人は知っていたのか。
 証人-知らない。対応もしていない。下からの報告も一切、受けていない。
 質問-当初、清掃公社とエコロの2社が受託していたが、都城一般廃棄物処理事業協同組合(事業組合)に変更になったのはなぜか。
 証人-1月28日頃、(長峰誠)市長から呼ばれて、事業組合に頼むことを検討してほしいと言われて、日高裕文環境森林部長に検討を指示した。2月2~3日頃、日高部長から「組合に委託したい」と返事があり、それを市長に報告した。
 質問-組合員以外の収集運搬の許可を受けている業者には、なぜ、委託しなかったのか。
 証人-分からない。市長が「検討しろ」と言ったから、そうしただけだ。
 質問-降灰収集運搬を事業組合に委託するよう便宜を図ったことはないか。
 証人-ない。事業者や市OBからも働きかけはない。
 質問-契約書は、誰が作成したのか。作成時、証人は協議に参加していたのか。
 証人-決裁があがってくるだけで、協議などは一切していない。
 質問-契約の内容について。
 証人-分からない。
 質問-委託業者への支払い方法は。
 証人-全くタッチしていないから分からない。
 質問-事業組合が設立した時、実績のある2社が、なぜ、組合員になれなかったのか。
 証人-分からない。組合の業務も知らない。
 質問-実績のなかった東亜環境が組合員になれたのはなぜか。
 証人-全く分からない。
 質問-東亜環境が組合に参加できるよう便宜を図ったことはないか。
 証人-一切ない。
 質問-事業組合の設立について、相談を受けたことはないか。
 証人-全くない。
 質問-平成23年度、一般ゴミについて大幅に民間委託になったが、いつ決まったのか。
 証人-23年3月中旬、23年度の一般ゴミ収集は、清掃公社とエコロの二社の起案文が、上がってきた。ところが、市長から「今後は事業組合に委託する」と言われ、日高部長に検討するよう指示した。民間の分は、全て事業組合に委託するとのことだった。
 質問-協議は、いつしたのか。
 証人-市長の指示があり協議した。当時、「ふるさと雇用事業」があり、エコロと清掃公社の二社で、国から年間一億円の補助金が交付されている。これが事業組合に変更されると、支払いの相手先が変わるため、補助金を受けられなくなる。市長には、「できない」と報告した。
 質問-民間委託に変更する決定は、いつされたのか。
 証人-財政支出や国の補助金、法的な問題などがあり、すぐにはできないため検討させた。結果、各関係部署から、問題についてはクリアできたとの回答をもらい、平成23年4月から組合に発注した。
 質問-組合の設立と山田町のクリーンセンターの建設とは、関連があるのか。
 証人-どういう関係があるのか理解できない。
 質問-実績ある業者二社が、組合に加入したいのに行政側が収集運搬業の更新許可を出さなかったことを知らないか。
 証人-全然知らない。
 質問-市が委託している業者から、職員の再就職先として、推薦依頼はなかったか。
 証人-東亜環境に行った松元清光氏の推薦があった。長峯市長に呼ばれ、「東亜環境から依頼が来ている。松元氏本人の意向を聞いてくれ」と言われた。その先は知らない。
 質問-清掃公社にも市の職員が天下っているが。
 証人-堀川渉氏は、知っている。石田操氏についても後で聞いた。本来なら、清掃公社の所管である事業担当の私に相談が、あってもしかるべきだが、私には何も報告がなかった。
 質問-降灰運搬の単価を決めた際、相談はなかったか。
 証人-ない。                                               (つづく)

都城市百条委③ 池田宜永証人

 池田宜永証人は、平成19年4月~同22年6月まで都城市の副市長を務め、24年11月に都城市長に就任した。
 質問-新燃岳降灰収集運搬量の水増しを知ったのはいつか。
 証人-昨年(平成25年)11月中旬から下旬にかけてだ。野村秀雄、児玉宏紀各副市長、小川総務部長と私の4人が、庁舎の五階の会議室で、都城警察署の署員二人から清掃公社の石崎氏と宮ヶ中氏、東亜環境の吉岡健太郎社長らが事件を起こしたと聞いた。
 4人以外の職員には一切情報を流していない。水増し金額は、はっきり覚えていないが、その時点では500万円くらいだったと記憶している。
 警察が来たその日、4人で検討会を行い、被害届けを出した。書類は、警察が準備していた。われわれは立証できないが、警察が捜査する中で得た情報を根拠にした。
 質問-担当の環境森林部長が、なぜ、検討会の席にいなかったのか。
 証人-警察から、「まだ、捜査中であり、捜査上の機密情報があるので、漏洩されては困る」と、言われたからだ。
 検討会には、事業担当の副市長がいたし、最終決裁者の私もいた。環境行政に責任あるものがいなかった訳ではないから、問題はない。
 質問-今回の事件に関して、市に責任はないと思うか。
 証人-一義的、直接的な責任はないと思うが、きちんと計量していなかったことに関しては管理監督の立場から、行政として適切でなかったと感じている。
 質問-副市長時代から現在までの間、降灰事業を委託した業者から職員の再就職先として推薦依頼はなかったか。
 証人-ない。但し、清掃公社には、以前から市OBが継続して就職することは知っていた。
 質問-市から委託業者に再就職の受け入れ依頼をしたことはないか。
 証人-ない。
 質問-今後、委託業者への再就職は、どういった方針で進めていくつもりなのか。
 証人-職員が自分で就職先を探すことについて、市は口出しできないが、基本的に民間事業者に就職することに関して、市は関与すべきではないと思う。
 質問-清掃公社や東亜環境との接触は、副市長時代を含めて、これまでなかったか。
 証人-忘年会には出席していない。今年(平成26年)、新年の挨拶に東亜環境の吉岡健太郎社長が松元清光専務(市OB)らと来た。清掃公社からも当時の石田操社長が挨拶に来た。
 質問-吉岡健太郎社長とは、それ以前に接触したか。
 証人-平成24年4月頃、吉岡社長の自宅で会った。長峯誠前市長が参議院議員に立候補する話があった頃、前市長にいろいろと相談を持ちかけた。その時、「ぜひ、吉岡社長に会ってくれ」と、前市長から の強い要請を受けて会った。長峯前市長も同席した。私から、何かお願いがあったわけではない。資金の提供もなかった。
 質問-20年4月1日、東亜環境にはじめて市OBが天下ったが、その後、前市長からの引継ぎはなかったか。
 証人-具体的な引継ぎはない。
 質問-職員の再就職について、業者から再就職の依頼があった場合、担当者は推薦していたようだが、副市長や市長には、担当部署からそのような話は上がってこないのか。
 証人-清掃公社や医師会病院などから、再就職の依頼が市に来ていることは知っている。しかし、東亜環境からの具体的な依頼については、知らない。
 質問-市役所OBの再就職は、職員課の業務だが、最終的な判断は、誰がやっているのか。
 証人-外部から職員課に再就職の依頼来ると、副市長を通して、市長に相談がくる。最終的な判断は、私がやっている。
 質問-副市長時代、事業協同組合をつくる話は聞いていないか。
 証人-聞いていない。当時は、総括担当だったため、環境森林部を担当していない。
 質問-同組合の設立関係者が、市長室や副市長室に出入していたことは知らないか。
 証人-設立関係者が私のところに来たことはない。当時の(長峯)市長やもう1人の前田公友副市長の部屋に行ったかどうかも知らない。
 質問-池田市長から全員協議会で、裁判の判決が出たら、組合、清掃公社、東亜環境の指名について、適切かつ厳正に対処をするとの説明があったが、実際には判決前に入札参加の資格停止措置を行った。なぜ、対応が早まったのか。
 証人-裁判は、いつ結審するか分からない。その時にできる最大の措置を行っただけ。
                                                                  (つづく)

都城市百条委② 日高裕文証人

 日高裕文証人は、平成20年4月~同23年3月、環境森林部長を務めた。新燃岳降灰収集運搬詐欺事件が起きた当時の部長である。
 質問-当時、降灰収集運搬業者の代表者や役員と面識はあったか。
 日高証人-清掃公社の堀川渉社長、エコロの西憲吾社長、東亜環境の吉岡健太郎社長と前田四一郎氏(都城市OB)。
 質問-降灰処理当時の単価決定の経緯は。
 日高証人-部下の日高覚助環境業務課長に見積もり方法を指示した。土木や財政など関係課と協議するよう伝えた。環境業務課で収集作業をしたが、無理だったので、清掃公社とエコロに依頼しようと見積もりを取った。環境森林部独自の積算はしていない。
 質問-単価を決定したのは誰か。
 日高証人-市長決裁だが、判断したのは私だ。
 質問-清掃公社とエコロへの委託が、なぜ、組合に変更されたのか。
 日高証人-業者が多い方が、対応が充実すると考えた。他の収集業者の場合、選定方法から取り組みまで日数がかかるため、検討しなかった。
 質問-組合が受託できるよう便宜を図ったことはないか。
 日高証人-ない。
 質問-事業者や市OBからの働きかけはなかったか。
 日高証人-堀川社長から、「2社だけでは厳しい。組合に委託してもらえればありがたい」と話があった。
 質問-契約書は、誰が、いつ、作成したのか。
 日高証人-環境業務課の下徳副課長が作成した。相手は、都城一般廃棄物処理事業協同組合だ。2月の初めだった。日にちは覚えていない。
 質問-契約の内容は。
 日高証人-一般家庭からの火山灰を袋で不燃物ステーションへ出してもらい、それを業者が集めて処分場へ運搬する作業だ。
 質問-契約期間は決まっていたのか。
 日高証人-年度末の3月31日で一旦、終了し、翌年度に新しく契約した。1ヶ月締めで、翌月の7日~10日払いだった。振込みで支払った。
 質問-業者からの請求書に対する市のチェック体制は。
 日高証人-金額によるが、担当課長から課長、部長、副市長、市長へといった形で決裁している。
 質問-証人は降灰の計量実績を把握していたか。
 日高証人-月毎の実績報告書を確認していたが、どの業者がどれくらいの期間、計量していたかは、記憶にない。
 質問-公判では、市が業者に対して「トラック何台分の請求で良い。実量と報告量に誤差があっても構わない」と伝えたとの証言があるが。
 日高証人-そんな事実はない。
 質問-単価×トン数を実績払いにした理由は。
 日高証人-トン単価にすると、実績数値を正確に把握できるからだ。この件については、清掃公社の堀川社長から申し出があった。
 質問-自己申告制にしたのは誰か。
 日高証人-私だ。
 質問-処分場に運搬された降灰のチェックは。
 日高承認-知らない。
 質問-実績のない東亜環境が加入できた理由は。
 日高証人-組合の設立に一切タッチしていないので分からない。
 質問-クリーンセンターと組合設立は関係があるのか。
 日高証人-そんな話は聞いたことがない。
 質問-降灰収集運搬業務では再委託が行われていた。証人は知っていたか。
 日高証人-知らない。
 質問-山田総合支所は、課長が計量するよう指示していた。なぜ、本庁はしなかったのか。
 日高証人-組合を信頼していたから。
 質問-組合への信頼はどこから来るのか。ゴミ問題を議会で発言すると、市から天下った職員が…
 <委員長が制す>
 質問-議会でゴミ問題を発言すると議員が脅されていた。そういう業者がいるのに、なぜ、組合を信頼できるのか。
 日高証人-人と会社は違う。
 質問-実績のない東亜環境が、組合で収集業務を受けられる形をつくったのではないか。
 日高証人-そんな話は一切聞いていない。
 質問-業者から、他の業者が加入を申し出ると、市が圧力をかけて加入を阻止していたと聞いているが、事実か。
 日高証人-知らない。
 質問-当時、長峯市長から降灰収集運搬業務を組合に委託するよう指示があったとの「野村メモ」があるが。
 日高証人-記憶にない。現場は、平成23年度も2社で続けたいと決定、予定していた。しかし、最終的に市長の判断で、組合への委託が決まった。
 質問-官公需法について、市に方針はあったのか。 
 日高証人-ない。

都城市議会百条委① 二見重弘証人

 都城市議会が、新燃岳降灰収集運搬詐欺事件調査特別委員会〈百条委員会、黒木優一委員長〉を設置して以来、50人以上の関係者が証言台に立った。本紙は、このうち、事件の鍵を握っていると思われる人物の重要な証言を再現する。
 初回は、二見重弘氏の証言から。同証人は、平成22年4月1日~同23年3月1日に総務部長、同23年4月1日~同26年3月31日に環境森林部長を務めた。
 質問ー降灰処理に関しての権限は。
 証人ー総務部長だった時は、長峯誠市長の下で、災害対策の総括的な業務を行っていた。道路などは土木部で、家庭敷地内の降灰は環境森林部で対応を協議して進めた。
 環境森林部長以降は、自分が降灰収集処理を担当した。家庭からの収集運搬、処分場への処理業務を総括していた。
 質問ー(新燃岳噴火)当時、降灰収集運搬業者の代表者や役員、社員と面識はあったか。
 証人―清掃公社の堀川渉社長、東亜環境の吉岡健太郎社長、松元清光部長ほか、清掃公社の役員、部長ら二、三人を知っている
 質問ーそれらの知人と一緒に飲食をしたことはあるか。
 証人ー平成24年(この後、平成23年に訂正)、グリーンホテルであった東亜環境の忘年会に出席した。当時の市長(長峯市長)もいた。
 質問ー降灰処理については誰が契約したのか。
 証人ー担当ではないので知らない゜契約書の中身も確認していない。
 質問ー都城市一般廃棄物処理事業協同組合(事業協同組合)について、過去の実績のある業者が組合員になれなかった理由は。
 証人ー知らない。設立はあくまで任意。
 質問―実績のない東亜環境が組合員になれた理由は。
 証人ー分からない。
 質問ー組合設立については知っているか。   
 証人ー事後に知った。設立当時、総務部長だったため、設立については知らない。環境森林部長になってからも実績のない東亜環境が組合員になっている事に違和感はなかった。
 質問ー事業協同組合は必要だったのか
 証人ーいい仕事をするためには必要だった。
 質問ー同組合設立を進めた主導的な業者を知っているか。
 証人ー設立当時は知らない。後日、清掃公社と東亜環境だと聞かされた。
 質問ー事業協同組合が一般廃棄物収集運搬業務を受託できるよう便宜を図ったことはないか。
 証人ーない。
 質問ー山田クリーンセンターと事業協同組合の設立は関連があるのか。
 証人ーない。
 質問ー降灰収集運搬事業で、再委託(第三者)が行われていた事実を知っているか。
 証人ー報道後に知った。それ以前は、全く知らない。
 質問ー総務部長だった平成22年度の決裁書類(降灰収集運搬業務)について。
 証人ー回ってきた記憶がない。単価も知らない。決裁は市長だったと思う。
 質問ー実績のある業者の組合加入を市が受け付けなかった事実を知っているか。
 証人ー認識はない。
 質問ー市が、それらの業者に対して、委託業務契約の書類を渡さなかった状況は知っていたか。   
 証人ー全く知らない。
 質問ー忘年会(平成23年)で二次会へは行ったのか。誰が同席していたか。
 証人ー行った。吉岡社長、松元部長、長峯市長がいた。息子の二見康之県議も同席した。
 質問ー「組合設立は行政主導だった」の複数の証言がある。証人が、清掃公社の厚生会館で市の方針を説明したことは事実か。
 証人ー設立をお願いしたことも説明したことも全くない。 
 質問ー官公需法について、当時の市長から何か指示があったか。  
 証人ーない。
 質問ー組合に一般廃棄物収集運搬業務を委託するのは、いつ決まったのか。
 証人ー当時、総務部長だったので知らない。担当部長になって、委託していたことを確認した。
 質問ー当時、長峯誠市長と野村秀雄副市長、日高裕文環境森林部長らが、ふるさと雇用再生事業の関係で、一般廃棄物処理事業の事業協同組合への発注を協議したとのメモ(いわゆる野村メモ)があるが。
 証人ーふるさと雇用再生事業と事業協同組合との関係は全く認識していない。
 質問ー平成23年12月議会で、証人は、設立に関与する趣旨の発言をしているが。
 証人ー事業協業組合に発展できないかを協議しただけで、組合設立については全く知らない。

三股町「やまびこ会」、監査指摘を解決できない

 三股町で昨年、社会福祉法人「やまびこ会」の不適切な会計が問題になったが、同町はいまだに解決できないでいる。町が指定管理者に選定した法人内で起きたにもかかわらず町は静観を続けている。管理能力に欠けると言わざるを得ない。
 同法人の最大の問題は、和気進前理事長が行った不適切会計で発生した経費約230万円の弁償だ。県は、昨年の監査で「計上できない」と指摘。現在、法人が和気前理事長個人に対して返還請求している。
 一方、和気前理事長は弁護士を立てて対抗。「やまびこ会」も弁護士を雇い、応戦している状況だ。しかし、この間、町は静観を続けている。「本部会計には口出しできない」(岩松健一福祉課長)が理由という。 「やまびこ会」は、三股町が、町内の保育園と老人ホームの運営を指定管理者として選定している社会福祉法人だ。その本部で起きた不適切な会計をなぜ、町は解決できないのか。
 町は、「保育園や老人ホームに直接関わる問題ではないから…」と、意味不明な回答を続ける。町が措置費や保育費として支出している血税が、本部に流れていない証拠でもあるのか。同じ法人内であり、理事長も同じで、なぜ、本部だけが〝聖域〟とみなされるのか。町は、面倒なことに首を突っ込みたくないだけではないのか。それとも前理事長に弱みでも握られているのか。
 昨年11月には、「県の監査に基づく建て直しが実現するまでの期間に限り」(三股町)西村尚彦副町長と2人が理事に就任したはずだった。ところが、現在、岩松福祉課長1人だけ。既に〝建て直し〟が完了したとでも判断しているのか。呆れてしまい、言葉も出ない。
 今年3月議会でも町は、「やまびこ会の問題だから…」と終始、腫れ物に触るような態度だった。およそ、町が血税を投入している法人に対する姿勢とは考えられない。
 町は、「保育園や老人ホームは本部と別会計だから口出しできない。新理事長が就任して、新体制でスタートしている。健全な運営になった。今後も続けてもらう」(木佐貫辰生町長)という。全く理解できない発言だ。
 町は、「県の監査に基づく」対応をするのではなかったか。監査の指摘とは、「前理事長からの230万円の返還」だったはず。これでは、まるで、「前理事長の問題は、終わったことだ」といっているようなものだ。
 昨年7月に三股町議会が設置した百条委員会の最終報告でも①報酬額の返還②通信費の返還③弁護士費用の返還―を請求するとともに「業務上横領で告訴した刑事責任を問うべき」と指摘している。
 ところが、「やまびこ会」は、「弁護士に任せている。町も「弁護士が告訴しないと言っているから…」と、まるで他人事なのだ。町民の中には、「ゴネれば税金も払わないですむのか」と吐き捨てる者もいる。
  「やまびこ会」には町民たちの血税を投入している事実だけでも、町が同法人に立ち入る理由として十分なはず。しかも県の監査結果に基づく大義名分もある。本来の目的以外に使われた血税を取り戻すのも町の重要な職務のはず。それにもかかわらず、町は余りにも弱腰なのだ。こんな態度では、再発防止すら危うい。〝情けない〟の一言に尽きる。

日南市、市民いじめのデタラメ職員

 役所職員は、どこでも同じようなものだが、自分たちの失敗をなぜ、認めないのか。市民の奉仕者であるはずの職員が、市民の利益を最優先せず、保身に走るのは、服務規定に抵触するのではないか。
 日南市(崎田恭平市長)中村字空也ヶ迫(旧南郷町)のKさんは、市の余りにもズサンな国土調査に憤慨している。同地区の国土調査は、平成16年~17年に実施された。
 当時、Kさんには立会いの連絡はなく、いつの間にか、里道とKさん所有の土地の境界に2本の杭が打ち込まれていた。Kさんは、「市がやったことだから間違いないだろう」と思い、後日、立会い証明書に捺印した。
 その代わり、市に対して境界線を決めた経緯や測量した時の状況が分かる詳しい資料の提出を要求した。その時は市も承諾した。
 ところが、Kさんは、当時の測量士から「市が『立会人は1人でも構わないから早く済ませろ』と言ったので、適当な場所に杭を打った」と知らされた。
 更に、昭和61年に西武グループ(南郷プリンスホテル)が土地を買収した際、同グループが「ここら辺までだろう」と大まかに境界に打った杭が、国土調査の図面の基準になっていることが、当時の職員の証言から分かった。
 しかも、これらの事実を日南市は「知っている」(農村整備課)という。それにもかかわらず、日南市は、Kさんが要求する資料の提出に全く応じない。市が勝手に個人の土地の境界線を決め、「手続きが完了しているから問題ない」と言っているのだ。
 市に個人の所有地の境界線を勝手に決める権限などない。たとえ、手続きに瑕疵(かし)がなくても境界線そのものが間違っているのであれば、見直すのは当然のこと。市民いじめとしか、思えないのだ。 
 職員は、「先輩の職員が間違っていた。正しい境界線に戻す」となぜ、言えないのか。法務局も「字図と国土調査の結果に大きな乖離があれば、市に再調査を申請できる」との趣旨を述べている。
 Kさんが、市によって土地という財産を勝手に削られた事実は、消えない。それでも市は、「昭和61年当時のことなど調査できない」「担当者も変わって分からない」と弁解ばかりで逃げ回る。
 これに対して、Kさんは、当時の状況を短期間で調査済みだ。市民に出来て、職員に出来ないはずはない。職員によるただの職務怠慢に過ぎない。市職員は、無能の集まりとしか、いい様がないのだ。
 Kさんは、「土地が減ったことよりも職員の不誠実な対応に腹が立つ」という。市の職員は何のために存在するのか。市民の奉仕者ではないのか。こんな職員にすら市民の血税から給与が支払われているのだ。
 崎田恭平日南市長のスローガンは、「できない理由ではなく、できる方法を考える市役所づくり」。今、県内では1、2を争う人気市長とは裏腹に、日南市役所の実態は、「できない理由をさがす市役所」としか、いえない。職員の意識改革から始める必要がありそうだ。


町は放置したままか? 三股町防災行政無線工事

 三股町の公共工事(行政無線基地の設置工事)で、業者が隣地を無断使用した問題は、町が設置場所を変更したため、解決していない。設置するはずだった土地には、今も工事中の柱が放置されたままだ。このため、地権者へは、1年間で2万5千円と低額だが、町は地代を支払うことになっている。町民たちの血税である。これまでの町の説明では、町は、業者に対して隣地の地権者に謝罪するよう指導し、放置されたままのコンクリート製柱についても責任ある対応をしてきたことになっている。無論、謝罪もしたという。


 しかし、この隣地の地権者(仮にA)の説明では、町長は事件発覚の3日後に被害者宅を訪れ、「謝罪に何回か来たい」とは言っていたが、「申し訳ない」の一言もなく、以来、接触もないという。全く話が噛み合わない。公共工事といえども個人の土地を勝手に使用するなど許されない。当然、事前に地権者の承諾を得なければならない。しかも、今回は、植木を勝手に移植して枯らしており、実害まで発生している。


 7月25日号でも報告したが、設置場所の所有者(仮にB)は、町総務課の担当者に対して「Aの使用許可をもらうようにAの電話番号と住所を教えた」という。それにもかかわらず、町は、「土地所有者は不明」と書いた書類を業者に渡している。県土整備部管理課も今回のような場合、「発注者は、最後まで責任を持って対応すべきだろう」という。しかし、三股町の担当者は、「町には責任はない。会社に言え」などと暴言を吐いた(町は否定)だけで、なぜか、被害者である地権者に対して、誠意を見せない。


 行政無線基地の設置は、国からの補助金事業。当然、国の審査があり、補助金を受け取る側には、報告義務がある。ところが、三股町は、今回の件については、国に事実を伝えておらず、設置場所を変更して、知らん振りだ。
 町の余りの仕打ちに痺れを切らした地権者Aは、これまでの事実を総務省と会計検査院に書面で申し立てするという(既に口頭での報告は済ませた)。


 町は、発注した公共工事で発生した刑事事件に対して、「町には責任がない」と主張するだけでなく、事実を国や町民に報告せず、全て闇に葬ろうとしている。こんなことが許されるのか。それだけではない。町は、町民たちの目を逸らせるように工作して、Aの親戚(町の職員)を対策責任者に指名した。Aのケンカの相手が親戚となれば、問題の焦点もボケることになることを見越してのことだろう。Aによると、町は、話題をそらすことが狙いで、あわよくば、事件とAの親戚ともども切り捨てるような考えがあるのではないかという。事実であれば、町のやり方には呆れてしまう。


 Aは、町への反論に当たり、他県のことだが、過去に起きた同じような事件についての例を挙げている。この時の事業は、国交省の補助金3億~4億。町の委託を受けた業者が、土地の所有者(隣地の地権者を含む)の許可を受けずに工事を完了したという。事件発覚後、自治体は議会、国へ事実を報告し、解決のための評議会を開いた。議員、議長、首長が、被害者(遠隔地)を数回訪れ、役場一体で解決策を探った。結果、地主が謝罪を受け入れ、国から補助金も支払われたという。


 一方、三股町は、被害者に対する誠意もなければ、配慮もない。議会も正式な調査を行っていない。町も議会も住民に対する奉仕者としての自覚が全くないようだ。町は、放置したままの柱は、どうするのか。地権者(B)は、「町のために貸した土地だ。放置されたままでは困る」と訴えるが、町は聞く耳など持たず、撤去の目途は全く立っていない。町は、自治体として機能していないと言うほかない。  (燕)

凄まじい管理業務、県営住宅の実態

 県営住宅には、住人たちと管理会社とのパイプ役となる管理人がいる(市営住宅も同じ)。住人が、1年ごとに輪番制で行うことになっている。この「管理人の負担が重すぎる」と関係者から連絡があった。現在、県営住宅の管理業務は、指定管理者制度を導入しており、県南は宮崎県宅地建物取引業協会(甲斐正幸会長)、県北は延岡日向宅建協同組合(同理事長)が管理を行っている。


 この管理会社(指定管理者)が県営住宅の管理人の業務についてまとめた『県営住宅管理人の手引き』は、管理人の一般的業務として、7項目を列挙しているが、その中に、「退去に関する業務」「報告事務」がある。うち、ほとんどが、管理会社の業務と思われるものばかり。例えば、①不正な行為で入居した②県営住宅を他人に無断で貸す③承認を得ないで県営住宅の用途を変更④理由なく15日以上入居しない⑤入居者が無断で退去する―などを知った場合、管理会社に報告することになっている。退去に関する業務としては、①退去者に対して退去5日前までに管理会社に届ける②退去の日まで水道・電気・ガスの停止手続きと使用料の清算③退去の際は部屋の清掃とゴミの処分を行う―などについて、住人たちを指導しなければならない。


 これらに関する業務を管理人が実行しようとすれば、相当な情報収集力が必要になる。しかし、管理人にも本来の仕事がある。毎日、住宅内にいることなどできるはずもない。いったい、どうやって、情報収集すればいいのか。一昔前のように十世帯程度の県営住宅であれば、方法もあるだろうが、50~60世帯などの大規模住宅では、顔を合わせたこともない住人など幾らでもいる。そんな状況下で得る情報など、たかが知れている。例えば、他人の入居日や退去日など、管理人がどうやって知るのか。管理会社は当然、入居契約に立ち会うため把握しているはず。むしろ、管理会社が情報を流さないため、退去後に共益費を徴収することになる管理人の方が、迷惑しているほどだ。


 「退去日は、個人情報だから…」(延岡日向宅建協同組合)と言う。しかし、家賃については、退去後も管理会社が強制的に徴収する一方で、管理人が退去人の退去後の住所を知るなど至難の業。まして、そこまで出向いて共益費を徴収するなどできるはずもない。更に、伝達及び届出・申請などの指導業務もある。「住宅明け渡し届」(退去する時)、「住宅入居承継承認申請書」(入居許可を得たものが死亡・退去した場合)、「住宅入居異動届」(入居者の変更時)、「連帯保証人変更承認申請書」、「収入申告書」(毎年1回)―などの提出について、住人たちを指導することになっている。しかし、これらは全て、管理会社と入居者個人との関係で発生する項目だ。なぜ、管理人が関与しなければならないのか。本来、管理会社が行うべき業務を管理人に押し付けているとしか、思えないのだ。


 この『管理人の手引き』は、県の担当者も目を通しているという。しかし、余りにも管理人の負担が重すぎる。「検討すべき余地はある」と県建築住宅課は説明するが、こんな業務まで要求される管理人は、たまったものではない。管理人の負担を軽減するためにも県は早急に、管理会社や住人たちを交えて、協議の場を設けるべきだろう。

新心霊スポット!?

 霊が見えたり、心霊現象などが起きる、いわゆる「心霊スポット」は、県内にも存在する。最も有名なのが、宮崎市佐土原町にある久峰隧道。別名、『コツコツトンネル』と呼ばれている。
 トンネル内で車を止め、クラクションを3回鳴らすと、ハイヒールの「コツコツ」という音が近づいてくるという、なんとも気味の悪い話だ。
 綾町の照葉大吊橋や日之影町の青雲橋などは、自殺の名所として知られ、橋を渡っていたら「何かに足をつかまれた」と感じる人もいるという。
 以前、どこかの海岸の崖から人間が飛び降りる瞬間を撮影した心霊写真を見たことがある。飛び降りたのは、自殺願望者だった。
 写真をよく見ると、水面から無数の腕が伸び、飛び込んだ人間を海の中へ引き込もうとしているのが写っていた(合成かも知れないが…)。さすがにゾッとした。
 さて、写真に写っている場所は、延岡市赤水町の海岸にある駐車場。タイヤ止めや落下防止の柵などはない。所有者は、地元のHさん。この場所で、わずか1年間で高齢者が続けざまに3人も死亡しているのだ。
 最初は昨年5月。78歳の男性が、車のまま海へ転落。次が今年1月で、この時は歩いていた82歳の男性が、なぜか海に落ちて死んだ。更に6月にも68歳の男性が、再び車に乗ったまま海に飛び込んでいる。 
 単なる偶然と言えば、それまでだが、それ以前は事故など一度も起きていない場所だ。それが、なぜか、昨年から事故続きなのだ。近所の住民たちは、「何か、あるのだろうか」「気持ちが悪い」などと言っているという。

未経験者に伐採をさせるな

 森林乱伐が続いている。特に、児湯地区は、際立つ。地元からは、「そのうち、緑がなくなるのではないか、不安」などといった声が聞こえて来る。原因は、木材需要が伸びているからだが、植林する苗木が足りないことが最大の問題のようだ。


 森林関係者によると、苗木不足は、昨年春ごろから顕著になり、需要494万4千本に対して供給量は424万2千本と約27万本の供給不足に陥った。今年に入っても供給量の4~6%が不足。今後、一段と加速し、今年度は25万本、来年度は更に不足すると可能性が高いという。県議会の一般質問で、大坪篤史環境森林部長は、2013年度の県内民有林伐採のうち、8割が再造林されている」と答弁しているが、苗木不足が顕著になったのは翌年からで、森林資源に関して、同部長の発言は、何の参考にもならない。


 民有地の森林伐採は、届出が基本。しかし、「苗木が確保できない限り、届出があっても伐採しないよう指導することが必要なのではないか」(森林関係者)。「災害などの危険性がある以上、行政の判断で指導するのが当然」(同)という。実際、切原ダムの上は、昨年起きた広島大災害のような地盤崩壊の危険性があるという。現場は、40年程前、一度伐採した場所で、「当時は樹齢80年~100年のアカマツやツゲがあった」。その後、針葉樹を植え、35年~50年経った今、伐採したという。


 通常、植林する場合、伐採した切り株を残して、次に植える木の肥料にするという。しかし、「40年前の切り株は既に腐り、地盤も緩んでいる。針葉樹の切り株だけでは、支えきれない。そのうち、地盤崩壊して流れ出す」という。植林が遅れれば、なお更のことだ。更に、伐採方法にも問題があるという。山に枝や間伐材を残したままだったり、中には、竹を切らずにそのまま放置していたりする。全てを除去しなければ、「植林はできない。こういった基本的な伐採すらできていないため、災害の危険性がある。これらも行政指導の対象にしてはどうか」という。


 他にも隣接者とのトラブルも起きているという。例えば、両隣に他の所有者の森林がある場所を伐採する。ところが、伐採業者は、両隣の境界線を確認せずに伐採するため、許可していない両隣まで伐採することになる。そこで、伐採業者は、両隣に対して、「立ち木を買うから切らせてほしい」と頼み込む。結果、周辺一帯が伐採され、一気にハゲ山になる。実際、無理やり木材を得るため、こういった状況を故意に作り出し、伐採している業者もあるという。「行政機関の立会いの下で、境界を確認すべきではないか」(森林関係者)。


 森林乱伐は、他の業界にも影響を及ぼしている。最たるものが、畜産業の敷料資材のオガクズ。糞尿を理するためには、必要不可欠なものだ。関係者は、「木質バイオマスの燃料として、オガクズの原料が取られている」と口を揃える。実際、児湯地区周辺の木材業者には、オガクズにするC材以下の在庫がないらしい。畜産業の盛んな川南町や新富町などではオガクズ不足で、既に悪臭がひどい場所も出ているという。このままでは、「10号線を通る際、臭くて窓を開けられなくなるのもそう遠くない」と心配する住民も少なくない。森林関係者によると、「未経験者が森林を伐採することは、森林を荒らすことと同じ。その場合、行政や森林関係者が、きっちりとした指導を行うことで、災害など防ぐことができる」という。


 森林は資源だが、県民の財産でもある。「高く売れるから」「必要だから」と、やたらめったら伐採していいものだろうか。次世代のための資源・財産として残すことこそ、われわれ世代の責務ではないか。

腐敗しきった都城市・議会

 池田宜永都城市長の私設秘書が、武道場の計画見直しの請願者宅を個別訪問したことに関して、都城市議会6月定例会の一般質問で、小玉忠宏議員が、池田市長に市民に謝罪するよう迫った。しかし、市長はあくまで、私設秘書がやったことだと謝罪を拒否した。


 前号でも述べたが、請願権は、日本国憲法が保障する権利(憲法16条)。しかも同市議会基本条例も、請願は「市民による政策提言」と位置づけている。これらの権利を市長が侵害したことは、重大問題のはずだが、市議の大半が静観し続けているのだ。これに対して、市民の間では、「市長が謝罪するは当然のこと」「政治不信にならざるを得ない」「市長は、市民の意見を聞くどころか、政策に反対する意見を抹殺しようとした。許せない」など、反発が広がっている。


 請願者や武道団体関係者は、個人的な私利私欲で、請願書を提出した訳ではない。それを、市長や国会議員らの脅しで潰されれば、納得できるはずがない。私腹のために動いたのは、むしろ、行政側の方だろう。「市民の正当な権利が侵害された。市長が謝罪しないのであれば、告訴も辞さない」といった声もあるほど憤慨する武道団体の関係者もいる。ところが、これらの事実を池田市長は、〝なかったこと〟にしようとしているのだ。


 池田市長は、「秘書がやった」と個別訪問は認めているものの自分には責任はないという。圧力をかけたことについても「誤解があった」と逃げている。まったく、どこにでもある都合の良すぎる言い訳だ。しかし、個別訪問すること自体、「署名者や署名活動者に対して不当に圧力を加えるもの」(平成22年11月10日 岐阜地裁判決)であり、誤解が生じる余地などない。しかも、市長が秘書に指示していない証拠は、どこにもない。


 古川久禎代議士と池田市長が結託して、私設秘書を使って請願者たちを脅し、請願書の取り下げを迫った。これに下山隆史議員が〝右に倣え〟だった以外に考えられないのだ。平たく言えば、市の政策に反対した市民に対して、市と議会が寄ってたかって脅しをかけた訳だ。現代の法治国家で、こんなデタラメな行為が許されるはずがない。本来なら、市長をはじめ、関与した代議士、市議は、謝罪どころか、進退問題に発展するほどの事案だ。それが、全く問題視されていないのだ。


 頼みの都城市議会も市長の〝金魚の糞〟が集まっているため、見て見ぬ振り。下山議員は、電話で、「請願者になったのは、誰から頼まれたからか」と請願者を威嚇し、「(圧力をかけることは)誰でもやっていることだ」と開き直っている。こんな厚顔無恥な議員を野放しにしていては、都城市議会に存在価値など存在しない。直ぐにでも解散してしまえ。


 正常に機能する議会であれば、下山議員の不祥事は、懲罰委員会を設置し、議員資格を剥奪しなければならないほど、市民を愚弄する悪質で重要な問題と判断するはず。市民の負託を受けた議会の責任として、少なくとも下山議員を〝指導〟することが、当然の義務として認識するはずだ。


 それにもかかわらず議会は、永山透議長をはじめ、何事もなかったかのように静まり返っている。無能者の集まりとしか、言いようがない。正論が通用せず、暴論のみがまかり通る。都城市は役所、市議会ともに腐れ切っている。

都城市議会は市長に謝罪要求を

 今月19日の都城市議会(一般質問)で、有田辰二議員の「武道場の計画見直しの請願者宅に秘書が個別訪問したことをどう思うか」の質問に対し、池田宜永市長は、「私設秘書が業務の一環として行ったことだが、誤解を招いた。今後、指導していきたい」と意味不明な回答をした。


 池田市長は、何を指して「誤解」と表現したのか。もともと誤解など、どこにもない。秘書2人と市議1人が、請願者に対して、請願書を取り下げるよう強要した事実があるだけだ。市長は、市民に圧力をかけたことについての反省の色が全くない。市長の脳裏には〝秘書がやったこと〟に加え、「圧力をかけたつもりはない」の秘書の発言があるようだが、余りにも無責任すぎる。


 秘書の訪問で一般市民が萎縮した事実を市長が認めず、「秘書がやったことだから…」と他人ごとのように言っている限り、今回のような事件は今後、何度でも起きる。請願権とは、憲法に定める受益権のひとつで、「何人も損害の救済、公務員の罷免、法律、命令または規則の制定、廃止または改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人もかかる請願をしたためにいかなる差別待遇を受けない」(憲法16条)とあり、保障されている権利。


 また、請願法も制定されており、「この法律に適合する請願は、官公署において、これを受理し、誠実に処理しなければならない」(第5条)、「何人も請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」(第6条)と規定されている。市長が、これらの法的根拠に基づいた市民の権利を侵害していながら何の謝罪もしないとは、傲慢も甚だしい。
平成22年11月10日(岐阜地裁)の判決によれば、請願書について、「署名の真正に疑義があっても請願者を戸別訪問して調査することは原則として相当ではない」「調査方法として、個別訪問が許容されることはほとんど考えがたい」と明確に判断を示している。 


 さらに、「誰が頼みに来たか」「どのような説明がされたか」などの質問については、「署名の真正や請願の趣旨の確認といった目的を超えた」と認定、「署名者や署名活動者に対して不当に圧力を加えるもの」と認めている。6月1日に開かれた都城市議会議会運営委員会(西川洋史委員長)で、秘書2人は、直接、「請願を取り下げろといった話はしていない」(岡田雅人氏=池田市長秘書)、「(請願を)断念するような働きかけはしていない」(坂本孝樹氏=古川禎久秘書)などと弁解している。


 しかし、これに反して、「請願が通れば、国と県との関係に障害が生じると懸念した」(岡田氏)、「事業内容が否定・変更されると困る」(坂本氏)など個別訪問が、確認目的以上だったことを示す発言もある。電話で圧力をかけた下山隆史市議に至っては、「『請願者になったのは、誰から頼まれたのか、今後は、よく考えてもらいたい』と話した」と、明らかに確認を逸脱した事実を述べている。それどころか、「請願書を出す前は圧力だが、出した後は誰でもやっていることだ」と開き直っているのだ。


 一方、訪問を受けた請願者は、「『あきらめてほしい』と言われた」「『考え直してほしい』と言われた」「請願書を出したが、もう決まっているのだなと受け取った」「いくら私たちが言っても…と受け取った」「『よく考えてすることだ』と言われた」などと答えており、明らかに秘書や市議から圧力があったと証言している。池田市長は、「秘書がやったこと」と責任を逃れようとしているが、そんな話は通用しない。市長の指示だろうが、そうでなかろうが、秘書の非は、市長の責任であり、当然、市民に謝罪するのが筋というもの。古川代議士も同様の責任がある。


 下山市議に至っては、余りにも〝無知蒙昧〟。開いた口が塞がらないとは、このことだ。議会改革特別委員会の委員長でありながら、議員の立場を全く理解していないと言う外ない。これまで議員が務まったことが、不思議なほどだ。都城市議会基本条例には、「市民を代表する議決機関であることを常に自覚し、市長等の市政運営状況を監視及び評価すること」(第4条1項)と二元代表制をうたっている。請願についても「市民による政策提言と位置づけるとともに、その審査に当たっては必要に応じて提案者の意見を聞く機会を設けることができる」(第8条4項)とある。下山市議は、これらの条文を全く理解できていないようだ。


 前述した判例によると、下山市議の行為は明らかに「署名の真正や請願の趣旨の確認といった目的を
超え」ており、「署名者や署名活動者に対して不当に圧力を加えるもの」に該当する。都城市議会は、こんな事実を放置するのか。議会は、池田市長と古川代議士に対して当然、市民への謝罪を要求するとともに下山議員については、懲罰委員会を設置して相当の罰を受けさせる必要があろう。そうでなければ、都城市議会は、存在価値を失うことになる。 

森林伐採が一般質問に

川南町議会傍聴 町長「国、県と情報共有を」

 今月9日、川南町議会の一般質問で、「森林伐採方法や植林などについて指導が必要ではないか」と児玉助壽議員から指摘があった。これに対して、日高昭彦町長は、乱伐の事実を認めたものの「国や県とも共通の問題意識を持ち、意志統一を図りたい」と回答しただけで、具体的な対策には全く触れなかった。
 実際、児湯郡の森林乱伐は、目に余るものがある。特に、川南町内は、凄まじい。都農町の轟地区の里山(国有林)が丸裸になり、名貫川を挟み対岸の細地区では、直下の民家が「毎日、災害に脅えて」暮らしている。
 このあたり(細・牧平地区)は、急傾斜地崩壊危険区域に該当するため、地元からは「規制してほしい」と声が上がっている。「町長は『法に触れないから…』と説明するが、実態を分かっていない」と行政への不満の声も多い。
 「最近は、鉄砲水が多くなった。高速道路の影響もあるのではないか」「昨年6月4日の洪水も高速道路からの水が農業用水に流れ込んだのが大きな要因。その上、森林を伐採すれば、被害は多くなるばか
り」。
 地元住民によると、切原ダムの直ぐ上の山もいつの間にか、はげ山にされた。細地区の住民が植えた公園内の桜の木も、地元に断りなく勝手に切られた。寺院や神社内の大木もバッサリやられたという。許可は得ていたようだが、檀家や氏子には知らされていなかったらしい。
 大内地区でも伐採された。道路より下で、切原川 の法面に当たる部分。地主の承諾を得ているが、近隣住民が「枝葉が残ったまま。川の中にも放置している。片付けさせろ」と役場に苦情を申し出た事実がある。  
 乱伐の原因は、地元の「木質バイオマス発電所」(地元住民)という。樹木の伐採や造材の時に発生した枝、葉などの林地残材、製材工場などから発生する樹皮やノコくずなどのほか、住宅の解体材や街路樹の剪定枝などを燃料とするのが、本来の木質バイオマス発電。
 しかし、「川南町の木質バイオマス発電所は、燃料取得のため、新たに森林を伐採する。森林がなくなれば、海や川の生態系に悪影響を及ぼす。このまま放置していたら、森林は破壊される」と地元住民と嘆く。町は、迅速な対応が望まれているはずだ。
 一方、町が細農村公園を議会の同意なしに山下商事に対して目的外使用(資材置き場)を認めたことについても児玉議員は、追及の手を緩めない。同議員によると、公園など公共財産を長期(昨年八月~今月末)にわたり使用する場合、議員の3分の2の同意が必要という。
 しかも、今回の公園利用料は、月3,440円と格安。同議員の試算によれば、本来は月額22,421円と7倍近くなければならない。「目的外使用させた上に便宜を図る必要があるのか」(児玉議員)と議場に声が響く。
 一方、町教育課は「国有林伐採に伴うため、国の事業として例外的に認めた。公園を利用する地域住民も少ない。地元の同意も取った」と説明する。しかし、「国の事業であれば何でもできるのか。単に、民間企業への優遇ではないか」と議員に切り返される始末。
 しかも、使用許可については、地元の同意書もない、契約書もない。更に、取り付け道路を無料提供していたことも判明した。日高町長は、「不適切な部分があった」と非を認め、「今後、条例などの不備があれば新たに取り組む」と説明したが、公園使用に対する町の失態についての責任には言及しない。
 行政機関は住民に対して損害を与えれば、責任を取らなければならない。児玉議員によれば、本来の手続きを経ないまま山下商事に公園の使用を格安で許可した町の行為は、明らかに職務規定に違反することになる。
 町が、このまま放置するのであれば、「監査請求、あるいは訴訟も辞さない。住民の利益を最優先することが議員の責務。これを拒否するなら、議員の存在意義はない」と児玉議員は強い口調で締めくくった。

NPO法人がまた貸しでピンハネ!

被生活保護者狙った「貧困ビジネス」

 生活保護の不正受給が社会問題になっているが、これとは逆に、被保護者(被生活保護者)を巻き込んだ貧困ビジネスも拡大しつつあることをご存知だろうか。
 昨年10月、低額宿泊施設を運営する埼玉県にある会社の代表が、所得税6,300万円の脱税容疑で逮捕された。低額宿泊所の売り上げを隠していたのだ。 本来、低額宿泊所とは、「貧困者の自立」を目的として設立されたものだが、一部の実態は、貧困者に群がる虫と変わりない。しかも、これらの多くは、貧困者救済を名目に設立したNPO法人(非営利団体)といわれる。
 表向きは、「貧困者の自立を促す」と言いながら、裏ではホームレスや貧困者を自分たちの無料・低額宿泊施設に居住させ、カネをむしり取る。被保護者であれば、自治体から間違いなく保護費が支給されるため、安定した商売だ。 
 現在、本紙が調査中だが、宮崎市でも「貧困ビジネス」といえる商売が拡大しつつある。サブリース(又貸し)で、被保護者を入居させ、限度額の家賃をせしめる方法だ。
 詳細は不明だが、仮にサブリースする業者をOとすると、Oは家主から1ヵ月2万円の家賃で借りる。情報によると、一室ではなく常時、100室ほどを借りているという。この空き部屋に被保護者を入居させ、限度額の家賃29,500円を支払わせ、差額の9,500円をピンハネしているという。
 この差額は、100室あれば、月100万円の利益が見込める。年収に換算すると1,200万円にもなる。しかも、相手が自治体だから、支払いが滞ることはない。
 しかし、問題は、Oが被保護者をどうやって入居させるかだ。宮崎市福祉課によると、被保護者に
ついて審査する場合、住居に関して「市が、斡旋することはない。被保護者自身に決めてもらうのが基本」という。
 現在、アパートなどの空き家は多い。Oは、「入居者を探してやる」と家主に話す。家主も「少しでも家賃が入れば…」と低額家賃で貸し出す。両者の思惑が一致すれば、当然のなりゆきだろう。
 それでもターゲットである被保護者の情報がない限り、部屋は埋まらない。Oも借りるだけでは、家賃を支払い続けることになる。当然、被保護者についての情報源がなければならないはずだ。Oの行為も許しがたいが、むしろ、情報源がより重要ではないか。
 どこの誰が、どのようにして、被保護者の情報を得ているか。あるいは、提供しているか。個人情報である以上、自治体からの漏えいとは考えたくないが、疑いがない訳ではない。
 他には、通院する病院から情報が漏れたケースもある。中には、NPO法人が作った住所、電話番号、職歴、家族構成、預貯金額、借金のほか、犯罪歴まで記載してある受給者名簿が流出したこともあった。本紙が入手しただけでも約300人分あった。
 宮崎市は当時、その名簿の内容を見てびっくり仰天。「作成した目的が分からない」と担当課長は、首をかしげていた。この名簿については、市は「作成しないように…」と指導したようだが、その後のことは不明。
 宮崎市によると、被保護者の居住環境については、「5年前に調査した。家賃に見合うだけの居住空間かどうかの判断をした」という。当時、問題になったのは10件程度。
 カビやダニなどの発生、トイレや風呂の状態、通院している病院が遠いなど、環境が劣悪の場合は、市の負担で転居させることになっているという。
 一方、サブリースについては、「29,500円に相当するだけの住居ではないと判断すれば、転居させることはできるが、それ以上の対応は難しい」。但し、保護費が公金(血税)であることから、「全く問題がないとは言い難い」という。
 サブリースは、それ自体の運営形態に何の問題もない。むしろ、被保護者の情報漏えいの方が重要な問題ではないか。この情報源を断ち切れば、サブリースによる貧困ビジネスは成立しないはずだ。宮崎県国保・援護課と宮崎市福祉課に今後のことを尋ねたが、双方共に「状況を調査して、対策を練る」という。   
 貧困ビジネスについては平成23年、当時の厚生労働省と地方自治体の代表者らが意見交換を行っている。特に、サブリースについては、①現在の住宅扶助基準とは別の基準を早期に設定②貧困ビジネス法案の成立③年金受給者など高齢者も救済対象に④貧困ビジネスの温床になりうる施設の届出義務化_などが自治体からの発言だった。
 これに対して、厚労省からは①法案準備に向けて協力したい②行政の権限を強化する法案にしたい③貧困ビジネスの規制を考えたい_などの回答があった。
 サブリースの場合、被保護者への住居斡旋のシステムに問題があるのではないか。市が斡旋の窓口になれないならば、例えば、宮崎県営住宅の管理を任されている県宅地建物取引業協会などに協力を得て、代理を務めてもらうことはできないか。
 市内の手頃な値段の物件情報を収集し、それを被保護者に提供する。当然、同協会は手数料を取ることになるが、1件につき1,000~2,000円程度なら、問題ないのではないか。
 被保護者に対しては、行政に限らず、社会や企業なども協力することが当然だろう。ところが、それを食い物にするとは言語道断。血税からの生活保護費をむしり取るような行為は断じて許されない。今後、詳しい調査を進め、近々、結果を報告する。

まじめに仕事しろ!

 先日、宮崎市にNPO法人の収支決算を閲覧に行った。受付を済ませ、資料を出してもらったが、疑問点がいろいろ出てきた。例えば、委託業務名は記載してあるが、行政からの委託か、民間からの委託か。あるいは、なぜ、指定管理費と記載金額が異なっているのか、などだ。


 NPO法人関連の閲覧部署は、地域振興部地域コミュニティ課。担当者を呼んで、尋ねてみたが、「分からない」と返ってくるばかり。「精査していないのか」と聞くと、「はい」という。呆れてしまった。NPO法(特定非営利活動促進法)第29条にはNPO法人は「都道府県または指定都市の条例で定めるところにより、毎事業年度1回、事業報告等を所管庁に提出しなければならない」とある。


 まさか、所管庁は、「提出してもらえば業務完了」と考えてはいまい。当然、内容の精査を行い、間違いがあれば訂正を求めなければならない。そうでなければ、「閲覧させ、また謄写させなければならない」(同法第30条)意味がない。市からは「税務署ではない」「捜査権はない」などと言い訳が返って来たが、第29条は、事業報告等の提出義務を規定している。当然、内容も正確でなければならないはず。「NPO法人だから間違いはない…」などと勘違いしている職員がいるようで仕方ない。第1、虚偽の内容を提出する義務などあるはずがない。


 担当部署が、間違いを放置したまま閲覧・謄写を続ければ、どうなるのか。そんなことは、言わずと知れたこと。そのために担当部署があるのではないか。市民が、間違った内容の資料を閲覧させられたとしたら、たまったものではない。それが原因で損害を受けたら、市は責任を取ってくれるのか。役所が市民に対して開示するものは、うっかりはあるにしても〝適当で、いい加減に記載された〟ものであってはならないはずだ。いったい、市民へ提供する情報を何だと考えているのか。市民が質問すると、「分からない」の返事も税金を「ドブ」に捨てているようなもの。もっと、奉仕者としての自覚を持って業務を遂行すべきだろう。役所は一般的に〝人手が足りない〟や〝他にも大切な業務がある〟などと、言い訳ばかりする。


 職員にとっては、数万人の中の1人を相手にしていると考えているようだが、市民にとってはそんな話は通用しない。〝忙しい、忙しい〟と逃げ回るのであれば、役所など辞めてしまえ。

前理事長のゴネ得許すな! 三股町「やまびこ会」問題

 三股町議会の「やまびこ会調査特別委員会」(百条委員会、指宿秋廣委員長)の報告書が町内全戸に配布されて2ヶ月近くが過ぎた。指定管理業務の発注者である三股町と受注者「やまびこ会」への勧告は、前理事長の不明金230万円の返金と県監査で指摘されたズサンな運営の改善だった。中でも町民の強い関心は、前理事長の返済ではないだろうか。通常、納税者は義務を怠れば催促通知を受け、未納となれば資産差し押さえを免れない。当然、公金からの補助金交付を受けた法人の運営責任者も「不適切な支出」とみなされた以上、返金しなければならないはずだ。


 社会福祉法人である「やまびこ会」に対して行政機関の長は、業務または会計に関する報告を受け、運営に適正を欠くと認める時は、期限を定めて措置を命ずることができることになっている。町の指定管理業務委託についても適用されると考える。しかし、現在まで、前理事長が230万円を「やまびこ会」に返済したとの事実は、確認できていない。それどころか、三股町議会3月定例会では、前理事長が、地元の元公民館長から誹謗・中傷を受けたと慰謝料200万円の請求を申し入れしている事実が判明した。前理事長の返金額とほぼ同額なのは、偶然の一致か。


 百条委員会の勧告と県監査の指摘内容から判断すると、行政機関(県・三股町)と「やまびこ会」が、前理事長から被害を受けたことは明らかではないか。ところが、前理事長は、〝あの手この手〟で、返金を遅らせるか、あるいは、〝ゴネて踏み倒す〟ことを考えているとしか、思えない。先の三股町議会3月定例会で、重久邦仁議員が、請求に対する前理事長の意思の確認の有無、応じなかった場合の刑事上の問題や手続きなどについて質問したが、町は、「『やまびこ会』の問題だから…」と消極的な態度だった。自ら手を下すことを避けたということだ。

  
 しかし、まじめな納税者は、被害者である県や町「やまびこ会」の三者が連帯して、返金の実現と運営の改善に取り組むことを願うばかりである。絶対に「ゴネ得」を許してはならない。そのために、被害者は、司法の手に委ねるのも一考だろう。「やまびこ会」の不祥事は、前理事長が就任後、わずか7ヶ月間の短期間で起きた。補助金の公正公平な運営を検証する役務は、有権者の付託を受けた町議にある。それにもかかわらず、前理事長就任時、既に理事だった山中則夫議長が、理事の立場から前理事長のズサンな管理運営を指摘できなかったことは、非常に残念である。議長としての責任も重大だと考える。


 議長の弁明の声は、いろいろな場所から聞こえてくるが、公人である議長としての正式見解を住民に対して述べる時期が来ているのではないか。同時期の理事たちも同罪として責任を免れないことを一言添えておきたい。

西都市医療センター問題、顔色伺う市長では…

 西都児湯医療センター(後藤有人理事長)は2月、評価委員会をスタートさせ、地方独立行政法人への移行に本格的な取り組みを開始した。医師確保のために公的な経営形態に移行するというが、西都市西児湯医師会(岩見晶臣会長)が要求してきた公的支援を西都市が全面的に受け入れたに過ぎない。市長は、医師不足を解消して、本当に市民のための医療体制を整える考えがあるのか。


 同センターの地方独立行政法人化は平成25年12月、同市議会で西都市が明らかにしたことで、浮上した。市は「緊急の医療機器整備や人材確保に対応するため」と説明した。地方独立行政法人とは、住民の生活や地域の社会経済などの安定を目指し、民間よりもむしろ地方自治体が主体となって事業を進めることが効率的であると判断し、地方自治体が設立する法人を指す。昨年9月議会で地方独立行政法人としての定款が可決され、今年2月6日には、第1回評価委員会が開催された。評価委員は現在、落合秀信(宮大医学部教授)、黒木隆子(市民代表)、黒木正善(西都市議)、重黒木真由美(高鍋保健所所長)、水田祐輔(弁護士)の各氏。


 同センターの医師不足は、橋田市長と医師会が循環器など優秀な医師を追い出したことが直接の原因だ。事の発端は、言わずと知れた元事務局長をめぐっての騒動。当時、医師会は、事務局長を追い出すために脅迫めいた通知書を頻繁に出すなど、なりふり構わなかった。「これが医師のすることか」と驚いた市民も多かったのではないか。この時、理事会の運営や医師会に対する橋田市長の対応などに対する不信感、医師会の体質への不満など募らせた複数の医師が辞表を提出して去って行った。以来、医師不足は解消されていない。手っ取り早い方法が、地方独立行政法人への移行だったのだろう。公的性も高まり、宮崎大などからの医師派遣が受けられると同時に、同医師会にとっても西都市が出資する形で公的支援を受けられる一石二鳥と考えたようだ。


 しかし、独立行政法人自体、民間運営へと移行しているのが実情で、民間の運営団体が独立行政法人へ移行したケースはない。時代錯誤もはなはだしい。しかも公的機関になったからといって、確実に医師不足が解消できると決まった訳ではないし、医師の頭数をそろえれば良いというわけでもない。これまで、それすらできなかったことが、急に可能になるはずもない。最大の問題である有能な医師が来るかどうか、については、全くの未知数。実現できない場合の責任の所在もはっきりさせていない。赤字経営に陥った際の対策も難しい。市は「議会が公的法人への移行を可決した以上、赤字補填を許さないはずはない」(地域医療対策室)と、のんきに構えているが、市の政策は、「金さえ出せば何とかなる」といった了見の狭いその場しのぎにしか思えない。


 地元医師会も一昨年以来、市や議会、市民に対する暴挙とも言える対応から、補助金の対象となる健全な団体とは言い難い。その後、同医師会の体質が変わったとも考えにくい。例えば、宮崎市立田野病院のように宮崎大が指定管理者として運営することも選択肢の一つ。市民の健康を守る医療体制を整えるためには、地元医師会とのシガラミを絶ち、敢えて他の医療団体に運営を任せる方法もある。現在の橋田市長のように地元医師会の顔色をうかがい、根無し草のようにあっちへフラフラ、こっちへフラフラしていては、実現など不可能だ。市民のために政治生命をかける覚悟などあるはずもない。議会の対応も生ぬるい。公的資金は、市民の血税である。補助金を「呑み代」程度にしか考えていない地元医師会への支援が、本当に市民の健康を守るための得策なのか。再度、検討する余地があるのではないか。       

旬刊宮崎は創刊当初より30年以上、庶民の立場から真実を追究。山積する不条理に対し「弱者の代弁者として破邪顕正の剣で立ち向かっていく」旬刊新聞です(発行は毎月5日、15日、25日)。